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碁法の谷の庵にて

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2008年04月21日
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 今日は裁判本体の話です。



 この件で、広島高裁は、最終弁論の終了(昨年の12月4日)から、判決期日を4ヶ月半後に設定しました。
 冬休み期間をはさんでいたとは言え、秋田の連続殺傷事件で審理終了―判決が2ヶ月であることを考えれば、相当遅いと思われます。これが何を意味するのでしょうか。
 もちろん、高裁のキャパシティ上やむを得なかった可能性はありますが、私には、慎重に審理する必要があると考えたゆえだと思えます。弁護側の主張を認めるか認めないか、心証がなお完成していなかったか、いるとしても双方の主張に関して徹底的に審理、おかしな点はおかしいと潰すための時間が欲しい、ということではないのか、と思われる訳です。

 また、この判決においては裁判所の事実認定並びに量刑理由に限らず、傍論にも、ちょっと期待したいところがあります。井上薫元判事はこういうと怒り狂うかもしれませんが。
 かつて、和歌山カレー事件で被告人の黙秘権行使について批判が起こったとき、和歌山地方裁判所の判決は黙秘は一切事実認定の資料とはなっていないことを明言した上で、(これ自体は法的に当然と解されており、判決文に書く必要はない)なぜ黙秘権が必要なのか、それをわざわざ市民感情からすれば当然かもしれない、と言った上で、それでも日本の誤判防止のための訴訟構造をぶっ壊してしまう、批判の声はもっと違う方向に向けてもらいたいと言うことをいいました。
 もちろんこれは広島高裁の判事がそうすべきだ、という意味ではありません。しかし、判決傍論や関係者に対する訓戒を始め、裁判所が何を言うかは、一つの注目事項です。もちろん、何も言わないかもしれませんが。
 また、確定後に鳩山法務大臣がまた物議をかもすようなことを言い出す匂いもします。


 判決がどの方向に転ぼうと、私にはその内容を批判する材料はおそらくないと思われます。
 材料にすべき事項なら私の手元にもいくつかありますが、それにも限界がありますし、精緻な検討というべきことは私はほとんどしていないし、している時間もないからです。



 最初にこの事件をここで扱ってから2年1ヶ月ほど。その間に私は大学院に進学し、卒業しました。奇しくもここが「本格的に」この事件に首を突っ込んだ最初の記事「ますますうんざりの弁護士非難」から今日でぴったり2年です。
 しかし、差戻控訴審の実質審理は6ヶ月半だったのですから、破格の短さです。未成年への死刑適用・最高裁で無期判決を軽いとして破棄差戻しと言う点では類似する永山事件では、最高裁の差戻し判決と差戻し控訴審の判決に3年8ヶ月のブランクがありました。
 光市事件は1年10ヶ月。最初の11ヶ月は公判開始すらしていなかった訳です。少なくとも実質審理期間については、裁判迅速に関して要請が高まったとはいっても、破格の速度というべきです。それでもとろいと文句を言うのは、イチローが5割打っていないと非難するようなものですし、この速度が可能になったのは弁護人が21人ついたからでしょう。
 また、懲戒請求をした人たちは、自分たちの請求が通って弁護団が辞任すれば、裁判がもっと遅延した可能性があること、下手をすれば、懲戒請求に対応する手間のせいで審理が遅れる可能性もあったことを認めていただかなければなりません。


 それでも、判決が死刑に転んで、被告人から上告がされなかったとしても(実際上は考えにくいですが)、決して事件は終わりではありません。昨日書いたことも含め、この事件を通じて検討課題となったことは決して少なくないのですから。
 ただ、死刑判決ということになれば、ネット世論は意外と静かになるような気もします。死刑になった時点でおそらく弁護団批判派の批判行為も通り一遍のものに過ぎなくなると思われるためです。少なくとも、最高裁差戻し判決のとき、私の知るネット言論は沸いてはいましたが、意外と攻撃性を見せていませんでした。弁護団の最初の記者会見のときとか、橋下氏を弁護団が提訴した報道のときなどの方が全然沸きあがっていた印象を受けます。橋下氏騒動の時のような半分炎上状態も、判決論評のときは火種すら見つかりませんでした。(バカバカしいことを言っている人はいましたが)
 ちなみに、この事件であれば、死刑判決に対して弁護人が上告をするのは当然であると思われます。おそらく、被告人の意思を確認せずに上告をすることも許されるでしょう。被告人が嫌なら自分で取り下げて、ということです。一事の気の迷いで上訴権放棄というようなことをしては困るので、安全弁としてその程度の便法は許されると言うべきでしょう。
 ただ、上告については、バカ騒ぎをする連中がでないとも限りません。判決に対して弁護側も上訴する、というのは、たたかれていることがよくあるのです。光市の件では、不利になることなんかないのに控訴しなかったくせに…何とか言いつつ、秋田の児童殺傷事件ではすぐに控訴するなんて反省していないんだとか何とか言うようなダブスタ言説もあります。(後者の言い分を認めるなら、検察が控訴しているときに控訴しないで恭順戦略をとるというのはますます合理的な発想です)有罪判決で、検察側も上訴したあるいはすることが強く予想されるならば、普通は弁護側も上訴しておいた方が立証の方針が立てやすい(今枝弁護士談)わけですが。


 もし、無期懲役判決、ないし傷害致死罪ということでの有期刑処断なら?考えたら、想像するだに恐ろしいことになります。
 おそらく、「弁護士・未熟な人間・今枝仁」「弁護士のため息」「元検弁護士のつぶやき」などといった多数の弁護団支持(誤解のないように言っておけば、弁護方針が全面的に妥当なものだったとまで言っているわけではなく、各人各様のスタンスがあります)ブログは史上最大級の炎上状態になるものと思います。
既にたかじんのそこまで言って委員会の掲示板でさえ、すちゅわーです弁護士らの大奮戦でアンチ弁護団は鳴りをひそめていますが、判決によってどう転ぶかは、わかったものではありません。
おそらくここにも何らかの形で影響が及ぶでしょう。

というのも、死刑にならなかったのは弁護団のせいだ、という点で、弁護団批判派の怒りは頂点に達することが予想されます。判決を見れば納得…と言う予想は、正直できません。彼らは、弁護団その他が必死になって何を言おうと聞かなかった身です。
先日、謝罪の手紙について内容が公開(ニュースになったのはほんの一部でしたが)されても、中身も見ずに、「弁護団もろとも」こき下ろす人たちが多数派でした。この分では、彼らは、死刑以外の結論を受け入れる気はないし、それに茶々を入れるような言説は認めたくない…と考えざるを得ません。
つい先日、BPOが報道が感情的なものである、と手厳しく指摘した意見書がでました。しかし、それにもかかわらず弁護団がおかしいんだ、ということを言い放ってはばからず、BPOに至るまで、公開されている文章を読んだとは考えられない理屈でこき下ろす人たちも相当多数います。報告書はさらっと読みましたが、特別違和感はありませんでした。私のような法的視点からのものだけでなく、報道と言う視点からの報告がむしろ中心であり、文章としても読みやすく、これは多数の人に読んでいただきたいと思います。
なお、関連して私の学部時代の師匠(刑法学者)は「新聞にコメントしたら内容が違って書かれていた」と講義で語っていましたし、大学院時代の師匠(刑事実務家出身)2人は「一度テレビに出て奥歯にものの挟まった言い方をしたらテレビにお呼びが全くかからなくなった」「取材に来る記者を最初に教育しないといけない」と語っていたことを私からの追加情報として付記しておきます。


 他方で弁護団擁護派としては高裁判決をも盾にとって(高裁判決が全面的に正当であると言う前提に立たなくとも)弁護側の主張の何が悪いんだ、ということになります。
 もちろん、私もこれまでより遥かに辛辣な批判を繰り広げることになるでしょう。私は結果オーライをこの辺の問題ではあまり認めない主義ですが、それでも最終結論的には正しい部分もある可能性もかなり高いと考えたからこそ、多少は遠慮していました。しかし、判決がそうなってしまえば結果オーライの結果さえついてこないからです、判決内容によっては公式にその発言の問題を取り上げ、糾弾しようかと考えているところがあります。(むろん、個人的感情も前提にありますが)
 また、テレビなどに登場したコメンテーター弁護士に対しても、弁護士会は職権で調査に乗り出すべきではないでしょうか。懲戒請求という形をとることは先日の判例から難しいとしても、それならば弁護士会が社会的な問題は職権で調査すべきは当然です。マスコミ上の表面的報道だけで「弁護団は死刑廃止が目当て」とか言っていたのは何も橋下氏に限りません。彼らが十分な調査をしたのか精査し、ろくに調査をせず法律家としてのコメントをテレビ上で放ったとすれば、懲戒処分も視野に入れて断固糾弾される必要があります。弁護士個人の言論の自由は尊重されるべきですが、調査もしない発言の自由を弁護士会が認める必要はないと考えます。


 あるところで、死刑以外の判決になったら大変だろう、と書いたら、でもこれまでの議論もあるし、大丈夫じゃないか、というような意見もありました。また、むしろ再度弁護制度を理解してもらえるチャンスかも、とあくまでも前向きに捉える方もいました。
 非難するつもりはありませんが、すでに多数箇所で議論が進展して、判決が出て、今なお理解しない、しかもそれでも突撃をかけてくる方々相手に、あの膨大な大論陣を見ろ、といったところで話は進まないように思います。
 総論として被告人の利益になることが分かっていても、刑法体系とかがわかっていないので各論になると全くの意味不明になってしまうのは、当ブログでも経験しています。イッパンロントシテケイジベンゴハヒコクニンノリエキノタメニオコナワレルベキ・・・と音で憶えていても、それだけでは理解できたかどうか怪しいものだ、ということは、映画「それでもボクはやってない」関連で指摘いたしました。
 刑事弁護は、所詮は多種多様な社会現象の一つに過ぎませんから、音で覚えること自体は仕方ないかもしれませんが、それを盾に自分は中立だ、みたいなことを考えられると、大変困ってしまいます。判決で、これまで理解しているように見えた人たちのその陥穽が如実に現れてこないか、というのも一つの懸案事項です。


 もちろん、裁判所はこんな外野のことにとらわれず、判決文も既に用意したことでしょう。こんなよそごとを気にして判決を決定したと言うのであれば裁判官失格です。(神業のように論理を駆使して気にしてもいいといって欲しい気も実はするのですが)
 
 個人的に、判決予想は禁句とします。



 最後に。

 なくなられた本村弥生さん並びに夕夏ちゃんの命日(つまり犯行日)はつい先日、14日でした。
 二人のご冥福を改めて祈ると同時に、適正な判決
(それが死刑だ無期懲役だというのではなく)が下されることを願って止みません。





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最終更新日  2008年04月21日 12時48分17秒
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