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2019/09/20(金)22:28

コート―ルド美術館展を観る

絵画(57)

​​​​​​​​​​​​​​2019年9月19日(木)東京都美術館でコートールド美術館展を 観てきました。ロンドンのコート―ルド美術館の作品群が イギリス国外に出ることは、ほとんどないそうですが、 改修工事による休館を機に、フランス近代絵画の傑作が来日しました。 コート―ルド美術館は、20世紀初頭にレーヨン産業で成功した サミュエル・コート―ルドのコレクションが中核になっています。 印象派を代表するマネ、モネ、セザンヌ、ルノワール、ゴッホ、 ゴーギャン、ドガ、などの有名な作品がたくさんあって、 興味は尽きませんでした。      (^◇^) 【「フォリー = ベルジェールのバー」 マネ 1882年】  フォリー=ベルジェールはパリのミュージックホールで、  歌や踊り、曲芸、珍獣の公開など、多彩な催しで人気を博した。  この作品の舞台はその一角にあったバー。  後方は大部分が鏡で、複雑な空間に人物、群衆、静物を  卓越した技術で描いている。  バーメイドはアルコールの提供だけでなく、娼婦となることも  あったという。   【「アルジャントゥイユのセーヌ河畔」    マネ 1874年 】  19世紀後半、余暇を楽しむ時間を得たパリの中産階級の人々は、  休みになると大都市を離れ、まだ自然の多く残る郊外の町へ  繰り出していった。  アルジャントゥイユも、そうした町のひとつで、  人々は、セーヌ川での舟遊びや岸辺の散策を楽しんだ。  本作品の前景には、レジャー用のヨットと  散歩を楽しむ親子が描かれている。 【「草上の昼食」 マネ 1863年頃 】  本作品はオルセー美術館の「草上の昼食」の準備習作か、  あるいは完成後に作られたレプリカか、長年にわたり    議論されてきた。  近年の調査で、人物は迷うことなく描かれているのに対し、  風景は幾度も修正され、画面上で練り上げられたことが    分かって来た。  こうした作品の調査結果を踏まえ、最近では  オルセー美術館の「草上の昼食」を描いている途中に、  背景を検討するため本作品を描いたのではないかと    考えられている。 【「秋の効果、アルジャントゥイユ」 モネ 1873年】  画面中央にはセーヌ川の本流が流れ、  その向こうは1871年から1878年まで  モネ一家が暮らしたアルジャントゥイユの町が見える。  1851年鉄道が通ると、豊かな緑とセーヌ川を眺めるため、  パリの人々がこぞって訪れるようになった。  アルジャントゥイユは工業都市へと変化していくが、  変化する街並みの描写より、秋の印象、移ろいゆく    光や色彩を捉えることに主眼が置かれている。 【「カード遊びをする人々」 セザンヌ 1892~1896年頃】  モデルはセザンヌの別荘で働く人々。  土地に根付き、昔ながらの生活を営む人々の姿が、  厳かさを帯びるような堅固な構成のうちに捉えられている。 【「大きな松のあるサントヴィクトワール山」 セザンヌ 1887年】  サントヴィクトワール山は、南仏エクス=アン=プロヴァンス  の東にそびえる山。  前景には大きな松の木があり、その枝は山を隠さないように  伸ばされている。  簡略化された枝ぶりは山の姿を際立たせ、  遠くの山の頂上をより近く、大きく感じさせる。 【「桟敷席」 ルノワール 1874年 】  近代都市パリに暮らす人々の一場面であるが、  絵画に劇場の桟敷席が描かれるのは珍しい。  ルノワールの弟エドモンと、お気に入りのモデルであった  ニニ・ロペスがポーズをとっている。  彼女は身に着けた宝石とドレスに相応しい身分の高い既婚女性か、  流行に敏感な上流階級の女性か、あるいは高級娼婦か・・・、  明確には示されていない。 【「靴紐を結ぶ女」 ルノワール 1918年頃 】  ルノワールは近代都市となったパリの新しい日常を積極的に  描いていたが、晩年は水浴や身支度をする女性の姿を繰り返し  描いていった。  くつろいだ様子で女性は靴紐を結んでいる。  左手には、これから身につけるであろう衣服や、  花飾りがついた帽子が置かれている。 【「春、シャトゥー」 ルノワール 1873年頃】  シャトゥーはパリ郊外のセーヌ川沿いの町で、  週末はパリから訪れる人でにぎわった。  穏やかなこの地を気に入ったルノワールは  1970年代の中頃からよく出かけ、  郊外の自然と、それを楽しむ人々を描いた。 【「ネヴァー・モア」 ゴーギャン 1897年】  1891年、ゴーギャンは素朴で原始的な生活を求めて、  南太平洋のタヒチ島を訪れる。  その後一度帰仏するが、再び島に戻った。  ゴーギャンは現実と想像の世界を融合させ、  装飾的な空間に島の娘を配した。  裸婦と、奥の二人の人物、窓辺の鳥、  の関係性は明確でなく、  全体に謎めいた雰囲気が生み出されている。 【「舞台上の二人の踊り子」 ドガ 1874年】  繰り返し劇場や稽古場に通ったドガは、  踊り子の一瞬の動きを巧みにとらえていく。  中央でつま先立ちをする踊り子のふくらはぎの筋肉や、  トゥーシューズののふくらみが繊細に描写されている。  右の踊り子は重心を低くし、左の踊り子の顔を覗き込む  しぐさをしている。  画面左端の3人目の踊り子が少しだけ姿を見せ、  舞台の広がりと奥行きを示唆している。 【「ロードシップ・レーン駅」 ピサロ 1871年】  線路を跨ぐように架けられた橋の上から見た、  汽車が駅を発つロンドン郊外の様子が描かれている。  1851年の第1回ロンドン万国博覧会の目玉であった  鉄骨とガラスで造られたクリスタルパレスが  ロンドン南部に移築されたことで観光客が増加し、  この路線が開設されたと言われている。      (*^-^*)​​​​​​​​​​​​​​

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