イスラムの祈り
私自身は父の転勤で、東南アジアのイスラム国で幼少時代を過ごした。幼い頃から、住み込みのお手伝いさんたちがお祈りをしているのを真似て遊んだ。そんな私たち姉妹にとって,イスラム教徒への偏見はなかったように思う。それでも実際結婚することになって、やはり宗教への知識は不可欠だった。モロッコはイスラム諸国の中でも比較的規律がゆるい。女性でベールをかぶっていない人も五万といるし、みんな思いっきり左手も出してご飯を食べてるし、よほどのお金持ちで無い限り、四人の妻なんて流行遅れ。ただ、唯一守られているのは「豚肉とアルコール厳禁」と年一回の行事「断食」。モロッコ産のワインだってあるのだから、大きな町や観光地にはアルコールも普通に手に入るし、豚肉もスーパーで売っている。でも一般市民の日常生活でこの二つは当然に存在しない。お酒の苦手な私にはなんら支障もないけれど、結婚式などの大きなイベントで、ソフトドリンク持ってサービスしてる高級ホテルのボーイさんを目にするときは、さすがに違和感を感じる。ちなみに海外暮らしのモロッコ人には(家の旦那も含めて)ちゃっかりお酒文化を味わっている人も多いのが現実。もちろん中には「厳格派」もいる。大抵そういう人たちは親族揃って同じ価値観で生きているから、モロッコ人同士の結婚でもそれが原因でもめることがある。たとえば私の義姉は、娘を厳格派イスラムの家に嫁がせてしまい当時はとても苦労していた。たかが10年来のつきあいで、イスラム教を語る資格もない私だけれど、宗教としてはとても奥深く神聖で、そしてこの上なく偉大なものだと感じている。誰かが「イスラム教」と、違う時代のとある国では「キリスト教」と、そして遠きアジアの地では「仏教」と呼んだ。人間の心底にあるものは同じで、この世界を創造した「神」と呼ばれる”何か”も共通のものを指すのだから。そんなユニバーサルな見解で宗教を見極めれる人もそうめったにいない。なぜなら、それぞれの社会の中で宗教は日常生活と密接しているものだから。日本の仏教の墓前に立つ彼の面影はおだやかだ。断食もしなければお祈りもしない。それでも心は誠実なイスラム教徒である。努力もせずにお祈りだけしても神様は救ってはくれない。それぞれの目に見えない祈りの声が今日も聞こえる・・・・。