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碁法の谷の庵にて

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その他雑考

2019年04月03日
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カテゴリ:その他雑考
性犯罪の無罪判決が相次いだことに関連する諸論点などを巡り,twitter上で弁護士同士のドンパチが始まっています。
 弁護士の端くれとして,個人的には性犯罪の否認事件における無罪判決や事実認定の在り方,関係者の運動論の在り方などについては,いろいろと思うこともあります。
 私個人の意見内容としてはtwitter上での弁護士(たぶん)多数派の意見に比較的近いのではないでしょうか。
 



 しかし,今日の主題はそこではなく,このドンパチを見て改めて思ったtwitter上の弁護士の意見表明についての感想です。
 
 twitter上での弁護士のドンパチを見ると真面目に議論している,個人的に論旨に賛成できないにしても表明そのものは真摯な先生方も多くいます。
 しかし、茶化しのように見えてしまったり、論旨はともかく表現方法に問題がありすぎやしないかと感じたり、本当にこれ調べて言ってる・リツイートしてるのかな?と感じられるものも増えてしまっております。
 もちろん、書いていないだけで裏側で調べて言ってる、事案をヒントに書いたが一般論と断った上で書いているという事も当然ありますが、無邪気にリツイートしたりすれば無責任ではすみません。

 以前の記事でちらっと書きましたが,4年ほど前に私がtwitterをやめた理由の一つは,実はこれなのです。
 「法クラ」(法学クラスタ)と呼ばれる弁護士twitterで,特定意見を支持・批判する流れが沸き起こる。この流れの内容そのものは,私には共感できるものの方が多いです。
 しかし,その際に,笑い者にするかのような流れまでも同時に起きてしまったり、本当に調査して言ってるのかな?と疑問が湧くものが大量にツイート&リツイートされる。
 私個人としては内容的にはむしろ賛成のことが多く、肯定的に見ていたのですが,反面,なまじ賛成な分強固な自制心を持たずに乗ってしまうととんでもない筆の滑りをしかねないというのが不安になってきたのです。


 ちょうど,立憲民主党の公認を得て選挙への出馬を表明した落合洋司氏(弁護士・元検察官)が,特定国家に対しての侮辱的な投稿を発掘されて炎上,公認取消と言う事態になっています。
 特定国家の外交などの在り方についての批判は言論の自由であると思いますし、落合氏の言動はヘイトスピーチ対策法上の「ヘイトスピーチ」の定義に当てはまるかは疑問なしとはしません。
 しかし,同法のヘイトスピーチに当たらなかったところで、特定国家への批判に際して侮辱的な言葉を用いること自体が政治家の言動として不適切な行為であることには異論がありません。対象となっている国がどこであれ,です。
 落合氏は立憲民主党の候補者として売り出していたので今は立憲民主党が主に問題になっています。しかし,弁護士としても本来失言であり,弁護士への信頼をも失わせるものと思います。
 


 前記した法クラの批判の流れに乗った結果,今回の落合氏に近い失言を,いつか自分自身もやらかすのではないか,他の弁護士はしっかり調査して裏付けの下に言っているのに,自分は調査もせず、流れに乗っただけでとんでもないことを言ってしまうのではないかと言う点については,私は自分の節操の固さをあまり信用できません。
 私はtwitterをやっていた間,twitterで舌禍したとして炎上したことはありませんが,一度呟いた後に「これ大丈夫なんだろうか…」と思って一旦呟いたことを消したことは何度かあります。
 つまり,自分もtwitterに関して,せめて自分の持てる能力を全て使って注意できていないのです。


 私は、この文章で私以外の個々の法クラの先生方を批判するつもりはありません。
 当然先生方も千差万別ですし,踏み込みすぎてない?と感じる発言であっても調査・熟考の上で責任をもって発言しているのだと,弁護士としての信義と名誉を尊重する立場から信用させていただきます(弁護士職務基本規程70条参照)。
 間違った・誤解を与える主張や意見に批判が集まることは業界の自浄を示す意味でも効果があるものなので、積極的な意見表明そのものを非難するつもりは全くないのです。

 しかし,自分以外の弁護士を相手にするときは「信義と名誉を尊重」できても,当の自分自身を「信義と名誉を尊重」で押し通す訳には行きません。
 他の弁護士はきちんと自制してるのであっても、そんな自制心に自信がなくなってきた私は、やらかす前にtwitterから距離を置きました。
 ブログであれば,14年ほどやってきましたし、そこそこ長文かつ法クラと距離があるのでクーリングオフの時間くらいはあり,「他の先生方が調査の末に書いていることを調査もしていない私がただ乗りし,勢い余って書きすぎる」と言う事態はある程度避けられます。実際,「これは書きすぎかな?」と頭を冷やしたり、別途調査を重ねた経験も何度かあります。



 多くの先生方には私のような懸念は無用のものだと思いますが、もしそういった「つい書きすぎた」経験をお持ちの先生方がおりましたら,本当にただ単に「気を付ける」だけでいいのか,一度熟考してみてほしいと思います。






最終更新日  2019年04月03日 18時42分35秒
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2018年05月21日
カテゴリ:その他雑考
職場や家庭などで,ハラスメントはしばしば起こります。
人は,何故セクハラ,パワハラと言ったハラスメントをしてしまうのでしょうか。

本腰を入れて加害行為をして,標的を追い出していじめてやれ,とかオレの性欲のためなら異性なんか(放送禁止用語)…というような加害者が救いようのないクズであるというパターンもあります。
または,今思えばハラスメントになるだろうと簡単に分かるのだが,流れの中でつい口を滑らせハラスメントになってしまった,今思えばなんてことをしてしまったんだろう…なんてこともあります。


しかし,個人的な感覚としては,ハラスメントと言われて「え,これハラスメントなの?」という方は少なくありません。
ハラスメントをしたと訴えられ,依頼した弁護士に事情を聴かれて,否認をするでもなく「何故これがハラスメントなのか」といってくる人たち。
弁護士目線からすればどう見てもこれハラスメントだろ,事実なら責任ありだよ?となるような件なのに,「これがハラスメントだとは思わない」と言ってしまう人,結構多いと思います。
証拠の具合にもよりますが,単純に責任逃れのために言うならハラスメントの基礎となった事実自体を否定する方が100倍勝機がありますから,「これがハラスメントだとは思わなかった」という彼らの言い分は本気でしょう。
家庭内でのハラスメント(DVやモラハラなど)の場合,「話せばわかることなのに,弁護士を頼んで訴えてくるなんて,さては弁護士が金目当てで焚きつけたな!!」なんて理不尽な怒りをぶちまけられた弁護士も結構多いと思います。



そして,そういう言い分を主張する彼らには,自分が被害経験者である人も少なくありません。
自分もこれくらいされたことがあるが,何とも思わなかった。だから相手も平気だと思った。
あの程度の叱責は当然だ,むしろそれのおかげでオレは成長できた。だからお前もそんくらい我慢しろ
なまじ自分が被害(?)経験者である分,自分の「大丈夫」という感覚に過剰な自信を持ち,正当化してしまい,自分でも平気でそれを行ってしまう
けれども,本人は自分が加害をしたことにすら気が付かず,弁護士や裁判所から「これだめだよ」と言われて愕然とする。
酷くなるとだめだよと言われてすら弁護士や裁判所は世間知らずだと言って罵る…というパターンもあります。


とっさに何がハラスメントで何が正当か。完全な答えはなかなか出ません。弁護士が24時間365日横にぴったりくっついたって無理です。
俺はこんくらいやられても平気だった。
というような考え方も,それ自体が悪い,とは思いません。

各人に個人的な感覚がいろいろある。
これ自体は避けようのないことであり,大丈夫か大丈夫でないかは,誰もがまず自分の感覚に相談せざるをえないためです。
そして,法制度の感覚と違う感覚を持つこと自体は悪ではないので,そういう感覚の下でハラスメントをやってしまった方は,よほど極端なケースでなければ「人間のクズである」とは思いません。


ただ,加害者が人間のクズではないとしても,被害者の方に償わなくていいことにはなりません。程度や類型によっては刑事責任にまで話がいくことも動かせません。
ハラスメントをしないように努めるべきことは言うまでもないことです。


そこで自らを律し,自身も被害者も守るために大事になるのが知識です。

何故企業などがハラスメント防止研修をするのか。
最初から加害意思バリバリという方々には研修など全く意味がないことは目に見えていますし,「言われればまずいと気づいたがそのときはついうっかり」の類は研修でもなかなか止められません。
しかし,「まさかこれがハラスメントだったなんて!!」というタイプは止められます。
人の感覚を完全に統一することは不可能であり,個人の感覚任せではどうしてもハラスメントを抑えられないからです。
そこで知識を得てもらい,個々人の感覚の相違を裁判やトラブルの実例に伴う知識で補い,「これは危ない」という感覚を持ってもらう。ハラスメント防止研修はそこに有効性があります。



もちろん,ハラスメント対策ばかり勉強している訳にも行きません。
知識はいくら仕入れたって完全に足りることはないので,個人の感覚で補わざるを得ない部分は多かれ少なかれ出てしまいます。
結果として知識を得ていたにもかかわらず踏み外してしまいハラスメントをしてしまう人もいるでしょう。

そして,こういった知識に対して批判や反論をお持ちになることは結構なことだと思います。
ただし,こういった知識に対して謙虚になれず,「判例?んなもん関係ないし学ぶ気もねえ,とにかく俺の感覚が絶対なんだ!!」という方は,いつか大きなツケを払わされることになるでしょう。






最終更新日  2018年05月21日 21時03分33秒
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2018年04月05日
テーマ:ニュース(97535)
カテゴリ:その他雑考
大相撲の春巡業において,土俵に上った舞鶴市長が倒れた際に女性の方(報道によれば看護師の資格をお持ちとのこと)が救命活動を行っていた所,アナウンスで「女性の方は土俵から下りてください」と言ったということで大炎上しています。
 舞鶴市長は現段階では意識はあるそうで,快癒を祈るばかりです。

 一部で女性が邪魔に見えてしまい、どいてくれと言う趣旨だったのでは?と言う説も見ましたが,映像で見る限り「男性がお上がりください」と言う発言とセットなので,趣旨は女人禁制を通そうとしていたものと判断せざるを得ないでしょう。


 私個人は,それを踏まえても、アナウンスした行司が気が動転してアナウンスしてしまった,と言う相撲協会側の説明は一理あると思っています。
 大相撲において人が倒れる、しかも競技におけるケガでなく来賓が倒れるという事態自体そうそうあるものではないと思われるので,マニュアルなどもなく(あるいはあったとしても完全に頭に入っている訳ではなく)どうしていいか分からない。
 そんな時に何らかの原因でふと脳内に女人禁制の文字が浮かんだとすれば,問題のある対応を取ってしまったというのも分からない訳ではありません。
 
 市長の搬出後に塩がまかれたということですが,塩をまくこと自体が問題と言うより,その前のアナウンスが問題があった故に塩をまいたことまで問題にされただけで,その前に問題がなければ塩をまくことは仕方ないのではと言う感覚もあります。
 一生懸命頑張った人が仕事上やむなく残したものを「非難する」ことがあってはなりませんが,「片づける」という対応を取ることは悪いことではないと思う訳です。


 想定外の事態が起きた時にパニックになり,後から思い出せばとても適切とは言えない顔から火が出るような対応を取ってしまうということは,具体例は申し上げられませんが私にもありますし,助けていただいたこともあります。
 その時のことを思い出すと,女性の方降りてくださいと言ってしまった行司がパニックになってしまったというのは十分考えられ、(今は反省しているという推測が大前提ですが)個人的には同情すらしている所です。


 ただ,今回の件に関して大炎上になってしまった原因も考えてみた方がよいと思います。
 相撲協会が暴力事件,相撲賭博などで信頼がなくなっていたというのも相当大きいかと思われるのですが,もっと早く事態の収拾に努めることが出来たのではないかと感じることもあります。

 今回,市長は一先ず無事に搬出され,巡業も中止にならなかった訳です。
 再開前に

「市長の快癒をお祈りすると同時に救命に協力いただいた皆様には感謝いたします。なお,先ほどは当方も気が動転してしまい失礼なことを申し上げてしまいました。深くお詫びいたします。」


とアナウンスしていればどうだったでしょうか。

 もちろん適切とは言えず,それでも批判的な声が上がることは避けられないでしょうが,パニックで口を滑らせてしまっただけで「人命より女人禁制が大事」と言うような価値観が原因であるというような批判には少しでも答えることが出来たはずです。
 また,何も行司一人でイベントを行っていた訳ではなく,スタッフ全員が市長について行ってしまったわけでもないと思われます。そうすると,行司自身がパニックになってしまったとしても,周囲が一旦落ち着かせ、誰かが問題点を指摘すれば、すぐにきちんとしたお詫びをするという機会はあったはずなのです。
 
 トラブルが起きるとその様子を動画でtwitterに投稿する人が多数出ている(先述のアナウンスもtwitterで流れていました)現在,そういった対応がとられていればtwitter上や報道で流れたと思われ,ないということは会場でのお詫びなどはやっていないと判断するのが穏当かと思います。(間違っていたならすぐにも撤回いたします)
 つまり,事態が発覚し,お詫びが出たのは巡業の終了後

 誰もアナウンスが問題と指摘しなかったのか,誰かが指摘したけれどつい軽く考えてしまったのかは分かりません。(全員が100%正当と考えていたなら問題外)
 しかし,この初動の遅れが致命的な遅れになり、相撲協会全体の品位がより深刻に問われる結果となってしまったのではないでしょうか。



 なお,ここまで書いたことは相撲協会や行司の方にかなり好意的に見て書いていると思います。

 しかし,自身が、あるいは組織の誰かが口を滑らせることは起こることです。
 口を滑らせてしまった時に迅速な対処をしていれば、「問題はあるが、あくまで個人の問題(パニックによる、過失による…)。次はこんなことのないようにしてくださいね」で済まされ、深刻な問題には至らず済む例も相当数あるはずです。
 こちら側のミスが原因の炎上には可能な限り迅速な対応が求められる,ということをこの件で認識して頂ければと思います。






最終更新日  2018年04月05日 18時17分36秒
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2017年02月25日
カテゴリ:その他雑考
東京・市ヶ谷の某所に行くと、私と会える・・・かもしれません。
分かる人にはわかるお話です。




実は初参加なんだ・・・






最終更新日  2017年02月25日 23時05分08秒
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2016年10月21日
カテゴリ:その他雑考
 もちろん三浦弘行九段の事件を意識してのお題ですが,ひとまず一般論としてお読みください。

 囲碁将棋でのプロ棋戦において,検討ソフト使用が不正行為であり,バレたら失格になる行為であるとします。


 ソフト使用を理由に失格とされた棋士が地位確認の訴えを起こす。
 対局料を失格を理由にもらえなければ対局料を請求。
 逆にスポンサーサイドから過去に遡って払った対局料の返還などを請求。
 名誉毀損などを理由に不法行為でソフト使用を名指しした人物を訴える。


 こういった訴訟を考えると、ほぼ間違いなく争点になるのは「本当にソフトを使ったのか?」という問題です。
 (考えていて,これって司法権の対象となる「法律上の争訟に当たるのかな?」という気もしなくもないのですが、今回はそこはパスしたものとします)


 疑惑の当事者となったプロ棋士が否認し,目撃証言や防犯カメラの画像などがないということになれば,間接事実の積み重ねによって立証ということになります。
 その場合にどんな間接事実を積み重ねるのでしょうか。
 私にぱっと思いつく方法論としては以下の通りです。当然そこに反論があることも考えられます。
 主張のやり取りを想定してみました。(もちろん具体的な態様と,準備できた証拠の兼ね合いの問題が出てきます)
赤字=「ソフト使用を主張する側」
青字=「ソフト不使用を主張するプロ棋士」(「疑惑棋士」とします)
緑字=「裁判所」


1.ソフト指し手との一致率

「疑惑棋士の着手は想定されるソフトの指し手と93%(今回の件の報道によりますが,とりあえず仮です)も一致している。」

1-1(棋力・研究による一致)
「ソフトの実力はもうプロを倒すほどになっている(電王戦の記録などを出せば良い)。疑惑棋士も厳しい試験を勝ち抜いたプロである。強い棋士同士が指していて、あるいは検討していて着手や読みが一致することは何らおかしなことではない。」
「棋士が将棋ソフトを使って研究すること自体は既に日常的になっており、それ自体は全く問題になっていない。ソフトの指し手を意識して指すこと自体は当然にあることである。現状ソフトを用いた研究は反則ではありえない。」
1-1-1
「一局の最初から最後まで全部ソフトが指すのでなくとも,手所でだけ使うのでも十分に不正であるし,不正としての効果は十分にある。手所でだけ使ったのであれば,不正の根拠として十分成立する。」
1-1-1-1
「手所になってくればくるほど,正解手はそんなに多くはない。従って,棋士やソフトと対局者であるプロと読みが一致することも全くおかしくないのではないか。」


1-2(ソフト・棋士的個性)
「93%というが,他のソフトとの一致率は不明である。将棋電王戦や叡王戦などでプロを破ったソフトやコンピュータ将棋選手権でプロを破ったソフトと対局して優秀な成績を残しているソフトは多数ある。ソフトによってある程度個性もあるようだ。他のソフトなら一致率は違ってくるのではないか?
特定ソフトと棋風や考え方が一致した、というだけでは一致の理由にならない。」
「93%というが,他の不正をしていないと考えられる棋士はどうなのか。
他の棋士も不正をせず優れた棋譜を残しているが,ソフトとの一致率は検証されていない。
ソフトとよく似た指し手をする棋士がいたとしても全くおかしくないはずだ。」

1-2-1
「使っているソフトは一つなのが普通と考えられる。
 一つだけでも一致して,更にそのソフトが市販ないしは何らかの形での入手ができるものであれば十分そのソフトの使用を推認できる。」




1-3(対局の個別性)
「棋士にもその日の好調不調・指し運や事前の研究にはまったかなどによってはどうしても名局拙局は出てきてしまうし、一致率に波が出てくることもあると考えられる。
 そんな中でたまたま何局か一致率の高い将棋が続いたとして、それで疑惑棋士の不正行為を推認するのはあまりに乱暴だ。」


裁判所の希望
「93%という数値が高いのか低いのか,裁判所ではよく分かりません。
 使用の疑いのあるソフトとその他の主要な市販ソフト,さらに疑惑棋士と段位や在籍クラスなどの点で同レベルと考えられる棋士、タイトルホルダーなどのトップ棋士で、持ち時間などの条件などが一致していて有意と考えられる棋譜を集めた上で,何か見える形で「相場となる一致率」等を教えてもらえませんか。」
 裁判官も囲碁将棋に詳しい人ばかりとは限りません。
 この場合,証拠を出すのはやはりソフト使用を主張する側になるでしょう。
 連盟ならいいのですが,名誉毀損訴訟とかになった場合には発言者には場合によっては非常に厳しいことになる(多数のソフトや棋譜を集めて検証しなければならない)かもしれません。
 私が将棋ウォッチに使っている「激指」の場合ソフトの棋風までいじることができたりもしますし。
 もっとも,支援者などがつくことによってなんだかんだと「双方の検証結果が出そろう」可能性はあるでしょうが。





2.棋士等による鑑定
「将棋界最高の棋士たちが疑惑棋士の着手について一致と感じている。」
「棋士はアマチュアの棋力なども審査することがあり、他人の棋力や棋風の診断には敏感だ。疑惑棋士の着手を十分鑑定できる」


2-1(鑑定の信用性)
「棋士による鑑定は全く意味がない。印象などにも左右されると考えられる。」
「現在将棋ソフトの棋力はトップ棋士と互角かそれ以上になっている。
 棋士より下のアマチュアの棋力ならまだしも,ソフトの棋力と疑惑棋士の力の違いなどはトップ棋士の棋力をもってしても測れないのではないか。」


裁判所の希望

「本当にトップ棋士であればソフト指しとそうでない棋譜,あるいは途中からソフト指しになった棋譜を判断できるのですか?
 途中からのソフト指し対局をプロ同士で何局かやって、それを主な棋士に鑑定させて、正答率を実験してみてもらえませんか。
 途中からソフト指しした対局、実はソフトを使っていないプロ同士の対局、ソフトだけでの対局、鑑定人に一切事前情報を伝えず、どの程度の正答率をはじき出すかやってみてください。
 途中からソフト指しした対局の場合、どこからのソフト指しかも鑑定させてください。
 もちろん、ソフトや対局者についても固定せず、いろいろ変えて、やってみてください。
 棋士の間での研究量を考えれば,既存の棋譜ではわかってしまう可能性もあります。新規の棋譜を用意してさせてみてください。」


 これで鑑定に当たった棋士がどのくらいの正答率をはじき出すかによります。
 ある程度鑑定人に実績のある世界ならよいのですが,何ぶん初めての世界なので,これくらいの実験を踏まえないことには、棋士による鑑定による認定は非常に難しいという感覚でいます。
 感覚ですが、有意な正答率90%くらいは叩き出せるようでないと・・・
 もっとも、今回の件を告発した棋士も、それくらいできる自信があるからこそこういった強硬手段に踏み切ったのだと思うのですが。


3.対局中の離席率

「対局中にこんなに離席しています。その隙に使ったに違いありません」


3-1(離席行動自体の自然性)

「対局中の離席はルール上禁じられていないし,現に離席する棋士も多い。対局に集中して疲れた頭を休めるためには必要な行動である。」

3-2(離席と着手の関係)

「離席する棋士がいるとしても,離席の前後で明らかに棋風や着手が変わっている」



裁判所の希望
「その棋士がいつ離席したのか,何分程度の離席だったのか。
 具体的に不正疑惑があるなら,以前の離席状況と不正疑惑のある離席状況は違うのか。
 記録などがあったら用意して頂けますか。
 もちろん,離席の前後での指し手の変化についてもプログラムに読ませてみてください。」
離席自体は当然にあることなので、離席からストレートに認定するのは無理でしょう。
離席と不正と疑われる着手の関係で認定しなければならないと考えます。


4,調査時の対応

「不正に対する調査が行われたにもかかわらず、機器類の提出に応じない等不誠実な対応しかしていない。
 これは,自分の不正の発覚を恐れたためである。」



4-1(調査協力義務の有無)

「(規則などに明文がない場合)調査に応じる義務はない。」
「プライバシーにかかわる情報を見せないからと言って失格処分にされる理由はない。」


4-1-1
「棋士であるならば,その対局の公正を疑わせる事情が発生したときに調査に応じる義務があると考えるべきだ。」


4-2(不利益推認の可否と認定して良い不利益の程度)
「調査に応じる義務が仮にあるとしても,何らの明文ある規則に基づかず不利益推認される理由はないし、仮に推認できるとしてもさほど強力な証明力はない。」


4-2-1
「調査に応じる義務があることを前提とすれば、義務違反として不利益推認はやむを得ない。(ドーピング検査などでは検査拒否は不利益推認が許されている)」


裁判所の希望
「当時手持ちのスマートフォンやパソコンの使用履歴、できれば鑑定して出してほしいな…
 当事者や当事者の委託した業者等による鑑定が信用できないなら,裁判所が入って鑑定嘱託しましょうか?」


 個人的にはこの手の情報はせいぜい参考程度と思っているのですが,裁判官は結構こういうのを気にして事実認定する人が多いという印象です。




 もちろん、これは私にぱぱっと思いついたものに過ぎません。
 仮に裁判になったとして他にどんな証拠や間接事実が出てくるのか、不謹慎ながらちょっと楽しみにしているところもあります。
 なお、おそらく裁判になれば,不正の主張立証責任は不正を主張する側にあると考えられます。
 つまり,不正の立証に失敗すれば痛い目を見るのは不正を主張する側という訳です。
 おそらくは主張立証責任に関係なく、疑惑棋士側も可能な限り白に近づけるような主張立証をしていくとは思うのですが。
 






最終更新日  2016年10月21日 00時25分16秒
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2016年08月26日
テーマ:ニュース(97535)
カテゴリ:その他雑考
「○○の逮捕状請求へ」というニュースは、大きな事件があると報道でもたまに流れます。
しかし、こういった報道をみると、私はいつも警察関係者や報道関係者に頭にきています。
被疑者・被告人の人権的な点からも問題があると思います。
逮捕状が請求されると言うだけでも関係者の名誉は手ひどく害されてしまいます。
刑事訴訟法上捜査に関係する警察官や検察官・弁護人には関係者(被疑者本人含む)の名誉を害さないよう努める義務があります(刑訴法196条。なお、報道関係者はこの条文の対象外だとされます)。
例え事後的に無罪になろうが嫌疑不十分になろうが、真犯人が登場して大々的に報じられる事態にでもならない限り、失われた名誉は戻らないことが多いのです。
意図的に逮捕状を流したというような情報を流す行為は刑訴法196条からして極めて問題が大きいと考えられます。
それだけではありません。
「犯人を検挙する」という視点からしても、やっぱりこうした報道は問題だらけなのです。
逮捕は人権侵害ですから、逮捕をするならば当然逮捕に何らかの必要性がなければいけません。
裁判所の逮捕状が言われるがままに発付されていないか、という批判はあるところですが、この記事ではその批判については触れません。
裁判所の逮捕状発付自体は正当に行われ、逮捕状の請求も正当に行われていることを前提に考えます。
では、逮捕の必要性について、どのように考えるべきでしょうか。
刑事訴訟規則には、次のような条文があります。
  • 第143条 逮捕状を請求するには、逮捕の理由(中略)及び逮捕の必要があることを認めるべき資料を提供しなければならない。
  • 第143条の3  逮捕状の請求を受けた裁判官は、逮捕の理由があると認める場合においても、被疑者の年齢及び境遇並びに犯罪の軽重及び態様その他諸般の事情に照らし、被疑者が逃亡する虞がなく、かつ、罪証を隠滅する虞がない等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状の請求を却下しなければならない。
逮捕の必要性があることは、裁判所が逮捕状を発付するにあたっては当然審査すべきことが前提とされています。
事前の令状を前提としない現行犯逮捕・緊急逮捕の場合もある訳ですが、これらの逮捕の場合であれ事後的な裁判所の審査は行われます。
どうしても緊急を要するために緩い審査で逮捕の必要性を判断する外なく、必要性を認めるハードルが低くなること自体はやむをえません。
しかし、だからと言って逮捕の必要性がないことが明らかになっているような場合にまで、逮捕することが許されるというわけではありません。また審査が緩い分身柄拘束期間を最大72時間に絞る手当がある訳です。
では、この「逮捕の必要性」の具体的な中身は何でしょうか。
実は逮捕の必要性の具体的内容については刑事訴訟法には明文がありません。
ただし、前記の刑事訴訟規則143条の3には、逮捕の必要性がない場合について「逃亡の恐れがなくかつ罪証隠滅の恐れがない等」とありますから、逆に逃亡の恐れ・罪証隠滅の恐れは逮捕の必要性の内容として含みうるでしょう。



また、参考になる法令として、逮捕した後、被疑者の身柄拘束を続ける場合には、「勾留」という身柄拘束形態に移ります。
勾留の要件については、刑事訴訟法に明文があります。(他にも犯したと疑われる罪の内容なども要件になりますが、ここでは割愛します)
①住所が定まっていない。
②自由の身にしておくと逃亡してしまい、裁判に出てこないおそれがある。(病気などでの一時的な不出頭は含まないと考えます)
③自由の身にしておくと罪証隠滅(関係者に口裏合わせの圧力をかけることなども含む)のおそれがある。
このどれかを満たさないと、勾留はしてはいけないことになっています。



逮捕の必要性についても、原則としてはこれとパラレルに考えてよく、ただ求められる証拠などのレベルが低くなってくるものと考えます。
そして、住所不定のみを理由に勾留された例はこれまで身柄刑事事件を何十件もやっていますが見たことがありません。
逮捕をする・逮捕状を請求するということは、警察としては9割9分「この人物は捜査しなければならないが、自宅にいさせたら逃げちゃう・証拠隠滅をされちゃうよ!!」という主張を含んでいると考えられます。



これを前提に、「××事件の被疑者の逮捕状請求!!」という情報が報道に流れたとしましょう。
逮捕状請求の情報が報道されるならば、その情報は犯人にも流れてしまいます。少なくともその危険性は極めて高いと言えます。



それを見た被疑者はどう考えるでしょうか。
ハナから逃げる気も証拠隠滅する気も全くない、どんな情報を突きつけられても微動だにしない人物だったら、報道をみても特に何もしないかもしれません。
しかし、実際にはそうではない可能性も高い、というより逮捕状を請求する時点で「逃げる、証拠隠滅する危険があると主張している」わけです。
追われていると気づかない間はこれまで通り暮らしていても、「追われている」という現実を突きつけられれば、それ逃げろ!!となる危険はかなり高くなるでしょう。
警察にわざわざ自首してきた犯人を逮捕・勾留するのも、後から処罰されるという現実が迫ってくるにつれてやっぱり逃げたい、となった時に備えてのことだと考えられます。
計算高い犯人がそうするとは限らず、パニックを起こした小心者があてもなく遠くへ行ってしまったり、時には自殺してしまうと言う危険性さえあるわけです(自殺防止自体は勾留の理由になりませんが、そうだとしても自殺で真相解明が困難になることは不可避です)。
証拠隠滅だって、実は決して難しい話ではありません。燃やすとかトイレに流すだけで簡単に隠滅できてしまう証拠も多いのです。




逃亡させず、証拠隠滅もさせずに身柄を確保するなら、犯人の情報や捜査情報を意図的に公開するなど愚の骨頂以外の何物でもありません。
情報を隠しておき、「犯人が気付いた時にはもう逃げも隠れもできません」というように攻めるのが、逃げる危険のある被疑者の身柄を拘束するの基本だと考えられます。
仮に自分に捜査の手が及んでいると気づいても逃げも罪証隠滅もしないと高をくくって問題がないような犯人ならば、最初から逃亡や罪証隠滅の恐れ自体がないでしょう。




あるいは、任意同行などで身柄を半分確保できているようなケースもあるかもしれません。
しかし、任意同行は所詮は任意であり、断固帰りたいと言われたらそれまでです。逮捕状来るまで待って・・・には限界があります。
また、被疑者を特定して任意同行させると言うことはそれ相応に被疑者が疑わしい根拠をつかんでいるはずです。それで逮捕状を請求すれば済むことです。
証拠がつかめてもいないけどとりあえず任意同行で身柄を確保して令状請求・・・というのはちょっと考えられないでしょう。




また、情報を流すことで、万一目をつけていた被疑者が冤罪であった場合の再捜査にも支障をきたすことだって考えられるのです。





刑事訴訟法196条は、私個人的に一番守っていないのは警察だと思う条文です。
ただでさえ裁判員裁判が行われるようになり、報道が飛びつきやすい重大事件においては事件への予断を気にしなければならないはずのご時世です。
それなのに、未だに警察関係者が報道との関係を見直さず、一方的な情報をだらだらと流し、人権保障どころか真実発見への足までも自ら引っ張る状況には呆れてしまいます。
ただし、そういった報道を欲しがる報道関係者、ひいては読者がいることも、警察の報道対応の原因とも思われ、そう考えると暗澹たる気分になってきます。






最終更新日  2016年08月26日 17時38分29秒
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2015年08月31日
カテゴリ:その他雑考
 オレオレ詐欺と警察のいたちごっこは、今日に至るまで続いています。

 オレオレ詐欺の被害者となるべき方々に対しては、警察の啓発活動や銀行などにおける声掛けなども相当行われています。
 声掛けが功を奏して水際で食い止めた、という事例もしばしばみられます。
 被害者が感づいて警察に通報し、待ち伏せ作戦で犯人をしょっ引くことに成功した、という事例もあります。
 (それで捕まった被告人を弁護したことがあります)


 しかし、私は被害者への警戒呼びかけ教育のほかにもう一つ、オレオレ詐欺に関して教育をすべきではないかと考えている存在がいます。
 それが、「加害者予備軍となる人たち」です。
 この加害者予備軍となる人たちは、オレオレ詐欺を巧妙にやって荒稼ぎしてやろうと考えている連中とは限りません。
 むしろ、ごく普通の人たち、場合によっては高校生や大学生など、法的な責任やオレオレ詐欺の実態に関して無知な人々が主眼です。




 昨今のオレオレ詐欺は組織化され、詐欺電話を掛ける役や金銭を受け取る役などを巧妙に分担していることが多いといわれます。
 そして、詐欺グループが金銭の受け取りをする受け子(詐欺罪)、振り込ませた金銭を銀行から下ろしてくる出し子(窃盗罪)などの実行犯に、それだけをやらせるアルバイトを使う例が増えています。
 
彼らならつかまってもトカゲのしっぽ同然に切れるし、彼らに重要な情報を渡しておかなければ組織の上層部がばれることもない、というわけです。

 もちろん、彼らは募集する受け子に対してオレオレ詐欺だ、などと名乗りません。
 例えば、書類の受け渡しをする簡単なアルバイトだ、などと言って近寄ってきます。
 割のいいアルバイトだな、と思って踏み込んだらほかならぬオレオレ詐欺の受け取り役や金銭の出し子という形でオレオレ詐欺の片棒を担がされていたという事例が後を絶たないのです。


 刑法の理屈からすれば、金銭の受け取りなどをする時点でオレオレ詐欺と気づいていなければ、犯罪の故意がなく罪にはなりません。
 ただし、オレオレ詐欺について幅広く広報も行われている現在、本当に気付かなかったんだ、という弁解を通すのは決して簡単ではありません。
 本当に気付いていなかったけど「これだけの状況があったんだから、気づいていたはずだ」となってしまい有罪になることもあり得るジャンルだろうと言えます。
 もちろんこれは冤罪と評すべき事態ですが、そのような事態に巻き込まれないに越したことはないはずです。
 有罪ならば、オレオレ詐欺が重大な社会問題となっている昨今、単なる受け子や出し子役をやっていただけで、これまで一度も前科がなくとも、被害の出たオレオレ詐欺の受け子は実刑、少年でも少年院直行だと思っていなければいけません。(待ち伏せにあって捕まり未遂だった、あるいはお金を即返せるなどの更なる好条件が重なってくれば、成年なら執行猶予も視野に入りますが…)

 また、仮に後からこれはオレオレ詐欺だと気づいたとしても、オレオレ詐欺集団から抜けることは一筋縄ではありません。周囲の怖い人たちに監視されているのではないか、家族とかが仕返しされるのではないかと怖くなり、警察に駆け込むこともできなかった…という例も聞きます。
 やめたい、でも怖くてやめられない・・・という状態であったとしても、無罪とはなりません。



 仮に刑事処分を免れたとしても、民事責任は問われてしまいます。
 刑事処罰なら故意だけつぶせば無罪になりえますが、それさえ至難の業。
 ましてや民事責任は過失責任です。過失さえもない、と認められるのは非常に困難でしょう。
 金銭を受け取った瞬間に待ち伏せされてすぐに捕まっていれば、とりあえず手元にある受け取ったお金をすぐに返せばよいでしょうが、捕まるのが遅れ、金銭を上役に渡してしまったらもう手遅れ。上役に渡したことは弁解として何の役にも立ちません。
 結果として被害金は出し子や受け子が自腹で賠償する責任があります。
 上役にも負担しろという権利自体はありますが、上役がそう簡単に捕まったら苦労はしません。
 未成年者が受け子をやっていた場合、親権者が監督責任を問われる可能性もあります


 被害額は、オレオレ詐欺の神奈川県の平成27年上半期では1件当たり平均284万円。
 これだと、遅延損害金だけでも月に1万2千円程度。
 月々5万円分割払いしてても返済まで5年半、月々3万円なら返済まで10年かかります。月々3万円でも、払い続けるのはとても大変なことです。
 平均で済むかどうかは運の問題なので、この何倍もの責任がかぶってくることもありえます。例えば被害額が1200万円なら月々5万円払っても遅延損害金だけで、元本は全く減らないということになります。
 そもそも被害者としては分割払いなんてふざけるな、即座に一括耳をそろえて払えという権利だってあります。

 親が監督責任を問われた場合、何にもしていない親が苦労して建てた家屋敷や老後のための資産を放出する羽目になることだって起こってきます。
 服役している間は返済なんてできず、その間は遅延損害金だけが溜まっていく・・・ということも起こります。
 また、悪意で与えた不法行為の損害賠償と見なされれば、破産免責でやり直すこともできない(例え破産しても被害金の返済は続けなければいけない)可能性もあり得ます。




 オレオレ詐欺にあって一番不幸なのはもちろん被害者です。金銭的な被害にとどまらず、家族に何で引っかかったのかといわれて精神的にも苦しみ、自殺に追い込まれるという例も聞きます。
 加害者が自分のこうむった苦痛と被害者の蒙った苦痛を比べて考えるなら、それ自体が非常に失礼なことです。
 しかし、それでも加害者に人生が一発で台無しになるような責任がのしかかってくること自体は変わりません。

 もちろん、オレオレ詐欺上等!!被害者なんて関係ない、儲けたい、スリルを味わいたい、そのためなら出し子どころか電話役だろうがまとめ役だろうがやってやろうというような連中は刑務所なり少年院なりで性根から入れ替えてもらわなければいけません。

 しかし、下っ端アルバイトとして関与した人たちならば、「こんなアルバイトはすべきではない、オレオレ詐欺である」と知っていれば、オレオレ詐欺にかかわることはなかっただろうし、彼らがかかわらなければオレオレ詐欺被害も少なくなり、被害者も生まれなかったはずです。
 あるいは、オレオレ詐欺について深く考えることなくただのアルバイトだと軽く考えてしまった人たちに対しても、上記のような人生崩壊級のダメージはあなたにもあるんだよ、ということが分かれば、踏みとどまることができる人たちは相当数いるはずです。
 自動車学校で、対人無制限の保険に入らないとこうなるんだよ、というビデオを見たことのある人も相当数いるのではないかと思いますが、あれと同じです。


「こんなアルバイトは危ない、最初から手を出すべきではない。」
「間違って手を出してしまっても詐欺に入る前に警察に駆け込めば警察が君を守ってあげる。正直に話せば、処分も軽くなるかもしれない。」
「やってしまったら最後、君や君の親御さんの人生が崩壊するレベルの責任を負うんだよ。」




 オレオレ詐欺被害対策については、被害者予備軍に警戒を呼びかけることはこれでもかと行われていますし、一定の効果を上げていると思います。
 しかし、こうした加害者予備軍に対する警戒呼びかけはあまり見ません。
 皆無ではなく、こちらの3頁目上半分こちらの記事のような例もあるのですが、被害者に対する警戒呼びかけに埋もれている感があります。
 口座を売っちゃだめだ、というポスターはどこでも見かけますが、おかしなバイトに手を出すな、という呼びかけは私の知ってる範囲ではあまり見かけません。
 大学のホームページなどを見ても、オレオレ詐欺の被害にあわないような呼びかけは見かけますが、加担するなという路線の呼びかけはざっと検索した限りでは見当たりませんでした。

 例えば、判断能力の乏しい生徒さんたちの通う中学・高校。
 大学に入って初めて、生活費や学費・友人とのコミュニケーション手法としてもアルバイトを探しているかもしれない大学生の通う大学。
 特に大学進学で初めて実家を離れ、東京に出てくるよう学生は周囲に相談できる人がおらず、引っかかりやすいという話も耳にします。

 実態はオレオレ詐欺の怪しいバイトに興味を惹かれている加害者予備軍ともいうべき人々に対し、妙なアルバイトに手を出してはいけない、ということを広報し、加害者を作らないことが被害者を作らず、加害者の人生も台無しにしないという二つの意味で非常に重要ではないか、と考えます。

 






最終更新日  2015年09月02日 12時30分34秒
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2014年10月10日
カテゴリ:その他雑考


先日の性犯罪に関する論争から考えたものです。



私は、囲碁の県代表経験者・学生入賞経験者です。
最近打ってませんが、ネット碁では幽玄の間8段、東洋囲碁9段です。
人並みと比べて、相当に囲碁が強いと言えるでしょう。
プロ込みで考えても多分日本の囲碁人口の上位1%くらいには入ると思います。

しかし、私は自分で打った碁を並べ直すことはなかなかできません。
局後すぐ相手と検討していても、100手くらい(整地まで行くならば、碁は200手以上になるのが通例)で、途中であれ、これ違わない?となる事は四六時中です。
私の棋譜覚えは同レベルの打ち手の中では悪かった方だと思いますが、それでも県代表経験を持つ自分と同レベルクラスの相手も、正確に憶えていない事は後を絶ちません
もちろん、そこで嘘をついても勝敗の結果が変わる訳ではないので、例え大失着を打ってしまったとしても検討で自分の着手をごまかそうという人はいないでしょう。(少なくとも私はごまかしたことはないです)



一、囲碁のルールや基本的な戦法を人並み外れて理解しています。
二、私はメガネ使用ですが、例え裸眼でも局面ははっきり見えます。
三、対局時は盤面に集中しています。
四、対局後すぐに検討を始めます。
五、同じ経験を共有した対局相手も思い出すのに協力してくれます。
六、碁盤&碁石を使って思い出すので、視覚的にも思い出すきっかけが作れます。

おそらく、棋力が向上しても基本的には一の要素が上がるだけで、他の条件はそんなには変わらないでしょう。



しかしながら、それでも棋譜を最後まで正確に並べ返すことができる能力を持つ人はそうおらず、並べ直しに当たっては周囲の棋譜取りの協力を仰ぐケースが多いのです。
もし棋譜に間違ったことが書いてあったとしても、余程の事がない限り「これ違うよ」とは言い返せないでしょう。
実際には棋譜取りなどつかないケースが大半なので、途中で思い出せず、後で記憶に頼って棋譜を作ろうとしても以下略となってしまうケースが断然多いのです。

もちろん、最後までちゃんと並べ返せる人たち(私が知ってるのはプロとか全国アマタイトル級クラス)もいますから、棋力などのアップによって精度を上げることもできると言えます。
それでも、私ほどにも並べ返せない人たちの方が、囲碁界全体では断然多いと考えられるでしょう。
世界最強の一人である李世ドルでさえ、棋譜の並べ返しができたのはプロになって更にあとだったわけですから、個人差もそこには当然あることになります。




では、刑事事件の性犯罪被害について、男に襲われたと被害者が証言している、としましょう。
男の被告人は、あれは合意があった、少なくとも合意があったつもりだったと否認しているとします。

ただ単に「私は被害に遭った」とだけ言えば即有罪判決を書くほど裁判官も甘くはないので、被害とは具体的にどんな感じだったのか、と言うことは当然聞かなければなりません。
ところが、被告人が否認している以上、被害の細かい順序は、殴られたのは何発か、何時頃だったのか、どんな発言だったのか…と言うのを本当に正確に憶えているのかは難しい問題になります。
本当に被害があったのか、仮にあったとしてもそれは合意の下であったのか、被告人が誤認してもやむを得ない状況だったのかということなどは、被害者の証言をメインに当時の状況を浮き彫りにし、その状況から合意の有無などを確認するという過程を経なければならないことになります。
被害者だって意図的に嘘をつけば偽証罪や虚偽告訴罪になりかねませんし、そこでの被害者の方の善意や誠実さは前提とします。(復讐や美人局などで「意図的に」嘘をついているという事態は考慮に入れません)


ところが、なかなか完全を期すことができないと最初に説明した囲碁の棋譜の並べ直しと比べても、被害の記憶の証言については条件が非常に悪いという例が通例になります。

一、該当する被害以外で、性犯罪被害の経験などというものが被害者にある訳もありません。大概の場合は、性犯罪などに対して持つ先入観でしょう。
二、時には「周囲は暗くてよく見えなかった」と言うこともあります。
三、被害時は相手の顔を見るよりも逃れたいと考え、犯人の特徴などについて正確に観察をすることは二の次と考えられます。
四、被害後、被害を届け出るまでにも数時間の時間がかかっているのが通例です。時には何日かたってからとか、何ヶ月も経って、心の整理をつけた上でやっと警察に被害届を出したと言うことさえあります。
五、被害の体験を共有している人はいません。あえて言えば加害者でしょうが、その加害者に否認されている以上なす術がありません。目撃者もそうそういないでしょうし、仮にいたとしても被害体験の共有とはなりません。
六、仮に現場に行ったとしても、加害者が直に再現してくれるわけではない以上記憶を呼び覚ますのも限定的です。

先述したとおり、囲碁の棋譜並べ直しでも完全を期することは難しい中、それとは比べ物にならないほどの条件の悪さです。
何時頃どこで〇〇と会って、こんな感じだったというどうしても大まかになっている記憶に、肉付けをしていくのが精いっぱいなのが通例と思われるのです。
加えて、被害者から調書を取るのはえてして被害を直接体験している訳ではない警察官&検察官
その担当者がもし思い込みや想像、他の証拠からこうじゃなかったの?などと誘導してしまったら、簡単にそっち方面に流れてしまう(従って、他の証拠と一致しているから…と言うのもあまりあてにはできない)ことは容易に推測されるのです。


まあそれでも、非常に大まかに、こんな感じの事があったんだ、くらいなら、私個人としては認められるのではないかと思います。
棋譜並べ返しだって、確かここを攻めてってしのぐようなこんな展開だったよね?的なことは大体一致します。
しかしながら、否認事件になるとどうしたって前記したように、暴行態様や発言内容を中心にした、詳細にわたる認定が必要になります。
こうした詳細な事実を大前提にして、やれこれは強制があった暴行があった等と細々認定していく・・・というのは、「例え被害者側に無条件でその善意を認めるとしても」実はその前提からして非常に危ういものと言わざるを得ない、と考えられるのです。



ただし、これは被告人側にも言える現象でしょう。
一、性犯罪加害の経験などというものが被告人にそうそうある訳もありません。
二、時には「周囲は暗くてよく見えなかった」と言うことさえあります。
三、状況を正確に把握しておこうなどと考える犯人もそうそういないでしょう。
四、現行犯逮捕でもない限り、本人の記憶の喚起にはそれなりのタイムラグがあります。
五、加害の体験を共有している人は通常いません。仮にいたとしても被害体験の共有とはなりません。
六、仮に現場に行ったとしても、記憶を呼び覚ますのも限定的です。

例え被告人側の善意を前提にしても上記のとおりなのですから、まして自分の身を守りたいという感情が先に立てば、被告人の弁解の方が疑わしいのはある意味では当然とも言えるでしょう。(被告人が実際には冤罪であろうと、現実に自分が訴追されたとなれば身を守りたいという感情が先に立つのは当たり前の話でしかない)


ただ、そこで今度は刑事裁判の一大鉄則である「疑わしきは被告人の利益に」が登場します。
合理的な疑いを入れる余地さえなく有罪と言えるのでなければ、有罪と認めることはできないのです。






性犯罪でなくとも、民事での離婚裁判等をやっていると、しょっちゅうある現象があります。

例えば、「肩を叩かれた」という事実があったことは争いがないのですが、

「トントンと叩いただけ」vs「肩を強引に捕まれ引っ張られた」

などというように、叩いた側と叩かれた側でその評価が無茶苦茶に分かれてしまうのです。
離婚裁判全体としてみれば特別大きな争点でもなく、こんなところで意図的に嘘をついたり針小棒大をやらかしても仕方がないケースでも、そうなっているケースが珍しくありません。

なのに、どうしてこんな風に分かれてしまうか。

まず、離婚裁判になる頃には、どうしたって「肩を叩かれた」時からは相当な時間(年単位も珍しくない)が経過していると思われます。
時間が、記憶を狂わせていきます。
更に、離婚裁判になっている段階で、当然相手との関係は冷えているどころではなく、相手に対して憎悪にも近い感情が生まれているケースが通例です。
そうした相手への憎悪であるとか、恐怖、自己正当化の感情などが誤った記憶を生み出します。

証拠がある訳でもなく、結局どっちか分からないままに真偽不明扱いで処理される…別に珍しくもなんともない現象です。





結局、十分に記憶できないことや、事後の印象などによって間違ったことを言ってしまう現象については、どれほど偽証罪などの制裁をちらつかせようと正確にすることは不可能であり、
「そういう現象がありえることに留意した上で、真実とまで認定するには非常に慎重な対応をする」と言う姿勢が不可欠です。



あくまで「囲碁強豪としての、自分で体験した囲碁棋譜の並べ直しという経験を通じた、個人的な感覚」として言わせてもらえば、「被害者はこういっている」と言う証言をベースにした事実認定において、今の日本の裁判でこうした危険性がどこまで自覚されているのか、と言うのは、正直言って疑問があります。

一般に裁判の場で被害者の証言が信用できる根拠とされる、「観察の条件が良い」「被害証言までの時間が短い」「捜査から公判まで一貫してる」「内容が詳細で具体的で真に迫っている」というのは、確かに「相対的に見れば」被害証言の信用性を高める一要素とは言えるでしょう。
しかしながら、そういった相対的な評価が高いからと言って、絶対的な評価であるはずの信用性判断について、安易に認定していないか、と言うのは常々感じている所です。


どんなに条件が良くても詳細に記憶しているできるわけではない、と言う感覚を持つべきではないか、と思う次第です。




同時に、「被害者の証言の信用性を否定することは被害者が嘘をついていたり、人格的に問題があると断罪するものではない」と言う感覚を持つことも、必要なことと思います。
そういった感覚を持てば、たまたま無罪判決になっただけで被害者が嘘つきであるなどとバッシングされるような流れになりかねないだけでなく、「明らかに被害者が嘘をついているというようなことが認められない限り被害者証言の信用性を認めなければならない。」という感覚にもとらわれがちになり、判断に余計な歪みをもたらしやすくなると考えられるからです。






最終更新日  2014年10月10日 17時45分29秒
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2014年08月12日
カテゴリ:その他雑考

金田一少年の事件簿「剣持警部の殺人」。
少年法批判の作品として有名な作品ですが、私に言わせれば

「リアル少年法批判の作品としては0点である」

 

これ以上の評価はできません。


作者に少年法批判の趣旨がなく、作中世界の法律とリアル法律は全然違うんだ、というのであれば、それはそれで物語の演出としてアリだろう、とも思っています。
バトルロワイヤル法がリアル法律と違うわい!!と騒いだら滑稽ですよね。


それでも、現実に同作をリアル少年法への批判作と位置づける人は多くいます。
実際、リアル少年法への批判が主題であるとなれば、それでは済まされません

現実に、本作は少年法への批判が主眼であると言われる作品です。(一例としてこちら
もしそれが作者の意図であるとするならば、同作も少年法をはじめとする法的考証は不可欠なものであるはずです。
ところが、少年法をはじめとする諸法令に対する理解が全くお粗末で、もしこれが少年法批判を主題にしているのだとすれば「意図して少年法を悪い法律にして叩いている」だけの作品という評価しかできないので、それを上げていこうかと考えています。

なお、「推理モノ」としての評価や、冤罪を生み出しながら処分どころか目立った反省の素振りも見せない剣持警部については、思うところもありますがここでは触れません。
また、最近も少年法改正(有期懲役の上限を上げるなどの厳罰化を含む改正です)が行われていますが、連載されていた平成21年(2009年)当時の法令をベースに記載していくこととし、法改正は個別に言及するにとどめます。
もうひとつ、この作品は近々アニメ版が放送されるようですが、これはあくまで原作単行本ベースであることをご了承願います。アニメでもしかしたらこの辺の問題点は改善されているかもしれませんので念のため。



一、軽すぎる少年たちへの処分

これが一番ひどくて目立ちますね。

少年たちが十神まりなを死に追いやった最初の事件。
元の事件は殺人まで行くのは難しいでしょうが、監禁致死罪にはなります。監禁から逃げようとした結果窓から転落死、という経緯が真実と認定されている限り、監禁致死罪が成立するでしょう。
被害者が執拗な暴行を受けて逃げ出し、10分後に800m離れた高速道路上に出てしまい、高速道路の車にひかれて死んでしまったという事例でも、「あれは交通事故だ!」などという被告人の主張は認められず、最高裁で致死罪の成立が認められています(最決平成15年7月16日で、連載中の時点でも既にこの判例は出ています)。

初犯であろうと思われる(いろいろ別の非行を押し付けられていたようですが、それでも少年院などに入った経験はないと思われます)毒島が懲役3年の実刑になったことも、それを裏付けています。
単純な監禁や暴行・死体遺棄で初犯に3年の実刑は考えにくいと言わざるを得ません。

作中で多間木は「死亡は事故だ」とか言っていますが、そんなんで致死の成立を逃れられるほど日本の刑法は甘くはありません。(事故的な要素もあったということで刑を軽くしてくれ、と主張するくらいは弁護・付添側としてはやるでしょうが…)
監禁致死罪が成立するとなれば、「命令されてやったんだ」というそれだけのことを理由に1ヶ月で少年鑑別所から出てきて保護観察とか不処分で終了、なんてまず考えられません
監禁致死罪なら原則検察官送致とする規定に引っかかります(少年法18条2項、ご丁寧に犯行当時全員16歳以上です)。仮に原則逆送の規定の例外として逆送せずであったと仮定しても、少年審判で少年院送致は必至と言えます。
命令されたから…というだけで、こんな死亡事件が保護観察に落ちるなんてことは到底考えられないのです。
それこそ、毒島に24時間つきっきりでずーっと殺すぞと脅されてやむを得ずやっていたというくらいで、それでも少年院であろうと思われます。毒島がずーっと側にいたのでない限り、警察に駆け込めばよかったからです。

仮に、何らかの原因で事実関係が曲がってしまい、致死が問われず、監禁のみで済んでいたと仮定しても、主犯が初犯で懲役3年になるレベルの監禁は認定されているわけです(毒島だけ監禁致死で他は単純な監禁では話が合わない)。
監禁の犯行態様も、作中で見る限り、放っておけば死の結果さえもたらしかねない酷い内容であったことが記録にはっきり残っていたことは描写されているのです。
それだけ認定されて、命令されていたからと言って検察官送致される事も少年院送致されることもなくさっさと出てくる、というのも、やはり考えられない措置です。
私が付添して、少年院に行った少年たちも何人かいますが、彼らが保護観察で済むなら私が付き添った少年は皆保護観察どころか不処分でしょう。

本件のもとになったとネット上では噂される女子高生コンクリート詰め殺人事件とて、主犯でなくとも5年以上7~10年以下の実刑になった少年が何人もいるのです。
監禁致死、あるいは相当ひどい態様の監禁を主犯の立場でやらかしたと認定されながら3年ですこっと出てきたり、そうかと思えばほか2名は保護観察や不処分で終了だなんて、どこの国の少年法なんだ?という感じです。

なお、このあたりについては近時法改正が行われ、少年に対するさらなる有期刑の厳罰が可能になりました。


二、事件を知らない父親?

多間木の父親は、多間木が猫をかぶっていたから何も知らなかったように描写されています。
しかし、これもはっきり言ってありえない現象と言えるでしょう。

少年審判は、成人の刑事事件と比べて家庭環境が格段に重視されるといえます。
当然、大病院の院長であるという父親本人にも家庭裁判所の調査官からの聴取が行くはずで、その過程で父親は多間木の行為について知るはずですし、少年審判にも保護者は呼び出され、原則として少年の隣に座ります(少年審判規則25条)。
警察も、おそらく被疑者段階から親に対して聴取をするはずです。行方不明ならともかく、大病院の院長として行方が丸わかりの父親なわけですし、私が過去に行った付添でも、大体連絡の取れる少年の親には家裁送致以前に警察段階で聴取が行っています。
湖森がどれほど握り潰しを目指して頑張ったところで、その全てを阻止することが可能であるはずはないのです。
もしどうあっても調査に協力したくないんだと父親が騒いでいかなかったとか、文字通り全く審判に関心を示さないまま本当に何も話さなかったとすれば、上記したとおりただでさえ皆無に等しい保護観察以下の可能性がますますゼロになっていくことも然りです。
万億にひとつでも、保護観察にしようとかいうことがあったならば、当然裁判所は親の監督について徹底的にチェックし、親がしっかり面倒を見られることを大前提にします。
ただ単に金があるとか社会的地位があるというだけで面倒を見られると判断するほど裁判所は甘くありません。
その意味でも、多間木の父親が事件を知らないのはありえないのです。(事件の詳細な背景は知らず、息子は命令されて巻き込まれただけなんだ、という認識でいることはありえなくはないですが…)


まあ、もし多間木の父親を庇って湖森弁護士があの場で何も知らなかったのだと嘘をついたのだというのなら、それはそれで見上げたものですが。


三、湖森弁護士の何が問題なのか

3人の弁護(少年審判の場合は「付添」)をした湖森弁護士は、毒島の告発の手紙を握りつぶした、という点が非難されています
しかし、湖森は多間木や魚崎の付添もやった身です。
作中では自分の娘の病気を治したいという動機が強調されていましたが、そんな動機以前の問題として、自身付添人をやった立場で、当該少年を告発するような行為は完全な弁護士倫理違反です。
無罪判決を受け、確定した、自分の弁護した被告人に対して「有罪だと思っていた」とメディア上で語った弁護士は懲戒処分を受けています。

しかし、湖森の弁護、少年審判なら付添になりますが、これはそもそも3人セットで引き受けたことが問題といえます。各人の言い分が全く同じなら良い、という考えもありますが、共犯者同士言い分が食い違うことは珍しくもなく、引き受ける段階でそこまで考えるべきであるし、そもそも論として非常に危険です。優秀な弁護士のやることではありません。

まして、さあ現実に言い分が違ってしまったぞ、となればその時点で付添の立場を辞し、別の弁護士にバトンタッチすることが必要だったはずなのです。

湖森弁護士は、告発の手紙を剣持に送ることは立場上出来ないと伝えることは必要であったでしょうし、そもそも共犯者3人の弁護を一人で受け持つなどということをすべきでなかったと言え、それでも受け持ってリスクが顕在化した場合の処理をきちんと行わなかったと言えます。
その意味での湖森弁護士の責任は重いと言わざるを得ず、その点に関して毒島に対する誠実義務を果たさなかった湖森弁護士が非難され、懲戒されることは当然とも考えられます(もっとも、裁判が終わってしまうと湖森弁護士に弁護人としての地位はないので、終わっていたとすればわざわざ送付する義務はなかったのですが)。
しかし、手紙を剣持に送付しなかったことそれ自体については、湖森に落ち度は全くない(そればかりか、やれば懲戒処分になること)のです。







一がメインで後の二つはおまけのようなものですが、同作の背景事情に過ぎないはずの少年法や刑事法・弁護士倫理の考証について、やはり見過ごすことはできないな、と思いました。

何より問題なのは、作中で「罪を犯すなら20歳未満」とか言うセリフを、20歳未満がたくさん読むであろう作品で言わせておいて(私自身も、金田一少年の事件簿は20になる前頃には見てました)、それでいて法的考証がこの程度、というよりやったのかどうか疑われるレベルであるという点。

 

少年法を実際以上に舐めるように印象づける運動は、少年法改悪と変わりません。


金田一世界の少年法はリアル少年法とは全然違います、というのなら、一部の評価は読者側の評価の暴走に過ぎず、作者個人を非難するのは酷というものかもしれません。
ただし、同作をリアル少年法への批判が主題の作品として捉えてしまうと、ろくな法的考証もないまま大きな問題を扱ったという意味で、ここまで評価の低い作品はない、と言えるのです。






最終更新日  2014年08月23日 15時07分29秒
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2014年04月23日
カテゴリ:その他雑考

生活保護と言うと、しばしば「ナマポ」などと言われて非難の対象になります。

また、生活保護の対象にどのような人を含めるべきなのか、あるいは給付すべき額はどれくらいか。
生活保護について、その範囲や額をもっと(適正に)緊縮すべきだという主張は、ネット上を少し廻れば簡単に出てきます。

この中には前提とすべき生活保護制度自体の基本的な知識に欠けているとしか思われない人も多いです。
(働いていても保護基準以下なら受けられる、文字通りのニートは受給できないなど)
生活保護自体不要だというマッチョイズムな方々もいます。
しかし、これについてはここでは触れません。


今回気になるのが、
生活保護の給付を適正に行うことについて、「何のために緊縮・適正化するのか、趣旨を明確にしている」
人たちは意外なほど少ないように思えることです。


「何のために生活保護を緊縮するのか」


と言うことが明確にならないのであれば、議論も迷走するし、取り入れるべき手法もまとまりません。
前提として仕入れるべき知識もまとまらないことになります。


生活保護の緊縮・適正化については、大きく分けると2つの趣旨があるかと思います。

一、財政の健全化

現状の苦しい台所事情から、生活保護費も削れるものなら削りたい。
だからこそ、削れる生活保護費(=不適正な保護費)については削って、財政を健全化させたい。

二、公平感等の保護

税金を払うのも楽ではないのに、必要のない金銭を払ってあげるのは税金の使い方として許せない。
その意味でも、必要のない給付はそぎ落とし、不公平感をなくしたい




どちらも、目的それ自体は、決して不当なものではありません。
財政の健全化は言うに及ばず、不公平感についてもなくせるのなら、それに越したことはないと言えるでしょう。
(不公平感が大きくなりすぎれば、勤労意欲の阻害なんてことも起こります)

また、両者は必ずしも二律背反ではなく、財政の健全化が公平感を守ることにもつながるでしょう。


しかしながら、イコールではありません。


私は、現実の金銭の問題であり、財政の健全化を必要とする情勢である以上は、生活保護の緊縮の趣旨については、
現実的な利益の追求を第一とすべきであり、
二については、財政健全化の目的を達成できれば自動的、あるいは僅かな負担でついてくる範囲で追求すればよく、少なくとも財政健全化の目的の達成を犠牲にしてまで達成する必要はない、と考えています。
そして、不公平感の払拭が感情的な問題であるため、直観的に給付するしないで回答を出しやすいのに対し、
財政健全化したいのであれば、実際に使う金銭の額などを想定しなければなりません。
必然的に、ただ単に給付額を少なくすればいい、審査を厳しくすればいいというものではなくなってきます。


財政健全化の観点から考えた時に、生活保護の緊縮に当たって考えるべきこととして、「費用対効果」の問題が大きく加わってきます。
財政健全化が目的であるなら、生活保護費の切り詰めに成功しても、よそにもっとお金がかかってしまうような現象は本末転倒になってしまうためです。


例えば、不正受給の取締り。
確かに不正受給を取り締まるのは大切ですが、不正受給を取り締まるのに必要な人員は?時間は?という問題が出てきます。
時間を増やすことができるはずはないので、人員を増やすしかありません。
では、その人員の人件費を出してあげてくださいということになります。
その人員の人件費が、削れた生活保護費より高くなってしまうのでは、本末転倒ということになります。

金額面でも、緊縮するのは大切ですが、
他方で生活保護の金銭は「生活保護の状態を脱出するのに必要な金銭である」という面があります。
スーツも履歴書も買えず、仕事に必要なパソコンや車も携帯もなくと言うことでは、
永遠に高くない生活保護を受け続けさせることになってしまいます。
一時まとまった金を渡して脱出させる方がよほど(全体としてみれば)安上がりでしょう。

緊縮と犯罪。
緊縮のしすぎは、生活への不満から犯罪者を生み出し、治安悪化を招く可能性もあります。
刑務所に入っている犯罪者に支出される一人あたりの金銭は、年間250万円。刑務官の給料や施設の維持費などが中心で、食費や被服費など人が増えたことで自動的に増加する費用は50万円程度。刑務所・拘置所などの年間予算2000億超に対し、刑務作業の収益は50億程度。
大規模に増えれば、施設維持費や刑務官の人員も増やすほかありませんから、受刑者の生活を今以上に切りつめさせた所で完全な焼け石に水です。
他方で、生活保護を「一人で」年額250万円もらえる、というのは考えにくい事態です。

その上、被害者に対する被害を考えたら目も当てられません。公的な補填をするのでなければ、「泣き寝入りせよ」という方面にも波及します。



ところが、不労所得をもらうのは許せない、とにかく最低限度の生活のためのお金でいいのだという理屈に絞ってしまえば、こんな検討には意味がありません。
例え生活保護の取締りにもっと金銭がかかってしまおうが、犯罪者が生まれて刑務所に費用がかかろうが、知ったことではないので、全体として費用がかかってしまっても構わないということになります。



もちろん、どちらに重点をどの程度置くかは、個人の価値判断と言えなくもないでしょう。
両方がかなえられるならそれに越したことがないのもまたしかりです。

ただ、もっと費用がかかってしまう結末になっても構わないから、生活保護を緊縮しよう、という見解はちょっと考え辛い(少なくとも、私は見たことがない)のに、費用対効果を検討している例をほとんど見ないと私は感じています。



・・・それでいいのでしょうか?
財政健全化が目的なら、せめて費用対効果くらいは、検証すべきではないのでしょうか?

費用対効果なんかどうでもいい!!とか、そんなのはお上が考えて改善すべき・改善できることだ!!とか
考えているのだとすれば、少なくとも私の感性とはかなり違う方だとは言えそうです。






最終更新日  2014年04月23日 18時19分36秒
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