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カテゴリ:わたしの履歴書
私が松浦優子になってからシリーズ
①無職で能天気でモヤモヤだらけの妊娠期 に続いて今日は産後期についてです。 衝撃!は産むときだけじゃなかった 無事に予定日の1日前に生まれてきた長男。 陣痛も衝撃でしたが、 後陣痛もなかなかでした。。(*_*) でもね お産に関してはまだ本や 母親学級で勉強して心の準備など していたので良かったんです。 問題はその後でした!! 円座が無いと椅子に座れない。。 (産院で円座を探して脚を引きずって歩く様がみんな同じで産院では笑えたんだけど) 眠い。。夜も昼も抱っこだし わたしはいつ寝れば良いの?! お腹はへっこんだけど、 このたるんだ皮はいつ戻るの? とにかく体がしんどいんだけど。。 でも体が回復しそうな ちゃんとしたご飯をつくる気力なんてないよ? そこで 泊りがけで助けに来てくれた実母に 仕事だから2週間で東京に戻る、と言われ (細かい打ち合わせなんてもちろんしていない) え?ちょ、ちょっと待って。 これから誰に 助けてもらえば良いの? これらを全部自分で背負うのが 母親ってものなの?? 誰か、教えて! っていうか助けて!! そんな 【こんなの聞いてない】づくしで スタートしたのが私のはじめての子育てでした。 体はしんどくてたまらないのに、気持ちは外出したくてたまらない、そんな時期の1枚。 絶望感と怒り 体がしんどいのはもとより 何より辛かったのは、まるで 『自分の人生はもう 諦めなくてはいけない』と 言われているように感じる 先が見えない日々でした。 毎日同じことの繰り返し。 話し相手もいなくて、 支援センターに通ってみたけど 挨拶をかわす程度で友達らしい友達もできず。 息子は可愛いのに、 心からの笑顔で抱っこしてあげられない。 そんな自分は お産の時にいきみ過ぎて(パニック状態だった) “母性”成分が出て行ってしまったんだ... きっとそうに違いない... 仕方ない...とにかく頑張らなきゃ...! そう自分に言い聞かせて過ごす毎日は 本当に辛かった。 大げさかもしれませんが 絶望感 に全身浸かっていた、 と言っても良いかもしれません。 こういう表現をすると 「そんなこと言ったら子供がかわいそう」とか 「出産っておめでたいことなのに そんなこと言って不謹慎では?」と おもわれる方もいるかもしれません。 確かにそうだとおもいます。 嫌な気持ちにさせてしまったらスミマセン。 でも 母親になる覚悟も準備もないまま 宙ぶらりんな気持ちで母親になった私は あの頃、そんな感情と戦いながら 生きているだけで精一杯でした。 そしてそんな夫婦関係を察するのか長男はよく泣いたなぁ...ゴメンよぅ。 そして悲しいことに “絶望”という感情は徐々に “怒り”に変わっていきました。 「どうしてみんな出産はおめでたいこと としか教えてくれなかったの??」 「どこに行ってもどうして 赤ちゃんのことばかり聞かれるの?」 「どうして誰も私を見てくれないの? ...こんなに頑張ってるのに!!」 そんな怒りの矛先は夫へ向けられていったのです。 夫「あの頃は本当に辛かったなー。。(遠い目)」 相当 家の中で殺気立っていたそうです。ワタシ。 もうコミュ二ケーションどうこうって話じゃないくらい。 そんな【産後】を経験した私が 2回目の出産に対して 後ろ向きな考えをもっていたのは言うまでもありません。 しかし 第2子妊娠中のある出会いが 私の人生に大きな影響を与えることになります。 >>私が松浦優子になってから① 〜無職で能天気でモヤモヤだらけの妊婦〜 \お申し込み受付中/ オーストラリアへ届けよう☆ 子連れでエクササイズ! 子育て支援サークル踊る!弾む!母部 3/19(木)10:00~11:00 残5組 3/25(水)10:00~11:00 残4組 \お問い合わせはこちらから/ 松浦優子>>プロフィールはこちら 東京生まれの下町っ子。元幼稚園教諭、元保育士。 高校時代にダンスに目覚め、スタジオへ通い詰める。 都内で幼稚園教諭として5年勤めたのち ワーホリでオーストラリアへ。 結婚して島田市に移住し、現在8歳、6歳、0歳児の母。 産後ケアの認定NPO法人マドレボニータの インストラクターとしてレッスンを開催したり 元保育士の経験を活かした 子育て支援サークル活動をしている。 ▽マドレボニータ静岡faccebookページ https://www.facebook.com/hahahane/ ▽なんで産後ケアが必要?マドレボニータって? https://www.35.madrebonita.com/aboutus お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.03.05 15:48:28
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