照千一隅(保守の精神)

2022/04/10(日)21:00

「政教分離」について(13) 宮沢俊義の偏見 その4

憲法(216)

《明治憲法の下で…信教の自由がまったく骨ぬきになっていたことは、明瞭である。そこでは、いかにも、キリスト教や、仏教を信仰することも、布教することも、一応は自由であった。しかし、その自由に対しては、根本的な限界が与えられていた。それは、天皇の祖先が神々であり――その代表者が天照大神であった――天皇自身も神の子孫として――「現御神」(あきつみかみ)として――神格を有することの信仰を否認しないことであった》(宮沢俊義『憲法II』(有斐閣)[新版]、p. 349) <天皇の祖先が神々であり>とは、天皇は歴史を遡(さかのぼ)れば「神話」の世界に連なるという意味である。<天皇自身も神の子孫として>も、日本人は誰でも<神々の子孫>ということに過ぎない。また、<天皇自身も…神格を有する>とは、権力者が自らを「神」と称したというような話ではなく、万世一系の皇室には歴史伝統的「権威」が宿るということを言っているに過ぎない。詰まり、これらは非難されるような話ではないということだ。《宗教というものの本質からいって、かような限界は、信教の自由そのものを否定するにひとしかった。その結果、政教一致(祭政一致)が明治憲法の建前とされた。政治は「まつりごと」で、「まつりごと」とは「神をまつること」だと説明された》(同) 宮沢は、<政教一致>と<祭政一致>を同一視しているようであるが、戦前の神道は、<祭政一致>であって<政教一致>ではない。 祭祀(さいし)と政治が一致しているのであって、宗教権力が政治の場に出しゃばっているわけではないし、政治が宗教権力を利用しているわけでもない。そもそも教祖もいない、経典もない神社神道に権力があるはずがないから、「宗教権力と国家権力の集中」、詰まり、<政教一致>など起こり様がないのである。《こうした状態は、しばしば、特にキリスト教徒たちによって批判された。しかし、そのつど、それは、おさえつけられ、明治憲法の末期には、国家主義・軍国主義・ファシズムの強化とともに、神社国教制が公然と支配するに至った。 「神社は宗教にあらず」という命題は、かように、神社国教制が憲法の定める信教の自由を骨ぬきにしてしまい、その結果として、キリスト教や、仏教が非常な制約の下にあったという事実をおおいかくす役割をはたした。その意味において、そのはたした役割は、宗教の自由に対してきわめて敵対的なものであったといえる。ところが、この命題が、後に至って、ある限度において、最小限度の信教の自由を守る(?)役割をはたすまわり合せになったことは、興味がある》(同、pp. 349-350) <ファシズム>という用語をしっかり定義することもなく、戦前の日本を<ファシズム>だとして非難するのが戦後進歩的文化人の悪弊であったが、イタリアやナチスドイツに見られるように、独裁制が<ファシズム>の主要素だとすれば、コロコロと首相が交代する戦前の日本を<ファシズム>と呼ぶことには相当無理があるだろう。宮沢は、戦勝国の作った歴史観に囚われ過ぎているのではないかだろうか。

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