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碁法の谷の庵にて

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2013年09月02日
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カテゴリ:囲碁~自分のこと
 「囲碁で人生を棒に振る」なんてことを書いたことはありましたが、今日は「囲碁人生」を棒に振った話です。
 

 まず、私が強くなった経緯を、少し書いてみましょう。

 なお、これをやったから○○になれるとか、逆にこれをやらなければ○○になれないという趣旨のものではないということを先に宣言しておきます。


 私が高校の囲碁部に入ってからは、私はよい師匠や相手に恵まれましたし、私はめきめきと腕を伸ばしました。高校に入ってから高段者への到達は1年足らずでした。
 高校の強豪クラスとまともに勝負するまでにはさらに時間がかかりましたが、アマの低段程度から一気に上の方まで駆け上がったスピードは超速級と言えると思います。小中学校の選手権に出てたような人たちを相当な人数追い抜いているはずなので、手前味噌ですがこれはすごいことです。

しかし、です。
ではどうやって強くなったのでしょうか?よく言われる強くなるための方法として、棋譜並べだの詰碁だの問題集だのを「解く」というのは言われますが、前者は5年以上、後者は10年以上全くやっていません。お勧めする人はいますし嘘とも思いませんが、私からは人に勧められません。
私の周囲には異常な研究量を誇る強い学生がやたら多かったですが、彼らがクレイジー(褒め言葉。実際碁クレなどとよく言われていた)であるとしても、棋譜並べの量、問題の解き方、流行形の研究量など、聞く限りとても私の及ぶところではない、と考えています。



では彼らに及ばない私になぜ高校以降の急成長があったのでしょうか。そこで思い当たることを話してみたいと思います。

私が誰に話しても驚かれるのは、「物心ついた時には碁を始めていた」ことです。
誰かに碁のルールを教えてと頼んだり、碁のルールを教わったという記憶さえありません。単に石をいじって遊んでいたわけではなく、19路盤で、コウ立ても打っていたり、二線のハネを何度も切られたり、習ったことのないシチョウを最後まで追いかけて(もちろん、相手もちゃんとわかっています)石をたくさん取ったり,本で読んだ打って返しを決めたのに負けちゃってがっかりという記憶がちゃんとあるのですから。

碁のルールを教えたのは曽祖父(母方の母方の父親)である、というのは周囲の証言です。しかし、実際何度も打ってもらった記憶はあるのですが、「ルールを教わった」記憶はありません。

例えばアマチュアの県代表のプロフィールを見ると、小学生の頃からというのが普通で、幼稚園の頃、5歳ころからと言うのがたまにある程度。
プロに目を向けても、ほとんどが5歳程度です。分かっている限り数少ない3歳開始の例である小林覚九段は3歳でスパルタ英才教育を受けたそうです。
もちろん、私個人としては別に強制された、と言うつもりもありません。曽祖父と打っているのはとても楽しい時間でした。
幼稚園児の頃には、もう曽祖父に勝てるようになっていたと思います。曽祖父はアタリに私が放置すると「取っちゃうよ」と言うのですが、自分はそれでもいいと言って打ち続けることがたくさんあったのを今でも覚えています。ごくごく初歩的ながら捨石(見切り?)もできたのですね。



・・・さて、曽祖父と打たなくなっていた小中学校時代はどうだったのでしょうか?
小学生の頃には段持ちくらいになっていたと思います。



私に立ちはだかった問題は誰が私の相手をしてくれたでしょうか、ということです。

実は、「相手などほとんどいなかった」のです。淋しくずーっと同じ本を読んだり、石を並べて遊ぶことが常態化していました。
曽祖父は私が小学校低学年くらいで介護を受けるようになって碁が打てなくなり、やがて亡くなりました。碁の相手は私の父くらいになってしまいました。父はけっこう強いのですが忙しく、そう滅多に打てません(そもそも別居していた曽祖父から教わっていたという時点で…)。

学校などで碁を打ちたいと言っても、囲碁部もなく、当時はファミコンetcの全盛期。皆そちらに関心を持っており、囲碁をやりたい私は全く相手にされませんでした。
私が碁会所とかに行きたいと言えばよかったのでしょうが、「なぜか」私はそう言いませんでした。理由は私にも覚えがなく、周囲に反対された記憶もなく今もって不明です。碁会所なんて周囲にないと思っていたのでしょうか?
相手は欲しかったらしく、自分で他に教えて相手を作ろうとしたこともありましたが、全くの空回り。今だってうまくできるかと問われて首を縦にはふれませんが、ましてや他の同年代の囲碁友達のいない(つまり自分以外知らない)小学生の脳みそで他人に碁を教える等無理も甚だしかったです。また、まだ赤ん坊の弟に局面を蹴っ飛ばされ、怒ったら弟が泣き出したと言って叱られ、自分の方が泣いた記憶もあります。

そんな中、僅かに相手がいることが分かったのが将棋で、結局将棋に関心を移し始めてしまったのは小学校5か6年の頃。
その頃にかの羽生善治が全盛期を迎えていたのも一つあったでしょうね。父親も時間が比較的短くて済む将棋の相手は割とやってくれました。今でも将棋は好き(NHK杯で見たりする分には、囲碁より好き)です。

中学校に移った時も、私が「入った年から」囲碁将棋部が潰れてしまうという不運(もっとも碁はやってなさそうでしたが…)に遭遇し、結局相手はいませんでした。
当時はネット碁は普及してなかった(と思います)し、家にパソコンが入ったのは高校に入ってからでしたから、リアルで相手がいなければはっきり言ってどうしようもなかったのです。

・・・とこんな具合で、私は何とおよそ丸8年ほど、しかも小中学校と仕込めば特に強くなりそうな時期をほとんど棒に振ることとなったのです。本当にたまに父親とは打ってましたし本は読んでましたから熟成期間にはなったかもしれませんが、お世辞にも強くなったとはいえません。



高校で碁を再開したのは、「それでも将棋よりも碁が好き」だったからです。
私が高校に入学した当時は「ヒカルの碁」が一世を風靡した時期でもありますが、ヒカルの碁を本格的に読み始めたのは、囲碁部に入ってからで再開とは関係ありません。
将棋部もありましたし(クラスメイトの一人が大会入賞レベルに強かった)、普通に考えれば、ここから将棋その他に転向したって全くおかしくない話です。囲碁将棋部で将棋をやろうとしたら顧問が囲碁ばかりやるので囲碁に転向して強くなりました、と言うような例も聞いたことがありますし。

そこから恵まれた条件下にあったとはいえ、前記したようなクレイジーな方々とは及びもつかないような勉強しかしていないにもかかわらずぐわーっと伸び、学生で入賞、県代表を取るに至ったことを考えれば、3歳から小学生までに碁を打てるようになっていたというのは、とてつもなく大きなことだったという可能性があります。
もしその期間に打てていたら、今は代表常連かはたまたプロか、などと不遜極まりないことを考えることも正直あります。


もちろん、実際にはこれこそ私に一番合っていたという可能性もあります。周囲に埋没したらやる気をなくすなんてことも、私の性格からすればありそうな話です。

しかし、例えそうだとしても、私は「私の真似をして」8年間相手もほとんどいないまま後から初めて碁が強くなってほしいとはとても思いません。
もしそうしたいという人がいたら(いるとは思えないけど)、そんなことより打ちましょう、自分が空いていれば自分が相手するし、自分で無理なら他の人と打ったらどうですか?と勧めます。

そして、幸いにもと言うべきか、今は私が小さい頃とは事情がかなり違います。
小中学校団体戦では、他ならぬ私の母校が小中とも県代表として全国大会出場に至りました(別に私が1枚噛んだりはしていません)から、打ちたいならば仮に碁会所が周囲になくとも仲間は簡単に見つかったでしょう。
また、ネット碁も普及しました。整地もできないくらいネット碁だけで強くなった人がアマ全国大会で上位に入賞する時代になりました。


   
 私のような育ち方をする人間は、私で最後であってほしいと思っています。
 運よく3歳とかで碁を覚え、そこで碁が好きになったなら、小中高大社会人と良い相手を見つけて碁ができるようになってほしいのです。


 将棋の話になりますが、『月下の棋士』で、将棋を一人で覚えたという棋士相手に主人公が「お前は世界一不幸な男」と言い放ったシーンがあったと思いますが、世界一かどうかはともかく、不幸であるということに賛成します。
 囲碁は二人で打つものです。例えネットであろうと、頻繁に打てる囲碁仲間や師匠を見つけましょう。かつては運もあったかもしれませんが、今はネットの世界に出て学ぶこともできます。
 それが、私の視点から言える、強くなる、かつ楽しく打つための最大の秘訣だと思います。





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最終更新日  2013年09月02日 18時30分07秒
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