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碁法の谷の庵にて

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2006年10月18日
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テーマ:囲碁全般(745)
カテゴリ:囲碁~それ以外
大学の囲碁界において、永遠のトップ大学など存在するはずはない。
 どう足掻いたって碁は最終的には個人戦に帰着する。ペア碁で勝ったからと言ってあまり名声にならないのはそういうことだ。

 団体戦も、基本的には個人戦を過半数制した者が勝つというものである。
 5人団体戦独特の要素としての並べ順である、モチベーションであるといった特殊なチームワークの要素が存在するのはそう思うが、それでだって埋められる差と埋められない差は実際問題存在する。


 もちろん、部内同士で切磋琢磨や研究などして個人の力量を挙げて上に持っていくことはできるだろう。だが、それも程度問題である。大学でルールを知るところから始めて、一般一部で勝ち越すくらいの人と言うのももちろんいるが、そう簡単には育たない。そういう人は学業まで犠牲にしていることも珍しくないし、またそういう人が育つ環境と言うのは、どうしても周囲に指導役足りうる強豪のいるような環境に限定されがちである。それでは強豪大学が更に強くなるばかりである。
 そして、一般一部の選手で全勝賞を取っていくような人の多くは、高校選手権でも入賞しました、入賞狙いでした、高校では振るいませんでしたが小中学校で活躍してましたというような、いわゆるサラブレッドな人たちばかりだ。大学に入って強くなるにしても、大体大学に入るまでにそれなりに強い人たちばかりである。一般一部の全勝者で、大学に入って碁を始めましたと言う人は私の知る限りいない。


 つまり、推薦で入ってくる、その大学を希望してくれたなど何らかの偶然でその大学にそういう強豪が入らなければ、入ったとしても囲碁部に協力してくれなければ、その大学はリーグ戦で勝つことは難しいというのが現実として存在している。
 もちろん、リーグ戦で勝てばよい、負ければだめと言うような評価は正しくない。強くなくとも彼らなりに碁を楽しみ切磋琢磨するのはとてもよいことだと思う。
 けども、上の話を見ればわかるようにそれこそ関東の一部リーグで優勝や優勝争いに食い込むまでに貢献しようと思うと求められる実力と言うのは、天才や超級努力家を除けばゼロから3年やそこらで身につけられるものではない。大学生になると脳ミソも固定されてくるだけになおさらそうなる。




 7年も関東学生リーグを見て、あるいは聞いていると、いろいろな大学の栄枯盛衰が見て取れる。(以降人名敬称略)

 日本大学は、全国制覇の経験もある。1990年代末まで、早稲田、中央などの強豪を破りまくっていた。東大も2-3と追い詰め、早稲田がさほど強くなかった頃に慶応を破って東大との優勝戦線から引きずりおろし、選手としても5人かなりのメンバーが揃っていたといえる。
 が、00年に主力をいっぺんに放出すると見る陰もなくなってしまった。選手が「揃っても3人」と言うような状態の中一人奮闘する主将の姿は、痛々しいほどであったと聞いている。私も実はそのとき会場にいたが、全く見ていなかった。その後の日大は出たり出なかったりである。今期は出ていない。

 もっと極端な栄枯盛衰をたどったのは多摩大学。後の学生名人槇尾弘毅(関東に口癖「ありえない」で一大センセーションを巻き起こした)、後の学生準名人金井孝太と超級2枚看板をそろえ、3部から1部へ一気に駆け上がり、一部に上がると元高校チャンピオンにして後の学生本因坊松田みこと加入。東大を1-4で破るという快挙を成し遂げ、99年から01年にかけて台風の目となった多摩大。女子部も出して優勝含めかなりの好成績を上げていた。
 ・・・が、そこまでだった。一部に上がった2年後あたりで選手の供給が途切れ、超級3枚看板が卒業・戦線離脱すると一気に衰退の一途をたどり、今期は出場すらしていない。



 上位3校と現在言われる早稲田・慶応・東大だって決してこの栄枯盛衰の歴史の例外ではない

 慶応99年から00年にかけて過渡期に入りいっぺんに苦しくなって、優勝どころか残留さえ怪しくなっていた。
 01年以降になって主力選手が大量に加入して一気に持ち直した(そうやって入ってきた人たちこそ先日早稲田を破った原動力でもある)のだが、それもなかったら慶応が一部にいたかどうかは怪しいかも分からない。

 栄枯盛衰とは無関係、憎らしいくらいの安定感を誇るかに見えた東大にも、ついに盛衰の波がやってきた。
 今期、東大は早稲田、慶応はおろか、筑波にも敗れ、勝ち数差で3位をキープするにとどまった。ここ何年か、東大はたとえ3位であっても優勝争いに絡むだけの力が十分にあったのだが今回の東大は早稲田、慶応、筑波に1-4。もはや昔日の東大とは明らかに違っていた。早稲田応援団の私としても、やはりあの破壊的な強さを誇った東大が見られないのは悲しい。早稲田の部誌ができたのは東大に勝てないからだと言う話もある。早稲田にとって永遠のライバルはやっぱり立命館ではなく慶応や東大であって欲しいところである。

 原因として考えられるのは東大に主力選手を供給していた灘高や開成高の弱体化。東大黄金期のメンバーのうち、選手5人のうち2人と補欠は灘高出身だった。現在の主将は筑波大駒場、副将は灘である。同時に、関西の雄京都大学も見る影もない状態になっている。立命館が強すぎの感はあるにせよ、京都の衰退は関西の立命一極集中と言う事態をもたらしている。

 早稲田とて、dasさんが、自分が選手だった頃はよく二部に落ちなかったと独白している。現在の選手5人のうち4人は2年生以下なのであと2,3年は大丈夫だと思われるが、その先に大型の新人が来ず、更に内部で人が育たなければ、当然早稲田にもそのような試練の時期は来るであろう。




 悲しき栄枯盛衰は宿命である。現在の人間がいくら頑張っても、4年も5年も先になってどうなるかまで左右できるとは限らない。
 

 関東リーグの石の音諸行無常の響きあり
 優勝旗に付けられるリボン盛者必衰の理をあらはす

 ・・・なんてね。





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最終更新日  2006年10月18日 14時11分29秒
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