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テーマ:時事問題評論(3131)
カテゴリ:時事問題
《「ひめゆり」を巡っては、殉国美談の語りが戦後ずっと生産され続けてきた。 ある時期から、女子学徒隊は他にもあるのに「なぜひめゆりだけ」という声も上がるようになった。 体験者の証言を聞いた若い世代からは「自分に酔っている」「退屈」だという感想も上がった。 実は、〔ひめゆり平和祈念〕資料館の活動で特筆されるのは、こうした問題に正面から取り組んできたことだ》(5月6日付沖縄タイムズ社説) これはつまり、西田議員の言うように、「歴史の書き換え」があったということだ。 《45年6月18日、ひめゆり学徒隊に解散命令が出た。 捕虜になることを許さなかった日本軍は、学徒らを保護する措置も取らなかった。学徒らは米軍が目の前に迫る戦場に放り出されたのである。 ひめゆり学徒の戦没者の約8割は、18日以降に亡くなっている。 米軍が運営する野戦病院で傷ついた沖縄県民を手当てしたのは、学徒隊の生き残りである》(同) 日本軍が学徒らを死に追いやり、米軍施設で傷付いた沖縄県民を手当てをした、ということは、西田議員の言う説明文の「文脈」そのままではないか。 だとすれば、問題は、「歴史の書き換え」や「文脈」発言ではなく、西田議員が「亡くなった方々は、ほんとに救われませんよ」などと〈「ひめゆり平和祈念資料館」の建設・運営に後半生の全てをささげてきた元学徒の感情を逆なでするような一方的決めつけ〉(同)を行ったことだということになる。要は、西田議員が現在の沖縄の平和主義を批判したことに感情的に反発しただけなのではないかと疑われるのである。 《シンポジウムでは「沖縄の場合には地上戦の解釈を含めて、かなりむちゃくちゃな教育のされ方をしている」とも続けた。 沖縄の戦後80年の歴史研究や平和教育の積み重ねを否定するような発言で看過できない》(5月8日付沖縄タイムズ社説) 今回の騒動は、歴史における見解の相違、歴史認識の違いからくるものである。が、歴史解釈が異なるからといって、それは「罪」ではない。問題は、謝罪とは別の次元にある。西田議員の発言は許せないと感情的に反発している人たちを宥(なだ)めようとして謝るのは、戦後日本を彩る平和主義に迎合してしまうという意味で、余程罪深き行いであろうかと思われて残念である。 平和主義側の矛盾は沖縄タイムズ紙だけにとどまらない。【続】お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2025.05.11 10:58:20
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