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テーマ:時事問題評論(3069)
カテゴリ:政治
《退位特例法案を審議した国会の委員会は、象徴天皇制について、国民の代表が意見を交わす格好の場となるはずだった。だが、法律を混乱なく、すみやかに成立させることが優先され、表面をなでただけで終わったのは残念というほかない。
公的行為をどう位置づけ、皇室全体でいかに担っていくか。それは、維持すべき皇族の数や規模をどう考えるかという問題と密接にかかわり、女性宮家創設をめぐる議論にも影響がおよぶ。引き続き政府・国会で検討すべきテーマである》(6月10日付毎日新聞社説) 日本の歴史を尊重しない戦後日本人が国会の場で意見を戦わせば、皇室の伝統が壊されていくことは想像に難くない。天皇の御存在がなぜ尊いのかが分からぬ人たちが議論を交わせば、おそらく必然的に皇室は崩壊へと導かれることになるだろう。 《退位、即位、改元と大きな行事に向けた準備が始まる。皇室への関心は高まり、「日本」を意識する機会も増えるだろう。 その風潮に乗じ、天皇や皇室を利用して、個人より国家を優先する国づくりを進める動きが首をもたげないとも限らない。残念だが、そうした体質はこの社会に抜きがたく存在する》(同) <天皇や皇室を利用して、個人より国家を優先する国づくりを進める>「体質」が日本に<抜きがたく存在する>と言い切る根拠は何か。このようなことを言うのであれば、当然根拠が示されるべきである。が、根拠は示されてはいない。つまり、言いっ放しである。 根拠があるならそれを述べるはずである。述べないのは述べられないからに違いない、そう思わざるを得ない。 根拠はあるが述べなかっただけだなどという言い訳は通用しない。<天皇や皇室を利用して、個人より国家を優先する国づくりを進める>「体質」が日本に<抜きがたく存在する>などという仰々しい発言を根拠なく行うのは言論の礼儀を欠いている。 例えば、明治以降<天皇や皇室を利用して、個人より国家を優先する国づくりを進め>たと考えるとしても、日本の長い歴史からみれば、この短期日のことが「体質」になるなどということは有り得ない話である。 確かに、明治維新以降、明治政府は天皇を利用して日本国の立て直しを図ったと考えられるが、それは西欧列強によって植民地化されないための防御手段であった。時代状況を考えずに国家主義を批判するのは軽薄である。 「個人」と「国家」の二項対立のような考え方はまさに西欧流なのであって、そのような考え方が日本のエートスであるなどと考えるのは、戦前を否定することが存在意義である戦後特有の余りにも客観性を欠いた物の見方と言うべきではないか。(了) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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そもそも現行憲法は、「天皇」を単なる肩書程度にしか扱っていないわけですから、軽薄になるのも当たり前のなのでしょうね。
やはり、天皇を神道から切り離すこと自体に根本的に無理があるのだと考えます。天皇の御存在は天壌無窮の神勅に由来するのであり、神様の思し召しを伺うことなしに「天皇はかくあるべし」などと人間風情が偉そうに語ること自体が根本的に誤っていると思います。 (2017.06.24 21:08:30)
「加計学園問題」追及レベルの頭で「皇室問題」を扱ってもらっては困るのである。
はっきり言って、国会のような下世話な人達が集まっていくら議論しても、「皇室の有り難さ」にはたどり着くことは出来ないに違いない。 このままいけば皇室は不要であるという意見が大半を閉め、解体の危機を迎えるのではないかと思っています。 (2017.07.01 14:10:30) |