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カテゴリ:法律いろいろ
このブログ発足から二度目の憲法記念日である。今年は施行60周年である。
個人的に憲法学がそんなに好きだというわけではないのだが、やはり基本には憲法の発想がなければならない。労働法なら憲法28条、教育法なら憲法26条、家族法は憲法24条、行刑法なら憲法18条や36条を知らないと、まともな事は何一つ考えられない。 一応法律系の記事も扱うブログとしては、憲法記念日はそれなりのイベントである。 憲法に関する記事はこれまでいろいろ書いてきた。 去年の憲法記念日の記事は、憲法はどんな法律なのか、その再考を改めて求める記事であった。ますます憲法論争が喧しくなっている現在、改めて読み直して損はしないと思われるので上のリンクから読んでくださいな。 さて、本日も当然憲法に関する記事を書くわけだが、今日の話題は大津事件である。 大津事件といえば、歴史の授業で習う人も多いだろう。津田三蔵巡査がロシア皇太子に切りつけた事件である。当時のロシア皇太子の血をふき取ったハンカチがDNA鑑定されて、一役買ったりもしている。 さて、大津事件で有名なのが護法の神とも名高い、当時の大審院長(現在の最高裁判所長官)児島惟謙である。 この事件、なんと言っても被害者はロシアの皇太子。 大津事件の起こった1891年、日英同盟どころか日清戦争の前である当時の日本が超大国ロシアと張り合う力などあるはずがない。タダでさえ大事なのに、犯人の処罰がぬるかったりしたらそれこそ日本をロシアが本気で潰すという事態が起こりかねない。実際、この事件の直後の日本の国民の多くはロシア怖いで縮み上がってしまったという。 日本政府の要人はびびった。当然、ここは死刑を適用して…と考えるのが普通だっただろう。 ところがどっこい、当時は現在に続く刑法がなく、旧刑法による謀殺未遂罪の最高刑は、無期徒刑、現在でいうところの無期懲役である。現在なら殺人未遂でも死刑にすることはタテマエ上可能(実際はやらないけどね)なのだが、当時はどうにもならない。 そこで登場願うのが皇族に対する罪としての大逆罪である。皇族は万世一系神聖不可侵、殺害などしようものなら未遂でも死刑にできる。被害者もロシアの皇族じゃないか、ここはこの罪を適用して津田を死刑にしよう・・・と声が上がった。 ところがどっこい、皇族に対する罪は日本の主権者で神聖不可侵の日本皇族に対する罪だ、外国の皇族はその射程ではないというのが、当時の法学界の通説的な理解。 政府の要人は、血相を変えて担当の裁判官に皇族に対する罪で死刑をするように干渉に出た。そのためか、一気に事件が大逆罪で地裁から大審院に持ち込まれたのだ。 そして、これに抗すべく戦ったのが児島惟謙。最初は閣僚に自説を弁じたが、閣僚の担当判事に対する説得工作が始まると、担当の判事一人一人を説得し、結果として無期徒刑の判決が出た。 ロシアの方は割りと恫喝っぽい事もいったようだが、最終的にはこれと言った要求や報復を日本に仕掛けてくることはなく、終わったのである。 この事件で、帝国憲法ができたばかりの日本では近代的に司法権が動いていると外国に知らしめた、とも言われる。日本との間での治外法権の撤廃にイギリスが応じたのは、この3年後の事である。因果関係があるのかどうかは知らないけど。 さて、この児島惟謙の行為。高校レベルの日本史でも学習するであろう。 だが、その行為を、どう解釈するだろうか。 司法の独立を守ったすばらしい行為である・・・と半ば無条件に礼賛する人は多いだろう。少なくとも私は高校までそう思っていた。 だが、ここで司法の独立という言葉から考えると、そこには現代の考え方からすれば検討すべき要素も少なくない事を注意しなければならない。 今の日本国憲法では、裁判官の独立をうたっているのは憲法76条3項である。 裁判官は、独立して職権を行い、憲法と法律と良心にのみ拘束される。 なぜなら、基本的人権をはじめ、多数の論理によっても犯しえない憲法秩序を守る最後の砦として司法が設定されている。そうである以上、その司法の基本構成員である裁判官がよその人間から余計な干渉を受けて判決の中身をほいほい変えてしまっては、最後の砦たる機能が台無しになってしまうから、裁判官を拘束してよいのは憲法と法律と裁判官の良心だけだ、という発想がある。(「良心」の意義はここからどうぞ) もちろん、干渉するのが他の裁判官であってもダメである。 長沼ナイキ訴訟という有名な判例で、「参考にしてくれ」と私信で担当裁判官に自分で考えた出すべき判決の内容を送りつけた平賀健太裁判官は、厳重注意処分を食らっているのである。(平賀書簡事件。もっとも、その後出世したらしいけど) では、ここで大津事件に戻り、児島の行った行為を、現代の視点から虚心になって観察してみよう。 児島の行為は、担当裁判官に対して謀殺未遂罪の適用を訴えている。単に一般的な訓示めいた事を述べるのならまだしも、個別の事件に対してああしろこうしろということをいっている。 これは、紛れもない裁判干渉であろう。参考にしてくれと手紙を送った平賀書簡事件どころの騒動ではない。 つまり、本来、児島は司法の独立を害した存在であると考えられても全く変だとはいえないのである。 ただし、司法内部でのそれは、司法の外からかかってくる圧力に比べれば問題として小さな事であり、政府の方から圧力が現にかかっている状況の下では、ある種の緊急避難だ、というような考え方もあるようだ。これはこれで一理ある考え方であると思う。 歴史の教科書を読むだけではなかなかこの辺の理解が難しいかもしれないが、一つ視点を変えると護法の神も疑いのまなざしで見ることが可能であるし、むしろその批判に耐え抜いてこそ、身のある賞賛もできようというものだ。 同時に、憲法の番人たる裁判官の独立の重要性に思いをいたしていただければ幸いである。 明日も有名な憲法判例から一筆ふるいます。 題材は最高裁大法廷昭和48年4月4日、まさしく「その時歴史が動いた」といってもよい判例ですよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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