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テーマ:時事問題評論(3069)
カテゴリ:歴史
《その日までの日本は、アジアで広大な領域とさまざまな民族を支配する帝国だった。
掲げた看板は「大東亜共栄圏」。日本が欧米からアジアを解放すると唱え、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んだ。 ところが敗戦とともに、日本は、その東亜圏との関係を断ち切ってしまった》(8月15日付朝日新聞社説) 朝日は戦前の大東亜共栄圏構想を好ましいことと見ているのであろうか。大東亜戦争がアジアへの侵略戦争なのだとしたら、これは否定されるべきなのではないのか。 《作家の故・堀田善衛はその日を上海で迎えた。ラジオで聞いた終戦の詔勅に「怒りとも悲しみともなんともつかぬものに身がふるえた」と記している。 彼の周りには、日本と親しい中国の文化人が多くいた。ところが詔勅は、もっぱら日本本土向けで、アジアに対しては「諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス」と片づけていた。 堀田はそんな宣言を「薄情」「エゴイズム」と感じた。(ちくま学芸文庫「上海にて」)》(同) これは敗戦時の日本にアジアを慮る余力があればの話である。大都市は焼け野原と化し、広島・長崎には原爆が投下され壊滅的被害を受け、日本の復興すら危ぶまれる中で、アジアに援助の手を差し伸べることは不可能であったに違いない。 《日本の敗戦の過程に詳しい国文学研究資料館助教の加藤聖文さんは「当時の政府は国体(天皇制)護持という内向きの議論ばかりしていた。詔勅はその素(す)の気持ちが表れた」とみる。 その結果、当時は日本人だったはずの朝鮮人や台湾人の保護責任もあっさり放棄した。 アジアを率いる指導者面しておいて突然、知らん顔をする。それが68年前の実相だった》(同) 日本は<知らん顔>させられたのが<68年前の実相>ではなかったか。 日本はGHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)によって、日本がアジアにちょっかいを出さなければアジアは平和であったと徹底的に教育されたのである。 もちろん、こんな話が嘘っぱちであることは戦争を体験した人達には大なり小なり分かっていたことであろうが、いかんせん日本は敗れたのであって、戦勝国側の洗脳計画に反対することなど許されるはずもなかった。 《安倍政権の歴史認識については、同盟相手の米政府も懸念している。侵略の史実を否定すれば、日本の歴史認識に対する国際世論の風当たりは強まる。 他の国々との関係を忘れた内向きな思考に拘泥していると、外交の幅を狭め、自縄自縛の隘路(あいろ)に迷い込む。それは、戦争の失敗から日本が学んだはずの教訓だったが、今もその思考の癖から抜け出せていないのではないだろうか》(同) が、安倍氏は首相就任後逸早くアジア諸国を歴訪し、信頼関係を醸成している。安倍氏が訪問を控えているのは、日本非難に忙しい中国と韓国だけである。 中国と韓国が必要以上に高圧的な態度をとる限り、こちらから頭を下げる必要はない、というのは、安倍氏が戦後の歴史から学んだことであろうと思われる。 《昨年夏の朝日新聞の世論調査によると、「日中戦争は日本による侵略戦争だったと思いますか」との問いに日本では「そう思う」との答えが52%、「そう思わない」が31%。中国では99%が「そう思う」と答えた。 この認識の溝は、あまりに深い。だが、そこが出発点だ。アジア抜きに日本の未来は語れない今の時代こそ、じっくり考えよう。「お隣」は今なおなぜ、怒り続けているのか、と》(同) 日中戦争(否、宣戦布告していないのであるから、支那事変と呼ぶべきである)が日本の侵略などというのはあまりにも歴史を知らなさ過ぎる話である。 支那事変は中国共産党軍が日本と国民党軍を戦わせ漁夫の利を狙ったものであって、日本側から攻め込んだものでは決してない。 日本はソ連の南下を防ぐのが第一義であって、支那に戦局を広げることなど百害あって一利なしである。 支那事変を日本の侵略だと思っているのは、日中共に誤った教育のせいである。中国が今怒っているのは、ひとえに政治的なものであり、あっさり言えば、このような難癖つけは民度の低さに起因すると言うべきである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.08.16 03:16:14
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