照千一隅(保守の精神)

2022/07/17(日)21:00

菅原裕『日本国憲法失効論』(56)戦前を神権主義と見る偏見

憲法(216)

《元来、憲法そのものの前提ともなり、根柢ともなっている根本建前というものは、その改正手続によって改正されうるかぎりでない。そうした改正手続そのものが、憲法の根本建前によって、その効力の基礎を与えられているのであるから、その手続でその建前を改正するということは、論理的にいっても不能とされざるをえないからである。明治憲法についていえば、天皇が神意にもとづいて日本を統治するという原則は、日本の政治の根本建前であり、明治憲法自体もその建前を前提とし、根柢としていたと考えられる。したがって、明治憲法の定める改正手続で、その根本建前を変更するというのは、論理的な自殺を意味し、法律的不能だとされなくてはならない。すなわち、天皇が神意にもとづいて日本を統治するという原則は、明治憲法に定める憲法改正手続をもってしては、変更することができない、というのが、ほぼ支配的な学説であった》(宮沢俊義『憲法の原理』(岩波書店)、p. 382) <天皇が神意にもとづいて日本を統治する>などというのは宮沢氏の勝手な解釈である。帝国憲法と新憲法の非継続性はそのようなところにあるのではなく、欽定帝国憲法が突如として民定憲法になったところにあると言うべきだろう。《日本は、敗戦によって、それまでの神権主義をすてて、国民主権主義を採ることに改めた》(同、p. 384)などという説明は無理筋である。そもそも言葉の位相が合っていない。神権主義と対比されるとすれば、それは世俗主義であろうし、国民主権と対比されるとすれば、天皇主権であろう。が、宮沢氏は「天皇主権」とは言わなかった。さすがの宮沢氏も、戦前が「天皇主権」だったなどと言うのが憚(はばか)られたということであろう。《かような変革は、もとより日本政府が合法的になしうるかぎりではなかった。天皇の意志をもってしても、合法的にはなしえないはずであった。したがって、この変革は、憲法上からいえば、ひとつの革命だと考えられなくてはならない。もちろん、まずまず平穏のうちに行われた変革である。しかし、憲法の予想する範囲内において、その定める改正手続によってなされることのできない変革であったという意味で、それは、憲法的には、革命をもって目すべきものであるとおもう。 降伏によって、つまり、ひとつの革命が行われたのである。敗戦という事実のカによって、それまでの神権主義がすてられ、あらたに国民主権主義が採用せられたのである。この事実に着目しなくてはならない》(同) <神権主義がすてられ、あらたに国民主権主義が採用せられた>というのは<事実>ではない。libenter homines id quod volunt credunt.(人は見たいものしか見ない)

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