2008/03/04(火)00:48
コスタリカのアートのお話を違った視点から…
餓死していく犬の写真を展示して、これがアートだと言ったお話が話題になっています。
その写真を目にし、話を耳にしたとき、「可愛そう」だとか「辛い」という感情よりも真っ先に、「和歌山の愛誤団体と一緒だ…」と想像しました。
状態の悪い犬の写真をインターネットで公開し、適当な不幸話を添えて同情を引き金を集める・・・主旨は違っても、やっていることはすごく似ている・・・そう感じました。
このニュースを見たほとんどの人たちが、真っ先に「可哀相」「アートなんかじゃない!!」と思ったと思いますが、私はどこか冷めた感情で見ていたかも知れません。
このアートの作者は
「犬の死については語りたくない…
重要なのは普段路上で飢えて死んでゆく動物についてはまるで無関心であるにも関わらず、こういうイベントになるとこぞって観にくる(騒ぎにする)って事だ!」
Natividad Candaについても同様の事がいえたのに、人々が同情するのは彼が死んでからではないか?」
と語ったそうです。
状態の悪い犬の写真と作り話に踊らされ、一匹でも多くの命を救いたいと思った私も偽善者だったのかも知れません。
完全に洗脳され、愛誤団体の盾になっている人間のことを舎弟と呼び、散々ブログで自分達の宣伝をしてくれた預かりボランティアさんの悪口を散々言ってバカにする・・・
私のことも、舎弟と呼ばれていたのかも知れません。
「アイツなら、闇でマルチーズのレスキューしたから困っていると言えば、野犬を預かるんじゃないか?」そう笑われていたのかも知れません。
押し付けた犬を引き取りに来ないのなら、あの時点で保健所にすぐ連れていくべきだったと、
我が子を殺した悪魔からの使者を、最後の最後まで面倒を見て運び屋までした私たちは、やっぱり偽善者だったのだと思います。。。