カテゴリ:第3章-1976~砂時計がこぼれる夜に
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■ソラの、もう半分。■ 第3章 TOKYOブギ(1981-1999) (0007) MTV、日本上陸。 --------------------------- MTV、日本上陸。 ■1984(S59)年■36歳■ ![]() 僕がフリーライターになって初めての仕事が、 1984年10月号「ビデオコレクション」という月刊誌での 「MTV上陸」という特集記事。 音楽評論家の村岡祐司さんと二人でカラー8ページを 半分ずつ担当して書きました。 担当の女性編集者が厳しくて(涙) 慣れない僕は何度も書き直し。 築地の朝日新聞社の隣にあったビルの編集部で徹夜して、 早朝に彼女と一緒にタクシーで帰ったことを覚えています。 ちなみに、その女性編集者は確か翌年だか 同じ東京ニュースの「TVガイド」にいた泉麻人さんと 結婚しました。う~ん、人生いろいろ。 僕もこの仕事で何とかライターとしてOKがもらえたようで 翌月の11月号でもめでたく 「ストーンズ」と「小林麻美」のビデオ紹介の仕事をゲット。 何とかフリーライターで食べていけそうな予感。 ![]() レコード業界誌記者だった頃も、既に音楽業界では 「プロモーションビデオ」「ビデオクリップ」等の 呼び名で「音楽ビデオ」が徐々にクローズアップ。 この年の10月に全国ネットでMTVがオンエア開始され、 一気にビデオ時代に突入しました。 今でこそ「音楽はYouTubeで観る」というのが 僕にとっても、やっと自然になりましたが、 思えば、すべてこの頃から始まったのです。 音楽と映像の関係について書き出すと 果てしなく長くなりそうなので今回はカット。 また日を改めて。 ただ自分にとっては…。 今までは「肉体的・本能的」なイメージが強かった ロックというピリピリした時間と空間が 映像と結び付くようになって だんだん「精神的・空間的」な広がりを持ったエネルギーに 変化してきたのでは と感じていました。 ![]() さて、当時の取材ではビデオの編集スタジオに行ったり、 ストーンズのビデオ発売会社で未収録映像を観たり、 大変だったけれど楽しいこともたくさん。 で、最高の思い出は。 NHK放送センターで当時大河ドラマに出演中の小林麻美さんに (ただ見たのじゃなくて!)ちゃんとお会いして30分以上 たっぷり単独インタビューできたこと。 この日、網膜に残したフルカラー映像と 鼓膜に刻んだ音声の高品質アナログデータは、 我が家の家宝No.…いくつだっけ?として 脳の中の秘密の細胞に大切にバックアップしてあります。 *このシリーズの続きは、2つ後の日記に続きます。 ■ソラの、もう半分。■第3章 TOKYOブギ(1981-1999) >(0007)池田かめ、ビデオの向こう側。 ------------------------------------------------------- ブログランキング。それぞれワンクリックで投票&順位確認できます。 よしっ、ロック!ジャンルへ。気が向いたら、ありがとう。 ![]() もしかして絵本?ジャンル。でも、こちらは苦戦。 ![]() ------------------------------------------------------- お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月03日 16時42分45秒
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