これから
不謹慎分子を狩ることで狩人が即席の安らぎを得られたとしても、被災した人々のもとに心の平安が訪れるわけではない。自粛ファシズムの中で貝のように口を噤んでしまうことは保身にはなっても、そこから何かが生まれるわけではない。寄付と節電以外に私にできることがあるとすれば、それは、当たり前の幸せに感謝しながらこれまで通りの生活を送ること。そして、次の世代の為に原発について深く深く考えながら、発言し合い、間接的にでも政治に参加すること。別に経済を回すとか、そんな大それた野望は私にはなくて…、でもこんな時だからこそ気に入りのレストランで食事をしたり、福島のお酒を楽しんだり、ほうれん草をモリモリ食べたり、浄法寺塗りの朱いお箸を娘に買ってやったり、一年半前訪れた盛岡の地に思いを馳せつつ釜定のオイルパンでパンケーキを焼いたり…瑣末なこと…。しかし、それは決してゼロではなく、またそれを発信することもマイナスではない。そのことに、この数日の間いただいた多くの誠意あるメールが気付かせてくれました。ありがとう。前を向いて、少しずつ。にほんブログ村