《知事が示した基本方針を一言でいえば、築地市場を予定どおり豊洲に移し、跡地は当初の売却計画を取りやめ、再開発して賃料を得るというものだ。
だが具体的な姿は見えない。「豊洲と築地を両立させる」という知事の言葉は、都が主体となって築地に再び市場を設けるように聞こえ、事実そう受けとめた業者も少なくない。
だがこれはいかにも唐突な案で、いくつもの疑問が浮かぶ。
豊洲と築地は2キロほどしか離れていない。しかも流通の多様化で、市場の取扱高は減っている。「多額の税金をつぎこむことにならないか」と、豊洲の持続可能性に疑義を呈してきたのは、他ならぬ小池知事だ。
にもかかわらず、会見では豊洲と築地の役割のすみ分けも、採算や財源のおおよその見通しも示さないまま、二つの市場が併存できるような夢を語った。「基本方針」の段階とはいえ、無責任に過ぎないか》(6月22日付朝日新聞社説)
今更築地を閉め豊洲へ移転する元々の話に戻せるはずもないから「苦肉の策」ということなのであろう。が、この一件で政治家としての「読み」と「詰め」の甘さが明らかとなってしまった。
あれほど問題となった「盛り土」の件はどこへ行ってしまったのか。当初の案の通り「盛り土」をすれば、逆に費用は嵩(かさ)むし、安全性も低くなってしまうのが専門家の意見である。要は小池都知事は「見立て」を誤ったのである。問題にすべきでないことを問題にしてしまった「失敗」である。
《焦点の「安全・安心」問題もはっきりしないままだ。
豊洲の地下水から環境基準を上回る汚染物質が検出されたことについて、専門家会議は地上は安全だとしたが、知事は「安全と安心は別」と慎重だった。
その姿勢は変更したのか。であるなら、石原慎太郎元知事の時代から豊洲開場の条件としてきた「無害化」は取りさげると明言し、判断に至った理由を説明して理解を求めるのが、行政の長としてとるべき態度だ》(同)
無理筋の問題を煽って都民の不安を大きくしてしまったのは小池都知事自身である。にもかかわらず、「安全と安心は別」などというのは詭弁(きべん)でしかない。
《豊洲新市場には汚染対策費を含めて整備費6千億円がすでに投じられている》(6月22日付京都新聞社説)
人気取りパフォーマンスに6千億円ものお金が費やされたことについて小池都知事はどう弁明するのだろうか。安全の確認そして安心の確保のために6千億が必要だったという言い訳は通用しない。
要は、深追いしすぎたのである。「過ぎたるは及ばざるがごとし」。