照千一隅(保守の精神)

2024/01/22(月)20:00

大東亜戦争肯定論を考える(96)日清戦争以外の道

歴史(302)

《巧みに〔日清〕戦争に持ち込んだのは陸奥〔宗光〕と川上操六でした。 そういうと戦後の歴史観では戦争を始めた陸奥は悪い、ということになりましょう。しかし、歴史に善悪是非の観念を持ち込むと歴史の真実が見えなくなります》(岡崎久彦『百年の遺産』(海竜社)、p. 79) 戦後日本の平和主義からすれば、如何なる戦争も「悪」ということになるのだろう。そう考えることによって、「大東亜戦争」を葬(ほうむ)ったのだ。「大東亜戦争」は、「自存自衛の戦争」だった。悪いのは、日本を戦争へと追い込んだ英米であり、原爆投下や大都市絨毯爆撃という「ホロコースト」を行った米国である、などという話にならないように、占領軍が「ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム」なる思想統制を行なった結果なのだ。 さて、私は岡崎氏と違って、必ずしも歴史に善悪是非の観念を持ち込んではならないとは思わない。ただ、「戦争は悪」などという幼稚な論理では歴史を読み解くことは出来ないと思うだけだ。《陸奥や川上にとっては、一歩踏みはずせば奈落の底に落ちる弱肉強食の帝国主義時代に、いかに日本の存立を守り、国権を伸長するか以外は念頭にはなかったでしょう。 かりに、もし日本が、日清戦争の勝利とその勝利の賠償金による軍備の増強がなく、10年後のロシアの極東進出を迎えていたとしたら、清国も朝鮮もロシアの侵略を防ぐ実力のなかった極東で、日本がアジア人種最後の独立を守り通せたかどうかさえ危うい状況でした。力で自分を守り、自分の外辺をも守る、そうしなければ滅びる、これが帝国主義時代の掟(おきて)でした》(同) 言わんとすることは分かる。が、朝鮮を清から独立させる以外に手段はなかったのか、私が気になるところはそこである。《朝鮮半島は北からの脅威のいわば吹き抜けの通路であった。明治日本は自衛のためにも朝鮮の清からの独立と近代化を願い、事実そのために手を貸したが、朝鮮半島の人々はいつまでたっても目が覚めない。自国さえ維持できない清に、朝鮮半島を牛耳(ぎゅうじ)ったままにさせ、放置しておけば、半島はロシアのものになるか、欧米諸国の草刈り場になるだけであったろう。つぎに起こるのは日本の独立喪失と分割統治である。 日本は黙って座視すべきだったろうか。近代日本の選んだ道以外のどんな可能性が他にあったであろう》(西尾幹二編『国民の歴史』(産経新聞社)、p. 509) 問題が、ロシアが南下することなのだとすれば、朝鮮を緩衝帯(かんしょうたい)とするよりも、欧米と手を組む方が良かった。勿論、簡単な話ではない。が、後に英国と同盟を結べたわけであるから、まったく無かった話でもなかったはずだ。

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