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碁法の谷の庵にて

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2009年08月01日
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カテゴリ:その他雑考
遅くなりました。Hide-w氏への反論に集中しがちになっていますね…。


> 「ルール違反」を他人に対して主張する背後には、「俺には何がルールか判断できるんだ」との傲慢な姿勢があります。このような姿勢を容認するならば、議論はもはや、完全なるパワーゲーム、「自分ルール」の出し合いにしかならないと思うのです。

自分ルールの出し合いと言いますが、と言ってルール完全無用では、議論というのが成り立たない(少なくとも社会的に意味ある行動にならない)のも確かであるでしょう。ルール無用に怒鳴っていればいいなら、犬同士の威嚇の吠え合いと何も変わりませんし、人の言い分を無視して言いたい放題というのが許されてしまうと、ギャラリーには、そうやって無視した言い分を正しいと思われてしまう可能性だってなしとはせず、苦労して出した言い分が結局無意味(むしろ有害?)になってしまうということもあり得ます。
刑事裁判では、証拠に基づいて認定をするのにもかかわらず、やっぱり検察側が論告、弁護側が弁論をします(もちろん、論告や弁論それ自体は証拠ではない)。場合によっては、既に調べた証拠について証拠能力がないじゃないかと主張することもあります。
これは、裁判官が証拠を見ただけでは十分ではないかな、という判断があります。

>具体例を挙げるなら、炎上というネットの現象が分かりやすい。あれなどはまさしく「自分ルール」に従って、「許されない言論を潰すんだ」という人間が数にものを言わせて発言そのものを封じ込めているわけです。

炎上と言っても、少なくとも「批判コメント殺到」という事態について、それ自体がいけないとは言えないと考えています。
私が炎上において問題視するのは、炎上させる者における品性のなさ(侮辱語濫発など)、読まないでの批判、ややもすると危害をちらつかせるなどの不法行為(炎上において大概それは起こる)です。

>より問題なのは、そうした争いを外から見ている人が「なんだか色々『ルール』があって大変そう…。入りにくいなあ」と思ってしまうことです。何事もそれなりの勉強が無いと説得力を持った言説を生み出せない、という程度の共通認識はあるでしょうが、「そもそも発言自体許されない」という局面がある、というのは、相当に過度なプレッシャーを生みます。これではそもそも言論の市場自体が形成されにくくなってしまう。

私自身、「およそ全ての発言自体許さない」ということはありません。ただ感想を述べるだけだったら、私もとめなかったし、バッシングも問題にならなかったでしょう。
私は「一定の内容を持つ批判をするには、それなりの証拠なり論理なりを持ってこい」と言っているのです。

>これは、議論においては違反者に制裁が無いのだからルールは客観的でなくてもよい、という趣旨でしょうか。だとするならば、事実上の制裁がありえる、しかも量・質が不確定にされうる、という批判をしておきます。

事実上の制裁がある、しかも量・質が不確定にされうるというのは間違いありません。
しかし、それは言論に伴う当然過ぎるデメリットです。このようなデメリットから解放されることは、例え「ルール内の言論」であろうとあり得ません。そのために言論の自由は地位が高いとすら思っていますから。

>潜在的なルール違反、というのは一体誰が決めるのか、というのが私の疑問です。例の「期待しない」発言だって、私の「勉強不足」発言だって、どのようにとらえるかはルーラ氏もおっしゃるように人それぞれです。それを「ルール」といういかにも客観的な言葉で規定しようとすることに違和感がある。また上げ足を取るようで恐縮なのですが、「喝を入れる」という表現を見ても、なんとなくルーラ氏は自分と相手を同等のポジションに見ていないような気がするのです。この辺の「姿勢」には、やはり私は賛同できないんです。

人にもよりますし、傾向的なものはあると思いますが、まじめに調べ、きちんと主張を組み立てる人と分かれば、同等以上とみます。「この人には勝てない」と思った(勝負事ではないことは百も承知)ことも何度もあります。
この人はジャンルによる偏りが激しいと思うこともありました。

>民事訴訟の話は当てはまらないと思うのです。責問権にしても、行使するのは当事者ですが、その妥当性を判断する者(=裁判所)が別に存在しています。

一般的な議論だって、裁判所・裁判官という明確な形が存在しないだけで、ギャラリーは審判をします。
もちろん、私もhide-w氏の論戦?において、審判がこれは分からないんですけど、と言えば私は質問に答えます。

>まず「不当に利する」というのが具体的にどういうことなのかが私には分かりません。私にとっては、議論で大切なのは説得力です。「利する」という以上は、私にとっては説得力が増す、ということなので、その場合にそもそも「反則」がありうるのか、つまり、反則によって利することがあるのか、という疑問があります。

はっきり言って、あり得ると思います。相手の言い分を殊更なかったようにしてしまうとかだと、事実上握りつぶされてしまいます。ギャラリーが裁判官のように責任ある立場でない以上、声の大きい方の言い分が通ってしまうということもあるのです。
ちょうど、あの弁護団バッシングのように。

>まあひとまず、仮に「反則によって不当に利する」場合がある、としましょう。しかしその前提に立つなら、「実はルール違反でもなんでもないのにルール違反だと主張すること」もまた、不当に利することになります。一体その判断は誰がやるのでしょうか。(中略) とおっしゃっていて、実際にはそういうことになるだろうとは私も思います。しかし、「良識ある判断」が期待できるか、そもそもそれは何なのか、というのがよく分からない、ということは上で述べました。

確かに期待できない場合も少なくありません。しかし、言わないでおいて、おかしな方向に議論が評価されてしまうのを放置するよりは、ずっとまともであると思えます。

>どうせ最後は周囲の判断に依存するんだから、法律に違反しない限りはなんでもありにした方が分かりやすいよ、というのが私の考えです。

確かに分かりやすいし、分かりやすいに越したことはありませんが、分かりやすさだけでルールは決められません。議論を無法地帯にする見解と思えてなりません。侮辱的言説は、議論上避けて通れないことだってありますし(「いや、それは違う」だって全く侮辱でないかと言ったら怪しいもの)。
審判のいない小学生の休み時間のサッカーだって、ハンドはだめ、ハンドをしたら相手チームが指摘したりなんてことがあります(というか経験談)。
分かりやすいルールにやたらこだわって過度な単純化を行って簡単なことをワカリニクくするなを連発しているのが、あのhide-w氏です。





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最終更新日  2009年08月01日 21時12分37秒
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