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碁法の谷の庵にて

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2006年04月21日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 山口・光市の妻子殺人事件の弁護人である安田弁護士、今度はしっかり出席したようですね。


 本当はそれでも時間がたりないと言うのが本音だったんじゃないか?という推測も可能だけど、例えそうだとしてもこのままでは弁護人なしで弁論されて結審と言う最悪の可能性だってあったのだから、なんとかしたのだろう。
 少なくとも、今回の出席・弁論によって弁護団の持っている大義名分は「一応」保たれたのではないか、と思う。もちろん今後やはり懲戒、と言う可能性はあるだろうが、私にとっての一つの判断ポイントは無難に通過した、と見ている。


 さて、これで少しくらいは安田弁護士批判が鎮静化するかと思ったら、どうもそうではないようだ。
 見た感じ、安田弁護士批判は、あの後すぐに鎮静化してしまっていた。そして、今度の公判期日をいい機会にして、また新たな安田弁護士批判が始まっているというのが私の見た安田弁護士批判である。


 安田弁護士は、「はずみで締めてしまっただけ、殺意はない」などと言う形で被告人の罪を軽くすべき事実がある(殺意がないという主張の通りなら被告人は傷害致死罪どまりで、死刑になりようがない)と主張して、最高裁で争うつもりだったようだ。
 最高裁がそうした主張を争うことを認めるかどうかは、本当のところかなり難しいものがあったと予想されたし、苦しい理屈だ、と言う指摘自体は頷けるものがあるように思うけど。
 実際、最高裁は弁論の続行は認めず、後日書面の提出を認めるにとどまった。


 まあここまでは本人たちには申し訳ないがごく普通に予想された進行である。


 ところがどっこい、弁護士非難をする人間の多くは、もうそういうことを争うこと自体許す気はなかったらしい。またしても弁護士非難は沸き起こっている。しかも、はっきり言って前のより批判のレベルがガクッと落ちた。「見るべき批判」が前はあったのに、今度はほぼゼロである。


 こうした主張自体が被害者遺族への冒涜だ、と言い出している人たち。

 頭で分かっていてもやっぱり得心が行かない、という人に限らず(そういう感想を抱かれるのは仕方のない面もあると思う)、頭っから否定している人も多い。
 だが、被告人にとってよりよい情状事実を主張することまで、「遺族への冒涜で」許されない、と言われては、もはや「弁護するな」と言うのと同じである。彼ら自身はそんなことを言っているつもりはないかもしれないが、実質は全く同じである。
 先日引用した裁判例でだって、裁判所は「自己の主観的見解を避けて極力被告人に有利な観点から観察判断すべきだ」といっている。それをしないのは不法行為。本当に無理な理屈かどうか決定するのは弁護人ではなく裁判所である以上、弁護人に裁判官役をさせてはいけない。
 こんなことは、弁護士はもちろんのこと裁判官も検察官も当然のことだと認識している。


 また、「彼を罪を認めさせて反省させるのも弁護士の使命では」と言う意見。

 確かにその通りである。弁護士の弁護活動を通じて反省・更生意欲を持つ犯罪者は現実にいるようだし、それを達成した弁護士に賞賛を惜しむ気はない。
 だが、だからと言って弁護士が本来なすべき弁護活動を抑制させろ、と言うのならば、それは筋が違う。更生させると称して、真実と違う罪で裁いてはならないのだ。真実の通りに裁くというのは大前提、優先順位第一位であり、罪を認めて反省させるというのもそのあとですべきことなのだ。真実の通りの裁きに貢献しようとしてそれが出来なくなったのはやむをえない。それ以上のことは弁護士よりは専門家の刑罰担当者に任せた方がよい。


さらに、安田弁護士が記者会見で法廷で使用した絵を見せたことに噛み付いている人もいる。

 だが、弁護士に事件について説明責任があるかのように、事件についてしつこく説明を求めているのは実際にはマスコミ関係者である。また、世論の流れが被告人死刑にぐいっと傾いているときに、淡々と事務を進めるだけと言うのはいかがなものか。現実に被告人が世間で叩かれているなら、それに対して一定の行動をすることも、弁護人の義務であると私は思う。
 だとすれば、絵を出したことを「被害者に配慮が足りない」などというのではなく、判決前に勝手に心証を作り、それに基づいて弁護団を叩いてきたマスコミ関係者や世論こそが、本当に噛まれなければいけないはずだ


 安田弁護士が死刑廃止論だから・・・と言う人たち。

 もう何を言うやらである。
 安田弁護士はあの事件の弁護を引き受けた人間として、あのように弁護しているだけである。死刑存置論だから、廃止論だからと言うのが関係あるとは思えない。
 死刑事件を引き受けた弁護士は、ほとんど死刑は残虐刑を禁止した憲法36条違反だと主張して、「判例では合憲」としてみんな瞬時につっぱねられている。そうなるのは百も承知だろうが、それが弁護士の職務だからである。彼ら全員死刑廃止論者とも思えない。弁護士の死刑廃止論率は世間一般人の率(10%切るくらい)よりはかなり高いが、みんながみんな廃止論と言うわけではないという感想を私は持っている。
 安田弁護士が死刑廃止運動に携わり、数々の死刑求刑事件を担当したという彼自身の属性にとらわれ、じゃあ弁護士はどうするべきなのかと言う点をしっかり提示した人など見たことがない。よくて「彼を更生させろ」と言うとても採用不能な考え方である。


末期症状と断じたいのはみのもんた。

「弁護団は死刑廃止が目的で、そのためなら、ルール違反だろうが捏造だろうが、あらゆる手段を尽くす」

みたいなことを平気でしゃべったらしい。は?捏造?被告人について出来る限り有利な視点から語ったら捏造ですか?1月延ばしたら本来死刑になるべき人間が死刑にならなくなるのか?開いた口がふさがらないとはこのことである。
 みのもんた症候群(医者の勧める科学的健康法よりも「おもいっきりテレビ」のみのもんたを信用してしまう)なんて言葉ができるくらい影響力があり、「ザ・ジャッジ」なる法律番組の司会までやっていた人物がこんな世論誘導をする。当の本村氏だって、記者会見で不出廷批判はしても、それ以外の弁護団の弁明については「真相は妻と娘が知っている」みたいに達観していたというのに。



 大衆は情で動き、法曹は理で動くのかもしれないが、それにしたってこれはあんまりである。弁護人依頼権は憲法上の権利であることくらい中学・高校の公民で習う。法学部なんか行かなくたって一般常識。そんなの知らんでは済まされない。
 憲法とは本来国民が国家に突きつける約束事。それなのに、国民自ら憲法をぶち壊す(改正を論じるのとはわけが違う)ようなことでバッシングを行うようでは、日本の民度のたかが知れてしまう。学生の分際で何を言うか、と思う人は多いだろうが、それにしてもこのバッシングとその内容のなさには心底呆れざるを得ない。
 
 2ちゃんねらーが匿名で書いているうちならまだ可愛げがあるが、安田弁護士の立場を理解する人のブログが炎上しているのに至ってはもはや正気の沙汰ではない。


 今回の騒ぎを見て、つくづく情けなくなった。





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最終更新日  2006年04月23日 11時45分57秒
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