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テーマ:時事問題評論(2386)
カテゴリ:時事問題
2002年に開催された日韓共催のワールドカップの際,精神学者の香山リカ女史は,若者たちが日本の応援に熱狂する様を「ぷちナショナリズム」と呼んで批判した。
が,西尾幹二氏は言う。 《さっと騒いで,さっと鎮まる夏の日の夕立のような強くて激しくて,しかし終わればカラッと日の照る感情--それがスポーツに仮託したナショナリズムである》(『日本の根本問題』(新潮社)pp.72-73) 確かに,<スポーツに仮託したナショナリズム>は一過性のものであろう。大会が終われば,人々は何事もなかったかのように日常へと帰っていく。 が,ナショナリズムとはいかにあるべきかということはまた別の次元にあるのであって,一過性だから問題がないかのように言うのはやや軽率であろうと思われる。 一方で,ワールドカップを応援するのは健全なナショナリズム、主権侵害を糾弾するのは不健全で危険なナショナリズム、と色分けしようとする向きもある。 が,これまたナショナリズムとはどのようなものであるのかについて考察がなく,偏見の域を出ない議論であろうと思われる。 また,サッカーの応援で日の丸を振ったり,試合前に君が代が斉唱されるのを異様に嫌悪する人たちもいるが,これは一種のフェティシズム(呪物崇拝)なのであって,日の丸や君が代に自分の怨念を投影させて批判の対象としていること自体,私には不健全と言わざるをえないであろうと思われるところである。(了)
Last updated
2010.07.03 03:20:32
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