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テーマ:時事問題評論
カテゴリ:時事問題
《沖縄の旧制中学や師範学校の生徒は、旧日本軍から鉄血勤皇隊や通信隊などに動員され、戦場へ送られた。 ひめゆり学徒隊の女子生徒も1945年3月、傷病兵の看護要員として配属され、戦闘に巻き込まれた。 沖縄本島南部に追い込まれた軍は6月18日、勝利を信じて献身的に働いていた学徒隊に解散を命令した。砲弾が飛び交う戦場に放り出され、手りゅう弾で自ら命を絶つ女子生徒もいた》(5月9日付西日本新聞社説) つまり、日本軍が沖縄を「捨て石」にしたことで、沖縄の人々は悲劇へと追いやられたと言いたいのだろう。中学歴史教科書にもそのような記述が見られる。 《日本軍は沖縄の戦闘で.「敵の出血消耗」をはかって米軍を少しでも長く足止めし.日本本土の防衛(本土決戦)の時間稼ぎをしようと考えていた。沖縄を「捨て石」にする作戦だった。 沖縄の日本軍司令官は「兵員は最後まで戦うべし」と命じて,6月下旬に自決した。そのため,残された日本兵はこのあとも絶望的な戦闘を続け.犠牲者は増え続けた。沖縄の日本軍が正式に降伏したのは9月7日であった》(『ともに学ぶ人間の歴史 中学社会 歴史的分野』(学び舎)、p. 249) また、この教科書には、「集団自決」の話も詳しく書かれている。 《住民は,壕やガマ(洞窟)にひそんで戦火を避けていました。日本兵がいたガマでは,食料を出させられ,赤ん坊は外に連れ出すように命じられました。米軍は,降伏してガマから出るように呼びかけましたが,日本兵がガマの出口で銃をかまえていました。 住民は日ごろから,捕虜になるなら帝国臣民として死を選べ,米軍は鬼畜だから捕まったら残虐な目にあうと教えられていたので,ガマから出ていくことをためらいました。ガマから出て保護される人もいましたが,米軍に攻撃されて死亡する人や自決する人もいました。 日本軍は,最後には玉砕を決意して,住民にも手相弾を配りました。住民がこの手相弾を爆発させ,家族や近所の人たちといっしょに自決した例が数多くあります。 座間味島では,自決したとされる135人(年齢などがわかる人たち)のうち,12歳以下の子どもが55人,女性が57人を占めていました。これらは「集団自決」とよばれています。また,住民が日本軍に殺害される事件も起こりました。その多くは,日本軍の情報を米軍にもらしたのではないか,という疑いによるものでした。 こうして,沖縄戦での沖縄県民の死者は15万人(人口約60万人)にのぼったと推定されています。鉄血勤皇隊員となった県立一中生254人のうち171人が,「ひめゆり学徒隊」の女学生222人のうち123人が,戦闘のなかで死亡しました》(同) 表現の自由を尊重するということから、日本の歴史を暗黒史として描こうとする教科書があることは仕方のないことではあるけれども、記述内容に大きな開きがあるのであれば、左右2冊の歴史教科書を採用し、見比べることもまた必要となるのではないだろうか。【続】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.05.19 10:00:06
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