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カテゴリ:事件・裁判から法制度を考える
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ベトナム人殺人事件 裁判所が勾留却下 先月5日、富山市の側溝でベトナム人技能実習生のグエン・ヴァン・ドゥックさんが遺体で見つかった事件では、同居していたベトナム国籍の技能実習生、ゴ・コン・ミン被告(20)が死体遺棄の罪で起訴されました。 読んでみた感想は、 「富山県警ってバカなの? これを指揮した警察官はどうやって警察官の採用試験受かったの? 捜査担当した警察官はせめてヒラ巡査くらいには降格処分して今後の捜査から外さないとダメだろ?」 です。 「任意」と称して被疑者を宿泊させて帰さず連日連夜取り調べる。 これは、逮捕や勾留の厳格な期間制限を潜脱するばかりか、被疑者は逮捕されていないので国選弁護人を依頼することもできず、下手をすれば自分が何の罪で取り調べられているかすらもわからず、孤立無援の状態に置かれます。 皆さんは氷見事件と呼ばれる事件を知っているでしょうか。(wikipediaはこちら) 連続性犯罪を犯したとして無実の男性が有罪判決を受け刑務所に服役した件ですが、実はこの事件の冤罪の構図も、「任意捜査」と称して逮捕せずに連日取り調べ(流石に宿泊はさせていませんでしたが)、結局男性は虚偽の自白に追い込まれ、後日偶然真犯人が見つかったことで冤罪が明らかになりました。 富山県警は、逮捕前の任意捜査で自白するまで取り調べるという捜査手法が冤罪を招くということはこの事件で嫌と言うほど学習しなければならなかったはずです。 司法試験の受験生なら任意捜査の適法性と言うことで高輪グリーンマンション事件を思い浮かべる方も多い(実際私も真っ先に高輪グリーンマンション事件を思い出しました)と思いますが、当事者が富山県警であるという点で、あえてこの事件については氷見事件から切り込みたいと思います。 つまり、氷見事件と同じ富山県警が、同事件で無実の男性を虚偽の自白に追い込んだ捜査手法をもっと危険・悪質な形で導入しているという事態には驚愕の一語です。 まして、今回の被疑者はベトナム人です。どれだけ日本の法令に詳しいか、日本語ペラペラかはわかりませんが、年齢からすれば到底自分で適切に弁解することは望めないとみるべきでしょう。 しかし形式的には逮捕も勾留もされていないため、彼は捜査対象の殺人事件について国選弁護人を依頼することすらできず、金がなければ私選弁護人も頼めず、殺人事件に関して適切な弁解など出しようもありません。 実は無実なのか、正当防衛の類など適切な弁解がある案件でも(死体遺棄では起訴されているそうですが、正当防衛の類だとしても死体を見れば怖くなって遺棄してしまうことは別におかしくない)、日本語もわからず日本の法律もわからない被疑者は出しようがなく、孤立無援に追い込まれます。 日本生まれ日本育ちの氷見事件の男性ですら虚偽の自白に追い込まれたというのに、日本語すらわからないベトナム人の被疑者がこれで真実を話すと考えているのならば、ただのバカと断じてもいいでしょう。(県警がどうやって通訳を確保しているのかもそれはそれで興味がありますが…) こうした警察の「任意捜査を利用して国選弁護人もつかないままに先行して自白を取る捜査方法」に対しては、今回の富山簡裁に限らず、日本中の裁判所が断固たる措置をとるべきと考えます。 重大な事件だからなどと言って許してしまうと、なし崩し的に捜査の原則が骨抜きになってしまいます。 ※※追記(6/5)※※ 県警幹部曰く(こちら参照) 「殺害現場となった自宅のアパートにゴ被告を戻すことはできず、県民の安全のために今回の措置を取った」 見苦しい弁解にもほどがありますね。 もしかしたらこの県警幹部は直接は関与しておらず、士気維持などを踏まえて「現場の暴走」に必死に理由をつけているのかもしれませんが、まったく理由になっていないと思います。 せめて裁判所の認定は事実誤認だとかいうならまだ話も変わったのでしょうが… 私がこの件で今の所検察官に矛先を向けていないのも警察の暴走を尻拭いさせられている可能性を考えているため(警察が暴走したからと言って勾留の必要性が消滅するわけではないと思われます)ですし、検察官もまさか特別抗告状に「県民の安全のため」なんて書いてはいないと思いますが… 刑事訴訟法に定められた逮捕要件が整っていないなら、県民の安全でも被害者の安全でも被疑者当人の安全でも逮捕してはいけません。 しかし、住所に戻れず固定住居が用意できないなら刑事訴訟法60条1号に当てはまりますし、6日も延々調べ続ける程度の嫌疑があるなら、それで十分逮捕状も取れるでしょう。 たったそれだけの簡単な結論なのです。 なお、被疑者当人が自殺しかねないなら警察官職務執行法上の「保護」の手続を使います。 しかも、「どうしても住む場所がないから住居を準備してあげた」ならその間取り調べをしなければよかった訳ですが(普通なら役所の福祉課や国際課にでも連れて行くのが限界だと思いますが)、実際にはずっと監視下で取り調べを行ったと認められています。 現在最高裁に特別抗告ということですし、最高裁は「これらの取り調べは違法」とは考えつつも「事案の重大性や必要性」などと理屈をつけて「取調べは違法だが勾留は認める」というような結論を出す可能性も正直あると思います(要は私が最高裁を信用していないということです)。 重大な事件で事件が重大だとかで勇み足に緩い対応をとってしまう。 私が弁護人なら「絶対許さん!!」と噛みつきます。 しかし、私が裁判官だったら、「ちょっとした勇み足、事案も重大だし、当人も抗議してないし別にいいじゃん?」というような対応を取りたくなる可能性はあると思います。 しかし、「本当はダメなんだけど今回だけだよ…?」という対応をとった結果、そういった例外的な対応が「標準」になってしまい、なし崩し的にさらに踏み込もうとする事例が現れ、原則が歪められることはよくあることです。 前記した高輪グリーンマンション事件も、「本来よくないんだけど、重大事件で必要があったから見逃す」という判決で、それが今回のようなより強烈な事態、しかもそれで社会的に注目を集めた冤罪を出した県警が性懲りもなく繰り返し、弁解にもなっていない弁解をマスコミに堂々とコメントするという救いようのない事態を招いたと思います。 高輪グリーンマンション事件では、二人の裁判官が「違法である」と反対意見を書き、その理由に「捜査官が、事実の性質等により、そのような取調方法も一般的に許容されるものと解し、常態化させることを深く危惧する」と書いていました。 反対意見の示した懸念が的中してはいないでしょうか。 ※※追記(6/10)※※ 最高裁も特別抗告を棄却したと報じられました。 第1次追記のような懸念が当たらなかったことは何よりです。 富山県警もこんなくだらない手法を使わず堂々と逮捕状を請求していればこんな問題にはならなかったでしょうに… ただ、公判になった別件死体遺棄での勾留はされているそうなので、そこで被告人の恐怖心などに付け込み、「任意」と称する取り調べを延々と継続してくる可能性はあります。 そして,公判裁判所が任意捜査で殺人の追起訴を待つために公判を延々と開き続け、いつまでも追起訴を待っているようなことが許されると、結局こうした違法捜査と同じ結果を出来させることになりかねません。 その場合、下手をすると「殺人について逮捕・勾留されていた方が国選弁護人がついて期間制限もある分マシだった」という事態になるリスクさえもあります。 特別抗告まで棄却されたような状態でなおも「任意捜査」など怖くてやれないのではないか…と思いたいですが、そんなのにビビる神経があるなら最初からこんな取り調べ自体やらないと思われますので、やはり今後は予断を許さないことには変わりないと思います。 こういった捜査手法に対して裁判所が本当に厳格な対処をするかどうかについて、特別抗告の棄却は通過点に過ぎず公判裁判所の審理まで含めて判断する必要があると思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年06月10日 18時38分51秒
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