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テーマ:憲法改正(59)
カテゴリ:憲法
【産経新聞案】 第1条(国柄) 日本国は、天皇を国の永続性および国民統合の象徴とする立憲君主国である。 産經新聞案は「主権在民」を削除している。私はこのことを大いに評価するものであるが、このことによって、日本国憲法の3大原則の1つ「国民主権」が(先に扱った「平和主義」に続けて)否定されるわけである。また、日本を「立憲君主国」と明記しているところも重要である。 さてここで検討すべきは「象徴」なる言葉である。 《象徴の意味について、現行憲法の「日本国民統合の象徴」に「国の永続性の象徴」という言葉を加えた。これにより、一部に残っている「天皇は象徴にすぎない」という解釈の余地はなくなると思われる》(『国民の憲法』(産経新聞社)、p. 216)
《そもそも本来の憲法は俗世の根本規範のことですが、決してコンプリート(完結)するものではない。憲法第1条では「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する国民の総意に基づく」と書かれています。そして象徴という言葉は、多かれ少なかれ俗世を超越したものを求める精神性、つまり何ほどか聖なるものへの志向性を含んでいます。 だから憲法は自己の内部にその枠組みを超え出る「象徴」を置いた瞬間に、自己完結しなくなるんです。憲法というのは俗世の根本規範でありながら、俗世の論理だけでは説明しきれない聖なるものに関わる事柄を、ある種の矛盾として内包しているわけです》(西部邁「『フィクション』としての天皇」:『月刊日本』2017年6月号、p. 68)
これは憲法そのものの問題とも言える。新興国が国家運営の指針として憲法を創定するというのなら分かる。が、日本のように長きに亙って国家が営まれてきた国の「國體(こくたい)」を字に起こし、成文化することが果たしてどこまで可能なのか。また、大戦争に負けたからといって、それまでの歴史を否定し、新国家を樹立せんと反日憲法を制定しようとすること自体不遜ではないか、といったことが問題として挙げられよう。 《国家は必ずや何らかの儀式を必要とし、儀式は必ずや何らかの宗教を必要とするものです。いかなる国家であれ、聖俗の二義性を有する宗教的な国家儀式を行わなければならない。日本の場合、その主宰者は天皇です。だから天皇は国家の宗教的儀式を司る「最高位の神主」であり、日本国家の価値の源泉たる国柄の「象徴」たる存在なのです。一方、人間もまた何らかの価値基準に従って行動する以上、国家と同じように宗教的、聖的なものを求めざるをえない。国民各位は普通俗世にまみれて金儲けに生きていますが、どんな国民だろうと多かれ少なかれ俗世を超越したものを求める願望はあるんです。 その意味で、感性も理性も含めて国民の精神の中には、聖なる次元を願望するある種の「機関」があるといえます。そういう国民の歴史的な伝統精神の機関を象徴するものとして、日本には天皇が存在している》(同、p. 70) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.02.17 21:00:08
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