カテゴリ:法律いろいろ
犯罪者更生もののドラマとかはいくらでもある。日本人にとって一番有名なのはレ・ミゼラブル(ああ無情)といったあたりであろうか。
現在の法制度でも、犯罪者の更生にはかなり力が入れられている。一番手っ取り早い例が少年法。少年に対しては処罰をする場合もあるが、少年院や児童自立支援施設に送ったりしてその更生や社会復帰に力が入れられている。 だが、最近これらの発想は煙たがられているようだ。犯罪者が更生した方がいいか更生しない方がいいかといわれれば圧倒的多数は更生した方がいいというだろう。問題は、更生のために処罰の程度を下げたりすることである。 最近そういう発想が強くなった理由はといえば、とどのつまり被害者の再発見にあるのではなかろうか。更生重視の少年法に遮られて審理の内容も知ることができず、謝罪も受けられず、それでいて厳罰に処されるわけでもない。こと少年事件の被害者などが表に出てくるにつれて、なぜ「更生にそこまで力を入れるのか」という発想はきわめて広くなっている。 今日の文章は、この問いに対して一応の答えを提示してみるものである。あくまでも私の答えであるのでその辺は注意してほしい。 ただ、とても現実的な考え方であるという自信はある。 まず、今の日本に存在する刑罰は何だろうか? 刑法をみれば、「死刑」「懲役」「禁錮」「罰金」「拘留」「科料」「没収」であると書かれている。それぞれの意義は、こちらから条文を参照していただこう。 死刑は、生命刑と呼ばれる。生命を持って刑罰としますというものだ。 懲役・禁錮・拘留は自由を奪うことによって刑罰とするので自由刑と呼ばれる。 罰金・科料・没収は財産を奪うことによって刑罰とするので財産刑と呼ばれる。 では、これらの中で「犯罪者を社会から消してしまうことのできる刑罰」はどれだろうか。(恩赦の類は考えないことにします) 死刑は当然該当。死んでしまえばどうにもならない。 財産刑は、納められないと労役場留置ということもあるが、犯罪者を隔離することを想定した刑罰でないのは明らかである。 自由刑はどうか。確かに一定期間は服役をするし、その間は社会から隔離されるが、その後が問題である。刑期を終えれば、彼は社会に出てくることになる。 例外としては無期懲役・禁錮(今後は「無期懲役」といったら無期禁固も含めます)。無期懲役は仮釈放によって社会に戻ってくる余地はあるが、運用によっては社会から消す効果もあろう。最近は無期懲役の仮釈放がなかなか認められず、終身刑化していると指摘されている。 つまり、今犯罪者を社会から消すことができる刑罰は、死刑か無期懲役ということになる。 では、今死刑か無期懲役が使える犯罪とはどんなもんだろうか。死刑が使える刑法上の犯罪は、政治的な罪を除けば殺人とか強盗殺人などの殺人関連の罪に集中している。放火なども死刑適用の余地はあるのだが、実際問題として死刑の適用が争われるのはほぼ殺人諸罪限定である。 無期懲役はどうか。死刑の使える罪は無期懲役も使える※。他方、無期懲役にできて死刑にはできない罪は意外と少数。強盗強姦罪とか強姦致死罪、通貨偽造といった罪が中心である。傷害致死罪や危険運転致死罪では無期懲役にすることはできない。 こうしてみるとわかるとおり、死刑と無期懲役は相当に重い罪でなければ使わないのが現在の法実務である。 法改正で重くする可能性もあるだろうが、それでも大半の罪は死刑や無期懲役にはなるまい。放火ならまだしも、殺人クラスの罪になると普通の人は怖くてできない。それでも殺人をするというのは、よほど強烈な動機があるということである。そうすると、そこに酌むべき事情が出てくることも少なくない。たとえ法改正で死刑や無期懲役の射程を広げたところで、実際にそれが使われるのは稀な現象ということになろう。あまり死刑を濫発すると、逆に生命の価値を貶めるかのような印象を受ける人も出てきかねない。北朝鮮の死刑について考えてみるとよい。 更生しない犯罪者を釈放することは、やむを得ない。いくら無反省だからといっても、そもそも無反省かどうかは判断するのも難しいし、立ちションで無期懲役とかにしていたら殺人犯が自分は立ちション以下とか思ったりしかねない。無期以外にもどんどん罰が重くなっていき、刑務所のパンクは決定的になるであろうし、国民の自由保障という視点の問題もあるし、刑罰という、それ自体一文にもならない行為のためにどれだけ税金が使われることか。 こうして考えると、死刑も無期懲役もなかなか使える罪ではない。大半はほかの罰を使うことになる。 それすなわち、犯罪者の大半は社会復帰することになる。 大前提を導くのがやたら長くなった。 ここから先は、私の独自の発想である。 社会復帰する犯罪者の再犯防止には更生させるのがもっとも手っ取り早いし、それ以外の現実的な方法はない。いくら保護観察をしたり、保護司さんががんばったところで、24時間監視しているわけにもいかないし、警察官などにつけ回させるのも金がかかってたまらない。結局のところ、犯罪を止めるのは犯罪者各人の意識に他ならないのである。 自分のしたことは悪いこと、もう二度としませんという意識が植え付けられる・・・そう、それこそが更生であり、社会復帰への原動力であり、是非とも成し遂げてもらいたいことなのである。 更生や社会復帰という意味では、厳罰が効果がある場合とない場合がある。 厳罰で期待できる効果はどうだろうか。 苦痛を与えてそれで悔悟する・・・というのももちろんある。だが、悲しいかな人間は慣れる生き物。およそ慣れることすらできない環境による服役は奴隷的拘束として違憲の疑いさえ生じかねない。刑期を伸ばすという苦痛による悔悟はあてにならない。 むしろ長期の罰による効果は、「長期の罰を食らうほどのことをした」ということを認識させることそれ自体に意義があるというべきだろう。もう一つ、「それだけ罪を償ったのだから、社会としても受け入れてあげようという意識がうまれる」というのも大切なところである。特に後者の考え方については、その他の更生措置では限定的であろう。 では、厳罰が更生や社会復帰にマイナス効果となるのはどんな場合か。 ある程度苦痛を受けて更生したのにいつまでたっても刑期が終わらないのでは、メリハリも利かなくなりだらだら受刑者になるのがオチであろう。長期の受刑はこの見地からはあまり好ましくないといってよいであろう。 厳罰で懲役刑にして収容すれば、犯罪者と一緒に収容されるわけだから、誘惑も大きくなろう。 また、社会との縁は一旦切れるわけであるから、これまで築いてきたものが壊れてしまう。会社員の類は100%クビ、医師も弁護士も何年もの勉強がフイになる。家族も養えない。そういう人間が起こす犯罪というのは、決して少ないものではない。実際の裁判でも、弁護人は執行猶予を勝ち取るためにこいつの仕事先は大丈夫かということを探すという。 もちろん、更生を図る以外にも、刑罰には世間一般への見せしめ的な抑止と言う意味合いもある。だが、一般市民は自分が関係した事件でない限りは殺人などをはじめテレビなどで扱われる事件ばかり興味があるのが通例(仕方ないのだが)。日常的な窃盗や詐欺なら、処罰が確実に行われてさえいればその細かい内容までは問われるのはまれな現象。 また、犯罪者予備軍とて、つかまると知っていれば短期でもやらないのが普通。「つかまらない」と言うクッションの向こうを厳しくしたところで、その効果は怪しい。 それなら、少なくとも重大事件でない場合には、もっと個々人に眼を向け、彼の更生を主眼においたほうがよいだろうと思う。 大半の犯罪者はいずれ社会復帰する、死刑や無期刑や追放刑はまず使わない、行刑にも限界があると言う「現実」を前提にすれば、現実的に犯罪を防止するために司法にできることは何か、と言う視点もおのずとできてこよう。 もちろん、これまで書いてきたのは、そうした大前提を元に私が考えた思考に過ぎない。大前提を基にしても、また違った考え方もあるのかもしれない。 でも、被害者のためと称して何年先になるか分からず、根拠にも乏しく、およそ当てのない立法論を自己満足的に主張するより、現実を見据えた量刑や行刑を考えることの方が一つのキーとなるものと信じている。 なんだかんだで、ちゃんとした被害者団体は自己満足でなく、それなりの理屈をつけて主張してきている(個人的には批判的なものも多いけどね)。だから、いくつかの彼らの主張が受け入れられるところとなっているのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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