2934946 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

がんばらないけどあきらめない

がんばらないけどあきらめない

ジタバタしない



ジタバタしない



第17回 「御柱祭」と「二つのお守り」の巻


 7年目ごとに行われる御柱祭。氏子になって37年。カマタにとっては7回目の御柱祭

八ヶ岳の麓で巨大なもみの木八本が切り出され、諏訪大社の上社に向かう。途中、巨木はご神木になるために、急峻な木落坂を落ちたり、清めの川越しをしたり、いくつもの難所を通過して御柱屋敷に進む。

 御柱のツノのような、メドデコに乗る人も曳き手も命がけだ。この時期、諏訪の人々は熱狂の中に生きる。

 第一日目 たたきつけるような雨が降り続く中で御柱を曳いていると、本宮三の総代から「先生、乗るかい」 と声がかかった。

 着ていたカッパを脱ぎ捨て、股引と腹掛け姿になる。嫌いじゃない。声がかかるのを鎌田は待っていました。

 一人の中年男から声がかかった。「先生、これ」。木のお守りである。胸にかけてくれた。焼き印があり、表にご神木。裏にはお守りの文字。「落ちるなよ」そう声をかけてくれた。曳き手たちの「ヨイサー、ヨイサー」の声がでる。かまたは御柱の先頭に乗りました。御幣を振って右へ左へと揺れ動く。体の中が熱くなる。グンと御柱が傾き、つんのめりそうになる。僕の足を前の巨大な縄に乗っていた若者が支えてくれた。後からはベテランの職人さんが脇腹を持ってくれる。カマタはさらに夢中になって声を張り上げました。

 降り続く雨の中で体中から湯気が上がり、眼鏡は曇る。体中がびしょびしょ声がつぶれていく。それでもおもしろい。興奮で体中が喜んでいるのがわかる。

 「乗るか」と言ってくれる大総代。お守りを用意してくれるおじさん。柱の一番前に乗せてくれ、前後の人が支えてくれる。カマタは地域に支えられて生きているのを実感しました。

しばらく曳いていると、沿道から声がかかった。「もう1回、この狭い道の難所に乗るなら、お守りをつけて行きなさい」。美しい刺し子で編んだお守りを差し出された。親戚づきあいをしている通称、たぬきのばあちゃんの家の嫁さんだった。


37年前、この家のじいちゃんが白血病になった時、カマタが主治医でした。当時の日本では告知をしないのが常識。本人と婆ちゃんには重症な貧血だといった。ただし子供や親戚には詳しい症状を説明した。約1年の闘病の中で限りある命だからとカマタはじいちゃんを家に帰しました。大好きな家で養生してもらおうと思ったからだ。いちばんいい部屋で、いちばんいい布団に寝かして、ばあちゃんは野良仕事に出た。じいちゃんの代わりに、野良仕事をしっかり守っていることを見せたかったのだ。

 じいちゃんが亡くなった。3年ほどしてばあちゃんの家で芋汁をご馳走になった。その時に言われた。

 「先生、助からない病気だと伝えていてくれていたら、私は野良仕事なんかせずに、じいちゃんの布団に一緒に入って昔話をしてあげたのに、残念だったよ」

 ジーンときた。布団に入れてあげたかった。この時、本当の話を伝えることがどんなに大事かを学んだ。まだまだがんの告知を行っていなかった時代だ。できるだけ本当のことを伝えるように決めた。

たぬきのばあちゃんも亡くなり、今度はそのお嫁さんからのお守りだ。脈々と教えられ、支えられていると思う。

 御柱祭は五月初旬には、上社下社の里曳きが行われ、夏から秋にかけて、小宮の御柱がそれぞれに建つ。御柱祭は熱い。この熱い空気の中でカマタはたくさんの人に守られて生かされているのを実感しました。




© Rakuten Group, Inc.