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碁法の谷の庵にて

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2006年06月21日
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 もう刑事裁判において、被害者は「忘れられた人」(forgotten man)ではない、と思う。

 既に法律家や立法担当者の意識は被害者にも向くようになっている。これだけで被害者問題については一つの前進である。
 日本司法支援センター、通称法テラスは、弁護士による犯罪被害者支援を打ち出している。今年秋に発足だ。最初はノウハウ作りで大変かもしれないが、ともあれ被害者を保護する仕組みはある程度整えにかかることははっきりしている。
 刑事訴訟法にも、被害者に反対尋問を受けない意見陳述権を認める旨の規定(刑訴法292条の2)が創設され、被害者を中心とした証人を法廷で保護する制度(刑訴法157条の2~)が確立するなど着実に進歩しているように思われる。また、もうすぐ検察審査会に起訴と同じことができるようになる(施行を待つのみ)。
 刑法の厳罰化も、論争はあるものの彼らにとっては一つの進歩と言えるのだろう。



 さて、今までは被害者問題を考えるには法律家に意識を向けさせればよかった。法律家たちが被害者たちを蚊帳の外においていたのは反省しなければならない事実だったと思う。

 だが、意識さえ向けさせればよい時代は、昨年末、犯罪被害者等基本計画の策定により一旦終了したのではないか、と思う。
 これからは、本当に法律家と喧しい論争を繰り広げなければならないだろう。基本計画で導入されない問題点は、予算不足が原因かな?と言うのもあるが、刑事裁判のあり方という法律的な視点から問題になる、と言うような領域がある。

 今日はその一例の話を先にしようと思う。弁護人叩きの話は後回し。






 昨日、テレ朝の報道ステーションに出てきた本村さんは

「被害者が直接裁判に参加できるようにするようにしたい」


 旨の発言をなしていた。あんまり精密な記憶ではないが、やはり本村さんも主張するようなものなんだな、ということで印象に残っている。


 この主張は決して本村さんの一人説などではない。
 全国犯罪被害者の会は被害者が裁判に検察官同様に参加し、証拠調べを請求したり、被告人に質問したり、反論したり、場合によっては起訴・判決に不服なら控訴できるような、犯罪被害者の刑事司法に関する直接関与制度を求めている
 2002年の12月、全国犯罪被害者の会におけるシンポジウムとそれに続く大会決議で裁判参加を求める決議が行われ、全国の署名活動では39万もの署名が集まったと言う。
 犯罪被害者基本法も、18条で刑事手続への適切な関与をするための施策を講ずる努力義務を掲げている。

 だが、実際には直接に関与する(例:被害者独自の起訴・独自の証拠提出、独自の尋問)ことは大変に困難で理論面・現実面の双方について十分な武装が必要な問題である。現実に法律家たちからの懸念があるのだ。
 ちなみに、私が大学3年の頃、所属していたゼミで扱った話題でもある。



 現在、刑事裁判というのは国家権力代表である検察官と被告人の戦いである。残念ながら被害者は戦いの当事者ではない。
 日本の法律では、原則として起訴をするのは検察官の権限であり、被害者には起訴の権限はない。検察審査会法の改正で、検察審査会への被害者の申立が起訴となる可能性も生まれるが、どのように運用されるかは今後次第である。
 起訴されたとして、日本の刑事裁判では、被害者は、独自の立場で被告人に質問したり、裁判所に証拠を提出したりということは一切できない。どうしてもというのなら、検察官に頼み込んで間接的に質問したり、間接的に証拠を提出するしかない。
 また、証人として法廷に出てくるならば、被告人を保護する立場の弁護人としては厳しい反対尋問をかけるしかないし、それ以前に検察官が聞いてくれなければ終了である。
 また、証人として出たならば、自分の知っている事実以外のことを話すことはできない。「被害者の息子はこうやっているように見えたけど、息子がそんなことをするはずない。きっとこうだった」と思って「きっとこう」の内容を喋ったら、それだけで偽証罪である。
 そして、証人の立場では被告人を問い詰めたり証拠を出したりはできない。

 去年末、犯罪被害者に関して発表した犯罪被害者等基本計画でも、被害者の刑事裁判への参加は検討課題とされるにとどまり、即実施とは参らなかった。現実に法律関係者の懸念は根強いのである。


 まず、根本的な哲学の問題がある。
 日本の刑事処罰は、あくまでも国家・社会の秩序維持という「公益」のために行われ、被害者の利益それ自体を目的としていない。公益の一部に被害者の利益が入る程度である。刑事処罰をする手続である刑事裁判もそれは同じである。そして、起訴をする検察官も公益の代表者である。(検察庁法4条憲法15条も参照)決して被害者の代表ではない。
 その中に、被害者と言うあくまで個人的な利益の追求をする人間の参加を認めることは、刑事法の基本哲学に反するという意見は根強いものがある。基本哲学を維持するか、思い切りよくこれまでの基本哲学を破棄するか、基本哲学を維持しつつ参加と言う形態を取れるかどうか。


 そして、参加それ自体の技術論に大きな問題がある。
 当事者として参加したい、と言うことは検察官とは別個の立場で、ということになると思われるが、そうすると裁判が一対一ではなく三角関係となる。検察vs被害者で対立しなくとも被告人vs被害者と被告人vs検察の二つが裁かれなければならない。これは紛糾の元であろう。
 その上、被害者が参加したいという刑事事件は自転車ドロや万引き、寸借詐欺のようなちょっとした罪ではなく、殺人を始め、人の生命にかかわるような重大事件が多いと思われる。
 そうすると、今度はもうすぐ始まる裁判員制度との関連が非常に大変になってしまう。ただでさえ機能するのかどうか疑われている裁判員制だが、さらなる紛糾のタネまで導入できるのだろうか。

 この点、被害者団体などが「ドイツなどでは被害者が独自に裁判を進行させる制度があり、さしたる混乱は起こっていない」と主張しているし、これはこれでかなりの説得力がある。
 もっとも、ドイツと日本では刑事裁判の基本構造が違い、言ってみれば検察官も弁護人も裁判所の部下に近い。部下が増えたところで裁判所が強力な指揮権を用いてうまくやれるからだ、日本はそうは行かないと言う意見もある。裁判の基本構造を変えろというのも実際には厳しいと思われるので、耳が痛い指摘だ。

 

 こうしてみれば分かるとおり、被害者の皆さんは、これらの指摘をうまく打ち破り、今後裁判員制度が導入された状態で導入しても裁判はうまく維持されるし、基本的な哲学にも反しないと言うことを説得していかなければならない。実務家と渡り合うことは、とてつもない困難である。

 ちなみに、検察官を間接的に動かすことでは足りないなら、被害者に国選弁護人をつける方策と同時に行うのが一つ私が考えた作戦である。被害者にも法律関係者がつくことが、紛糾の防止につながることは考えられるのではないか。

 他方、革命かクーデターでもない限りおよそ実現可能性のないことを騒ぐしか能のない取巻にはこんどこそご退場願う時期である。うるさいどころか、「被害者保護は人権無視や冤罪につながるのでは」という余計な疑念を被害者たちが持たれる原因になる。
 もう騒げばどうにかなる時期は終わってしまったのだ。


 今なお残る被害者たちの希望を実現するのは至難である。
 それでも彼らは取り組むであろう。その取り組みが認められるのか認められないのか、私には分からない。
 ただ、いずれの結論になるにしても、その論争が刑事司法の適正な運用につながることを祈る





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最終更新日  2006年06月21日 16時54分45秒
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