碁法の谷の庵にて

2018/11/03(土)16:07

懲戒請求者は現実逃避しているのではないか。

事件・裁判から法制度を考える(217)

大量懲戒請求に対し,ついに佐々木亮弁護士や北周士弁護士、嶋﨑亮弁護士らから,反撃の提訴第一陣がされることが報じられました。  殺到型不法行為(佐々木弁護士にも記事で用語として使っていただきました)のリーディングケースとして,理論的な検討も期待しています。  ネット社会において,殺到型不法行為は懲戒請求に限らず簡単に発生しうるもので、どのように対処するかの考え方は本来なら実務で確立されていてしかるべきであったと思います。  ところが,目ぼしい考え方や線引きを示す判例もなく、五里霧中状態で更に回収リスク・そもそも犯人不明であるなどが重なり,被害者が泣き寝入りを余儀なくされるケースも多く,結果として判例もなくなり、実務の発展を遅らせてしまっていたと思います。  どのような考え方や線引きを裁判所が採用するのか判明するだけでも、実務にとって重要だと思います。  僅かでも減額されれば上訴審の判決を聞くためだけでも最高裁まで持って行く価値はあるのではないでしょうか。  もちろん,泣き寝入りして自分の仕事をやると言う選択をする弁護士も多く,それはそれで非難できない選択であろうと思いますので,地裁で止めたとして非難するつもりは決してありません。外野の勝手な期待です。  さて,今日は理屈とは別の話をしてみます。それは懲戒請求者の「現実逃避」です。  親族などに名前を使われてしまい全く心当たりのない方を除き、実際に懲戒請求をしてしまった者が本件にどう対処するか。  非常に大雑把ではありますがこんな風に分けられると思います。  ①弁護団からの5万円支払い+謝罪による和解(通称:ノースライム基準)呼びかけに応じる。(ちなみに北弁護士は訴え提起される前の方は今でも応じる気らしいです)  ②裁判もスルー。あるいは裁判所に何となく来てみたり,なんとなく出回ってる答弁書を出してみたりするけど、準備も何もなく成り行き任せ。コピペの書類を出して終わり。  ③何としても勝訴して自己の主張の正当性を信じさせるべく,裁判の場で徹底的に戦う。  さて,このうち①で弁護団の和解呼びかけに応じたのは,現段階で960人の懲戒請求者のうち20人、およそ50人に1人程度であることが明らかにされています。  中には反省の態度が全く感じられなかったりして突っぱねられたり,5万円すら払えず和解を諦めた懲戒請求者もいるかもしれませんが,大半の懲戒請求者は,何もしてこなかったと判断していいでしょう。  また,光市弁護団に懲戒請求をしたおよそ600人は,各都道府県弁護士会に懲戒請求を退けられた際に誰一人日弁連に異議を申し立てなかったそうです。  今回がそれと同質であるとすれば,③「徹底的に戦うために和解に応じなかった」と言う者は皆無ではないかもしれませんが,少数派に属すると考えます。  おそらく,940人の大半は②の「スルー」や「形ばかりの訴訟行為」で終わってしまうのではないでしょうか。  ②と③の境目も難しいですが,弁護士に依頼したり,そうでなくとも本気で勝訴すべく戦うという選択を取ろうとするのは940人中30人にも届かない。私はそのように予想しています。  私は,懲戒請求者の多くは,現実逃避に走っていると推測しています。  自分が自分なりの正義感でやったことが誤りであるということを認めたくないという心理のあまり,逃避に走ってしまうと言う訳です。    そして,逃避の方法は一つではありません。  裁判の場に出てこず,いよいよ財産の差押えを食らいかねないような状態になるまで無視するのも逃避の一形態です。  判決を食らってもスルーし、最後の最後で例えば給料の差押などを受け,勤務先に事態が知れ渡り,逃避する逃げ道が完全に塞がってしまってはじめて弁護士に泣きつく。  大体がもう手遅れですが,この件でなくともよくある話です。  ネットで意気軒昂な懲戒請求者&その支持者も,全員とは言いませんが多くはある種の逃避をしているように見えます。  大半の懲戒請求者は,それがどんなに独善で間違った論理であろうと,彼らなりの正義感に基づいて懲戒請求をした,あるいは懲戒請求を支持したのであろうと思っています。  そのため,自分が間違っているという現実を認めるのが辛い。  だから,君は間違っていないよと言ってくれる見解があれば,それが素人理論や陰謀論であろうとそれに飛びつくことで,自分が間違っているという現実から逃避しているように思えるのです。     いやな現実は見たくない,自分に光を見せてくれるものに飛びつきたいというのは,誰にも存在する心の弱さなのではないでしょうか。  当の弁護士でさえ,依頼者に有利に主張していくという職務上,そういう「都合のいい理屈に飛びつく」心理が正当化されやすい一面もあることは否定できません。(そういう弁護士が有能かは別論です)  少なくとも私自身は,そんな心理は自分にないと断言したら嘘つきになってしまいます。  毎日新聞で,匿名で取材に応じた弁護団と和解した女性を「人のせいにするのか!!」と非難する人も少なくない中,私がこの女性をあまり非難する気にならないのは彼女は曲がりなりにも現実と向き合い,責任を取るという選択をしたからです。  当初の懲戒請求がアホな行為であることは当然として,そこで自身の過ちを認めて責任を取ると言うのは例え金銭的には得な手法であろうとなかなかできることではないからです。  一度拳を振り上げたばかりに自分が間違っていたことをいつまでも認めることが出来ず,最後は盛大に自爆…という方はこの仕事をやっているとよく見るので,そこまでできるだけでもすごいじゃないかという感覚を持っているのです。    最後に,twitterで検索してみた所,懲戒請求者を提訴した弁護士を非難する人たちのプロフィールに並ぶ言葉は「パヨク」「日本領土回復」「売国奴」「反日」と,愛国者の立場から愛国的行動をとらないことを批判する立場の方が多いように思われました。  (上記の表現は私なりに頑張ってオブラートに包んでいます)  なので,あえて愛国心という立場から上記の現実逃避に一言申します。  国を守るにあたっては,現実逃避は効きません。  どんなに都合の悪い事実が出て来ようと、自分に都合の悪い現実を見据えるのが嫌,ということでは国は守れません。  憲法で国は守れないと批判する愛国者諸氏が,現実逃避していたら守れる国も守れないことが分からないはずはないでしょう。  263年,三国志で劉備や諸葛孔明が建国したことで有名な蜀漢は滅亡しました。  この時、時の皇帝の劉禅は,「敵である魏が攻めてきた!!」という知らせを受けたのですが,彼は「占いによれば魏は攻めてこない」という佞臣の進言を信じ,現実逃避にすがって知らせを無視してしまいました。  劉禅の臣下の姜維は朝廷が援軍を出さない中でも主力軍をずっと足止めしていたので,朝廷がしっかり対処していれば滅亡を免れる可能性は十分にあったと思われるのですが,肝心の皇帝やその取り巻きが現実逃避にすがった結果,国は滅亡したのです。  蜀漢は弱小国だったので遅かれ早かれ滅びてしまったでしょうが、魏が攻めてきたと言う現実を見据えていれば,少なくともこの侵攻に対してはより強固な抵抗が出来ていたことでしょう。  現実逃避は国を亡ぼすのです。  現実逃避すれば,自分の心の安寧は保てるかもしれませんし,一般の方がそうやって心の安寧を保つことを私は責めません。  そうでもしないと鬱で首を吊ってしまいかねないような人だっているのですから。  しかし,国を守る立場の人間が「自分の心を持たせるために現実逃避する」ことは絶対にあってはならないことです。  インパール作戦における自身の責任から逃避したいあまり、戦後に自己正当化の弁を繰り返し続けた牟田口廉也中将が現代においてどれだけ嫌われている存在か位は知っているでしょう。  確かに,見せられた現実に対して「本当にそれが現実なの?」と疑う心自体は持っていてもよいでしょう。流言飛語に踊らされると言うこともよくある話なので,情報の真実性を見極める姿勢自体は重要です。  しかし,自分に都合のいい見解だけを事実と認め,それ以外は権威や公的機関の発表すら陰謀論やポジショントークで片づけてしまうようでは,間違った情報だけを信じることになりかねません。  あるいは,何の情報も信じることが出来ず,行動指針が絶無になりかねません。  それなら,まだしも権威や公的機関の発表によりかかる方が全うなものです。  まして,一個人が楽しみでやっていることならいざ知らず,国のために重要なことならなおのこと,その情報の取捨選択には責任が伴うはずです。  それすらも分かっていない・分かっていてもできない人が,何故に愛国者を名乗れるのでしょうか。  自分に愛国者たるほどの心構えがないなら,愛国者を名乗ることを自ら封印し,真の愛国者の評判を自分もろとも下げないことも,また愛国の一つの形と言えましょう。

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