2010/08/15

☆欲望の果て

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 あらゆる地下資源を地上から放逐する未来のエネルギーは、核保有国に対して供給される機会を永遠に与えない。健全な究極のエネルギー創出法であるからこそ、不健全な社会システムを維持することに使ってはならない。温暖化を進めさせてきた主要な原因、即ち炭素系資源を大量に消費しなければ成り立たない旧来のモデルは、既に限界領域付近へと達した模様である。気候の変動が重大な変化を地表へと齎すようになってから、既に久しい。今年の異常気象を予測していたという情報は、一つとしてなかった。自然界から文明に対する報復活動は、人知の及ばない部分で以前から始まっていたようである。
 温暖化を止める効果を有する方法は、たった一つしかない。それを再生不要エネルギーとここでは呼んできた。このエネルギーモデルに関する種々の情報は、かなり踏み込んだレベルのものが過去の記録として保存されている。電流のもつその性質に関する基礎的な知識をもっていれば、誰にでもすぐ分かる程度の簡単なものである。太陽電池が温暖化を防止できると思い込んでいるレベルにあるのなら、再生不要エネルギーを理解することはできない。交流送電の欠陥を知らないでいると、生命環境を自らの手で劣化させることになるだけなのだ。これまでの経過は、その事実をよく告げるためのものになっていた。


 太陽電池を普及させていけばそれで温暖化が防止できる、という思いは今や信仰と同じ状態になっている。太陽電池の導入で火力発電所の燃焼炉が停止した、という事実は何一つ確認されたデータがない。その事実を指摘した報道もなかった。発電で消費した炭素系資源が、節電したことによって元の状態へと戻された、という事実などは存在しない。誰にでも分かる当たり前の話である。自然エネルギーでも同じことなのだ。二酸化炭素を「実際に」減らしたことを証明しない限り、異常気象はこれから先も募り続ける。名目値を操って誤魔化してきたからこそ、気象条件の変化を引き寄せてしまったのである。まことにもっともなことであった。この現実を文明は見損なっているのだが、その事実に気づくこともなかった。温暖化は人災。止められぬ訳がなかろう。
 弱電の研究者は交流送電の実体を知らず、強電の技術者は直流に関心がない。それぞれ分断された別個の、独立した技術分野になっている。一部で直流送電を実施している事例はあるのだが、送電系統はその大部分が交流で成り立っている。電気の知識をもっている人であれば、電流の性質を十分知っているということにはならない。送電を目的としない直流は回路になっていなければならないのだが、交流送電では一方通行の電路になっていなければならない。この違いが分かっていたのであれば、太陽電池に温暖化を止める効果のないことがよく理解されていなければならなかった。交流送電には出力変動を吸収するための余地がまったくない。周波数という交流成分をもつ電流で、そのすべてが成り立っているものであるからだ。



 交流送電の限界を承知していれば、温暖化する一方の傾斜から抜け出せないことを、常識として認識することはできていた。ここが見えていないと、交流の意味と直流の意味とを、それぞれ正しく弁別することは不可能なのだ。節電行為で燃焼炉の稼働率を低下させることが本当にできるのであれば、そのデータを電力会社に公開するよう迫ればよい。それだけで済む簡単な話なのだ。発電量の推移をみるだけでは、不十分である。燃焼炉に投じられている化石燃料の推移とその変化する方向を確認しておかなければ、二酸化炭素が実際に減ったかどうかを知ることはできない。
 異常気象が一方的に増悪するという傾向を年々強めていたにも関わらず、その原因(温暖化を止めることができなかった理由)を調査しようとしたことは一度もなかった。実効のない対策のままそれで良しとしてきたがために、温暖化を止めることがまったくできなくなっていた。交流送電の限界を承知している電力会社が、事実を国と国民とに告げる努力を意図的に怠っている。真相を国がもし察知していいたのであれば、温暖化がこれほどまでに悪化する事態を招くようなことにはなっていなかった。打つべき手は、数多く残されていたのである。

 状況がどんなに悪化していったとしても、温暖化を止める効力をもつ未知のエネルギーが、だからといってすぐに与えられるようなことはない。この最終エネルギーとなるものは、地上から核兵器をなくす努力をした国に対してのみ、与えることが許される。そのような原則で開発が進められてきたものなのだ。核保有国は自らの責任で、核の不在を証明してみせない限り、二酸化炭素を吐き散らすエネルギーを使い続けていなければならない。核を持たない国には、この再生不要エネルギーが条件付きで貸与されるはずである。
 その条件の一つとなるのは、歳出に占める軍事予算の割合である。生産に寄与しない予算に過大な比重を与えている国に、このエネルギーを貸与することはできない。この装置は、販売を目的とせずに開発を進めてきたものなのだ。温暖化が進んだからといって、装置の普及を急ぐべき筋合いなどはない。少し考えたら問題の所在を突き止めることができる。誰にでも開発のチャンスは与えられている。
 核兵器を保有している国が健全性を取り戻すまで、二酸化炭素の排出源であり続けていなければならないという訳。核廃絶を実現するのは、あきらかに不可能なこと。現状ではそう言わざるを得ない。だが、資源を消費しない健全なエネルギーと引き換えで廃絶に応じるのなら、温暖化を止める効果を短期間で引き出せる。その可能性は極めて高い。条件はみな同じ。スタンダードはただひとつ。

 エネルギーコストが低下するようになれば、経済効果は当然に高まる。資源のいらないエネルギーなのだから、採掘コストや輸送コストはまったくかからない。電気代そのものが発生しないシステムであるのだから、装置を導入すれば定格出力の範囲内で電力は制限なしにいくらでも使える。上位機種なら無停電電源と同じ効果も得られるだろう。このため、災害などでライフラインが途絶したとしても、日常の生活に困窮するようなことはおきない。水と食品は、住宅の内部に常備されている。これだけで当分の間過ごせる。
 このエネルギーシステムを導入すると、電気はタダで幾らでも使えるものとなる。毎月の費用は、装置システムのレンタル料だけ。電気代ではないので、電力積算計をそこに装着しておく必要そのものがない。節電器型のモデルには災害対応能力はないが、導入するための費用を抑制する効果が得られる。自家発電機タイプなら、停電しない電源としていかなる時であっても電化生活を十分に楽しめる。二酸化炭素の発生は、まったくない。資源を消費しない発電モデルなのだから、副作用など起こす余地が予め排除されているということになる。個々のコンポーネントは総て、市販のレベルにあるものばかり。開発期間は極めて短い。時代の節目が訪れて様相が明らかに変わったとき、この装置が披露される時を迎える。現時点では時期尚早といわざるを得ない。公開の場所が日本であるとは限らない。製品は組み立てるだけのシンプルなものになっているので、場所はどこでも構わない。部品点数は、とても少ない。


 事実認識を正当にできるような状態になったとき、世界のどこかでこの装置が産声をあげるだろう。結果を急いではならない。詰めを誤ると、核廃絶は絵空事に終わる。理念の気高さを証すもの、それは実際の変化でなければならない。今までは反証に終始していた。これからは実証の段階に入る。軍需産業を淘汰せずに成長させていけば、二酸化炭素はその濃度を急速に増加させる局面を迎える。異常気象はますます突出したものとなり、自然災害はもっともっと猛威を揮うようになる。われわれはそのような時代にたまたま生れあわせ、共に問題を解決するよう迫られている。ソリューションは間違いなく、存在している。真実を早く見出すためには、あらゆるノイズを排除して本質だけを見極めなければならない。
 人類全体に危機が迫っているときに、同盟関係の維持が何の役にたつというのだろうか。やるべきはエネルギーシステムに潜む欠陥を暴き、その病根を速やかにとり除くということだけなのだ。石油の大量消費を前提として成り立ってきたこれまでの政治経済の在り方は、温暖化を進めてきたことによって、見直しをするよう地球から既に求められている。合理性の裏付けのないシステムに、健全性が宿ることなどあり得ない。現状の名状すべからざる拙さは、その何よりの証拠であった。文明はそれでありながら真実から尚目を反らせ続けており、石油の消費を今まで以上に急ぐようになっている。生命全体に巨大な淘汰圧をかけているのは、人間の抱く欲望に他ならない。再生不要エネルギーが邪悪な欲望を満たすための道具であっては、ならない。当面の課題は、まさしくこれに尽きる。





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最終更新日  2010/11/13 10:51:40 AM
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