カテゴリ:2007年~リアルライフ
#0012 しばし、しんばし、シンパシー。 エアライフ~撮影記録&補足-1 午前10時のゆりかもめに飛び乗って 東京湾の匂いにくんくんしながら 汗拭きネクタイでプレゼンの打ち合わせ。 クールにかっこつけてるのは 気取ったビルの青空と モニターに浮かぶ日記の文字だけです。 東京中年のリアルな身体は 暑い、眠い、だるい。そんだけ。 いつも、この星の「しごと半球」は退屈に回っています。 遅めの昼ご飯は一人のソバに、 ないしょのグラスひとつ。 手のひらサイズの 泡立つアルコールで夏休み。 逃げ込むには、ちっちゃすぎる水たまりだけど。 なまめかしくうねる蕎麦、 すだれの向こうにタイヤの夏の匂い、 次の原稿の締め切りとか、不整脈の定期検診とか、 マーク・ボランや、マグリットも、 介護も、知人や家族との永遠の別れだって、 (5月の連休に父の7回忌を済ませました) みんな、それぞれが 重たくて、切なくて、キラキラ輝いたり、 泣きたくなるほど辛かったりすることもある 自分のリアルな真ん中です。 180cmX62kgの ひょろながくて色素不足の 情緒不安定空間。 この輪郭線は、 「自分」とやら呼ばれる何かに 用意された 「リアルライフ」への入り口か、出口か。 25年位前、印刷工場から履歴書持って このソバ屋の隣の路地裏に来ました。 そこには社員2人だけの レコード業界紙の事務所があって 編集部をひょいと通り抜けてみると その先のホテルのロビーで 本物のデビッド・ボウイに取材できたりして 僕はちょっとびっくりしたことがあります。 リアルな世界のあちこちには モグラの迷路みたいないろんな抜け道があって、 意外に間抜けな設計図です。 入り口も出口も何処にでもある、 と思った25年前の新橋バックストリート。 そんな世界の境目を偶然通りすぎる時に 一瞬見える気がする、まぶしい時間。 人生って目がくらむほど切ない夢なのかな。 それが、エアライフの景色だと思いました。 リアルライフの不意を突かれて 世界中がどきどきしているうちに 宇宙の仕掛けなんて、ほら、とばらしてしまう まるでナイフみたいな 突然の「心のジャンプ」。 僕の中でずっと息を潜めていた 「宇宙の、もう半分」が たまらずクシャミする瞬間。 それが、エアライフ。 予想もしなかったギターの官能フレーズが 自分の指に降りてくる夜や 青すぎる空の色に気付いてしまう 悔しくてたまらない真夏の午後とかに、 僕は、魂の「100m10秒の壁」を 超えることができるかもしれない。 僕の思う「エアライフ」とは 「宇宙を抜き去る心のスピード」 のことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月01日 01時13分06秒
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