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碁法の谷の庵にて

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2008年07月31日
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カテゴリ:社明運動記念特集
社会を明るくする運動の強化月間も今日で最終日です・・・しかし、未だに反応なし。TBが百花繚乱にやってくる・・・などとはさすがに想定していなかったけど、完全な無反応ってのは…無反応であることについて思うこともあるのですが、それは後日「大法原」の方に。
ちなみに、標語を募集していたので、一つだけ作って法務省に送ってみました。何かの間違いで入選したらここで公表しようかと思います。
そういえば、福島で仮出所者のための施設が地元で反対運動にあっているようです。事前の周知徹底という意味で行政側にも小さくない落ち度があったようですが・・・


さて、今日は社会を明るくする運動と被害者問題についての関連を話したいと思います。私が大学院で元裁判官の師匠から一つ大切なことだと教わった刑事政策観の一つであります。(もちろん、教わるという過程を経て私の脳内で変質している可能性はあります)というか、大学院で一番身につけたのはそういう認識かもしれないな、と思ったり。なにやってるんでしょうかね。


「おかえり」

という言葉に代表されるように、社会を明るくする運動はいったん罪を犯した人たちの社会復帰を一つの大切な目標にしています。もちろん、これは地域の目を強化して非行の芽を摘もうというような犯罪を防ぐべき運動の一つにすぎません。その意味で、この運動が「被害者を生まない」ものであるということは、以前も指摘いたしました。

では、一旦罪が犯されたとして、「その」被害者は、「犯罪者の社会復帰と言う視点において」どうでもよい存在なのでしょうか。

それはノーである、というのが今日の話です。


犯罪者が社会復帰するに際して、最大の問題は犯罪者であるということそれ自体に伴う偏見、というよりは社会の側に存在する拒絶反応です。そうした拒絶反応は行き過ぎれば再度の犯罪とて生む…というのも、これまで指摘したとおりです。ちなみに、私が作った標語もそうした拒絶反応に関してつくったものです。

そして、社会の側が被害者に同情し、そこに拒絶反応が大きくなる現象がどうしても存在します。その「行き過ぎ」は私自身かねがね批判してきましたが、現実として存在することは否定できませんし、またそのような感情が全面的に否定されるべきではないのも当然です。それ自体、社会の側の犯罪に対する免疫反応の原動力と呼ぶべきものであるでしょう。
では、その免疫反応を和らげ、犯罪者を改めて社会に迎え入れるためには何が必要でしょうか。社会と犯罪者、場合によっては双方に努力を説くことや、彼も普通の人間であり簡単に再犯しないというお題目を説くのもそれ自体は必要だと思いますが、「それだけ」では何の解決にもならないと思います。いかに理屈を説いたところで、免疫反応は自然なものであって簡単に制御したりできるものではないからです。


それを促進するために必要なのが、彼が社会から受ける「赦し」であると思われるのです。彼はこれだけの罪をしたかもしれないが、これだけの苦痛を受けたんだから、これだけの償いをしたのだから、もういいだろうという心、「おかえり」と言って迎え入れられる心を市民が抱けるようになることが大切なのではないか、ということです。
無論、これは理想論にすぎません。現実問題としてそれがなされているとは言えず、黙っていたほうが社会に戻れるという悲しい現実があるからこそ、例えば少年犯罪であれば実名報道は禁止されます。ある意味では臭いものにはふたと形容すべき発想ですが、それが最も平和だ、ということにならざるをえないのです。


さて、ここで大切なのが被害者の存在です。
被害者を置き去りにして社会との関係を修復する・・・というのは、極めて厳しい相談であろうと思います。被害者に存在する一定の属性などによって被害者より社会との関係修復が先になってしまうという可能性自体はあると思いますが、被害者の側から率先して許しを得られるようになれば、それに越したことはありません。それによって社会の側もこぶしを振り上げる理由を失い、また被害者自身が許すならば社会の側の方がより許しを得やすいと考えられます。


ちょっと話題がずれますが、近年刑事法において注目されている新たな考え方に、「修復的司法」というものがあります。私の学部時代の刑法の師匠の一人が日本におけるこの考え方の第一人者で、多少なりとも話を聞いています。
修復的司法と言うのは、犯罪と言うのを犯罪者・被害者・社会との間でのコミュニティ破壊活動ととらえます。その上で、刑事司法の枠組みを旧来のように罪に対する応報ととらえるのではなく、犯罪者・被害者・社会との間でコミュニティを元に戻す(法的平和の回復)ためになされるものと理解します。
無論、犯罪が破壊活動である以上、彼らの間で再度コミュニティを築き上げるのは至難の業です。よほどうまくやらなければ、かえってコミュニティの破壊を促進してしまう危険さえもはらんでいることは、十分に理解しておかなければならないでしょう。



犯罪を起こさせないためには、こうした視点が不可欠なのです。





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最終更新日  2008年07月31日 18時21分49秒
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