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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2025.06.21
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カテゴリ:時事問題

小林 自由、平等、進歩…そんな幻影を持ってゐては歴史のリアサティは決して掴(つか)めない。ある理想から歴史のリアリティに達するのではない、歴史のリアリティに突き当る事が、歴史の理想を悟らせるのだ。(小林秀雄・林房雄「歴史について」(対談):『文学界』昭和15年12月号、p. 63)

 自由、平等、進歩、これらは西欧産の観念である。なるほど、西欧には、このような観念を生む土壌があっただろう。が、日本は違う。日本は、自由や平等を求めて革命を起こさねばならないような抑圧に満ち、差別に打ちひしがれるような状況にはなかった。だから、日本の歴史をこういった西欧産の観念を用いて分析し、理解しようとすることは出来ないだろうし、すべきでもない。

 小林 進歩主義者は、歴史を直線的に見たがるものだ。歴史の河がどういふ風に流れやがて終末の大海に注ぐか、さういふ風に見たがるものだ。歴史上の人物が、さういふ流れとは垂直にどう生きてどう死んだかを見ない。彼が山に登つて何米突(メートル)迄(まで)登ったかといふ事が測量てきなければ歴史家ではないのだよ。

歴史家といふ者は飛行機から見下してはいけないのだ。やっぱり山は此方から観れば幾つも重(かさな)つてゐて、登らなければ向ふの山が見えぬといふ態度を取らねばいけない。立派な歴史家は皆さうしてゐる。1つの山を越せばまた向ふに雪を被った山といふものが現はれる。それが歴史だよ。歩いて行くに連れて――。(同)

 進歩主義者は、偏(ひとえ)に「マルクスの予言」通りに社会が進んでいるかどうかにしか関心がない。かつて人々が実際どのような生活を送っていたのかはどうでもよい。つまり、進歩主義者は、歴史自体には興味がないのだ。

 が、歴史家は、地に足をつけて、過去の出来事に向き合わねばならない。

《歴史は、過去の事実を知ることではない。事実について、過去の人がどう考えていたかを知ることである。過去の事実を直に知ることはできない。われわれは過去に関して間接的情報以外のいかなる知識も得られない。

 間接的情報を組み立てて直接的事実に近づくのは、われわれの側の意志的作業である。できるかぎり過去の人の身になってみる想像力と、われわれが見えない未来を今どう見て生きようかという切なる祈願と――この相矛盾する2つのものの相剋(そうこく)が、歴史である。

 ところが、どういうわけか、現代の知識人は過去の事実を正確に把握できると信じている。事実が歴史だと思いこんでいる。そして、その事実について過去の人がどう考えていたかは捨象して、自分が事実と勝手にきめこんだ事実を以て、現在の自らに必要な欲求を満たす。

 それは事実の架空化による事実への侵害である》(西尾幹二『歴史を裁く愚かさ』(PHP文庫)、p. 289【続】






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Last updated  2025.06.21 10:00:05
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