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テーマ:時事問題評論(3069)
カテゴリ:時事問題
《きのうの政府主催の全国戦没者追悼式で、首相の式辞からアジア諸国への加害責任への反省や哀悼の意を示す言葉が、すっぽりと抜け落ちたのだ。
加害責任への言及は、93年の細川護熙首相(当時)から歴代首相が踏襲してきた。 第1次安倍内閣の07年には首相自身も「アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」「深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表す」と述べていた。 今回は、これまで表明されてきた「不戦の誓い」という表現も使わなかった。 首相周辺は「式典は戦没者のため、という首相の意向を反映した」「アジアへの配慮は国会答弁でしている」という。 だが、そんな方便は通用しないのではないか。式典は、先の戦争への日本の姿勢を世界に発信する場でもある。加害責任への言及が消えたことで、アジアの人々への配慮を欠いていると受け取られかねない》(8月16日付朝日新聞社説) 朝日社説子は日本だけが悪かったという「東京裁判史観」を絶対的真実と考えているのであろうが、日本は帝国主義からアジアを開放しこそすれ、危害を加えたなどということはない。 東京裁判で独り日本人全員無罪を主張したインドのラダ・ビノード・パール判事は言った。 《要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない…私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。それなのに、あなた方は自分らの子弟に「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。》(昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演:『アジアに生きる大東亜戦争』(ASEANセンター編)、pp. 315-316) アジア諸国というが、未だに半世紀以上も前の戦争を蒸し返してごじゃごじゃ文句を付けて来るのは中国と韓国だけである。 戦後日本は平身低頭、中国・韓国と付き合ってきた。が、それが間違いだったことは最近の両国の横柄さからも明らかである。 事実を捻じ曲げてまで卑屈になる必要はない。日本はアジア諸国と戦ったのではない。日本が戦ったのはアジアを侵略し植民地化していた欧米の帝国主義国である。 こちらが下手に出れば日中および日韓関係はうまくいくなどというのは誤りである。そんな卑屈なやり方がむしろ中韓両国を付け上がらせているのである。 安倍首相は卑屈な謝罪をしなかっただけである。それにケチをつける朝日こそ、戦前、行け行けどんどんと国民を煽ったことを謝罪し続けるべきなのではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.08.17 01:16:08
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