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碁法の谷の庵にて

2006年06月09日
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 今日の記事は本当に拒絶反応を起こす人が出そうなので、この記事が消えるまでは「続きを見る」方式にしときます。お題見ていやだっと思う人はおとなしく撤退しましょう、
 お題は上に書いてある通り。


 先日、雑誌「創」に先日、幼児連続殺人事件で死刑判決が確定した宮崎勤氏が死刑の執行方法について寄稿した、と言う。

 死刑囚と言う立場の人間がこういう寄稿をすることについては非難があるかもしれない(ネット上では非難する見解がすごく多い)し、よく死刑囚がこういう話を寄稿できたなあと言う気もする(以前新聞に死刑囚が心情を送ろうとしてだめと言う処分の適法性が争われた裁判があった)が、今日はその辺の話を抜きにして死刑の執行方法について、多少話をしてみよう。

 大学1年の頃に死刑絡みでレポートを書いたことがあって、ちょっと知っているのだ。




 現在、通常犯罪(非通常犯罪としては、国家を転覆させるような罪とか)について死刑を存置している国は、先進諸国では日本とアメリカの38州位である。ドイツは憲法(正確には基本法)で死刑は禁止、ことEUには死刑を廃止しないと加盟すらできず、EU加盟を求める旧ソ連の国やトルコも、死刑廃止にOKを出している。
 また、イタリアだったと思うが、「死刑のある日本に犯罪者を引き渡さない」ということでもめたこともある。
 イスラム圏では死刑が残っているところが多い。




 さて、死刑存置国ではどのような死刑が実行されているだろうか。

 日本では、絞首刑で死刑を実行する。(刑法11条

 スイッチを押すことにより抜ける床の上に絞首用の縄が釣ってあり、それに首をかけさせて床を落とし、首吊り状態にする。医学的には絞首と言うより縊首と言うほうが正しいようだが、これも絞首の一種だ、とみなされている。
 昔は階段を上らせた上で床を落とすシステムが採用されていたようだが、さすがに死刑囚が恐怖などで暴れだす可能性が高かったようで、現在の方法に改められている。

 死刑の執行のための床を落とすスイッチは刑務官が押す。日本では、3とか5人でいっせいに別のスイッチを押すらしい。実際に床が落ちるスイッチは一つだけ。回りくどい手法だが、相手がいかに極悪な死刑囚であっても執行人の罪悪感情はどうしても存在してしまうので、それを緩和するための手法なのだ。
 アメリカでも、銃殺刑をするなら空砲を用意するようだし、注射刑でも注射は二つして毒物は片方だけとかいうやり方をしているようで、こういう緩和策は世界中に見られるようである。


 アメリカの死刑存置州では33州が毒物の注射による死刑を導入しているようだ。
 アメリカの死刑と言うと電気椅子を思い浮かべる人は多いようだが、電気椅子を採用しているのは11州のみである。他に銃殺刑が3州、ガス室刑が7州、絞首刑を導入している州もある(1999年現在、3年半前に書いたレポートより)
 ここで、合計が存置州どころかアメリカの全州より多いじゃないか、と思われたあなたは鋭い。実は、死刑の方法については死刑囚自身が選択することが許されているところが割と多いようで、銃殺刑の3州やガス室刑の7州は全て死刑囚が注射による死刑と選択できるのだ。
 毒注射刑のところでは、自動的機械によって、血管に強力な毒を打ち込むことができるところもある。
 

 さて、宮崎勤死刑囚も毒注射刑がいいと言っているようだが、なぜアメリカで毒注射刑が広く認められているかと言うと苦痛を与えることなく、しかし確実に死に至らせることが出来るようになっているためである。
 「ぷす、がくっ」と言うような感じで、あっという間なのだ。苦痛に悶え苦しむ死刑囚を見る必要はない。
 電気椅子も、最初は苦痛が少ないという鳴り物入りだったのだ。それどころか、西洋のギロチンだって、本来首をはねる人がミスをして苦悶する死刑囚を見かねて作られたそうである。
 絞首刑も、頚椎脱臼で瞬間的に苦痛なく死ねる…ようだが、(以下ちょっと生々しいので反転して)落下の加速度も加わるので頚椎のほかの骨が損傷し、落下してから1~1分30秒ほど痙攣が呻き声と共に続くと言う話もある。

 もっとも、毒注射刑は医師がついていないとうまくいかず、人命救助の地位にある医師が人を殺す作業に従事するのはいかがか、と言う別の視点からの批判があることも知っておいて欲しい。

 なお、執行方法としては、斉藤静敬と言う学者が、古代ギリシャのソクラテスのように死刑囚自ら毒物を呷る、と言う方法(もちろん死刑囚自身が同意しなければ無理だが)を提唱している。これなら執行する人の罪悪感情も低い(毒物を渡すだけなら…)し、一つ考慮できるかもしれない。




 実際、死刑を存置している先進諸国では、死刑と言う刑罰は「生命を絶つ」ことが刑罰だと考えられていて、生命を絶つに際してことさら苦痛を与えることは不要であると考えられている。
 むしろ、むやみやたらと苦痛を与えて死亡させる刑罰の方法(釜ゆで、さらし首、火あぶりの類)は人道的な見地から残虐な刑罰に該当するとして、日本なら憲法36条により「絶対に」禁止されるし、アメリカでも合衆国憲法修正8条により禁止されるところである。

 そして、この「残虐」の意義については、日本では昭和23年6月に最高裁が「その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合」としている。
 早い話、基準は我々が人道的に見て残虐と感じるかどうか、と言うことである。しかも、「絶対に」禁止しているので公共の福祉がどうこうと言う言い分は通用しない。『犯人はこんな酷いことをやったんだ』ということをいくら叫んでも、残虐だと感じられるものである限りそれは無意味ということになる。(個人的には、絶対に禁止されるものに国民の人道的視点と言うのを入れるのはどうかと言う気がしないでもないが…)
 それどころか、アメリカでは、1972年に残虐刑を禁止した合衆国憲法修正8条に死刑が違反するとされたこともあった。(1976年にこの判断は覆って現在に至っている)

 インターネット上では、「悪魔には死刑でも手ぬるい」とか言って18禁指定もののこれでもかとばかりの手法を考える人がいるが、それはさすがに憲法違反である。
 第一、憲法以前の問題として、善良な人たちでさえ寝覚めが悪くてしょうがなくなるような方法を用いるのはどんなもんだろうか?少なくとも、私はそういうことを誰もが見られるところに堂々と書き込む人の品性や神経にはとてもついていけない。




 ちなみに、死刑が残っている世界としてはイスラム圏も有名だが、上述したような価値基準には必ずしも基づいていない。死刑の方法にも「ギロチンで斬首」や「石を多数回投げつけて殺す」と言ったものが見られるようだ。
 もっとも、イスラム圏は強盗+ケガ1人でギロチン刑になったり、駆け落ちで死刑になったりと日本人にはちょっと信じられないようなことで死刑判決がつぎつぎ言い渡されるところなので、これを日本に借用してくるのは難しいだろう。



 宮崎勤氏の寄稿があつかましいと思うのはけっこう。ただ、宮崎氏の主張していることを客観的に把握すると、意外と世界的にも支持を受けているということは記憶の片隅にとどめておいてほしいものである。






最終更新日  2006年06月09日 19時45分40秒
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