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がんばらないけどあきらめない

がんばらないけどあきらめない

週刊朝日短期連載 言葉で治療する 続編13



週刊朝日短期連載

言葉で治療する 続編 13

鎌田實

ホスピタリティが医療には必要

相手を大事にする心を・・・


 最先端の医療を行っている病院だけが冷たくなっているのではなかった。優しさが必要な老人病院ですら、冷たい医療が行われているような手紙が多かった。

 夫が認知症になり、老人病院に入院した。ドクターも看護士も手が足りなさそうだった。妻が見舞いに行くと、「患者に甘えが出る。愛情がうつるので、あまり来ないように」と言われたという。

 「納得できない」という手紙だった。たしかに納得できないと思う。特に家族の愛情が最も大切なはずなのに。家族の愛情を断ち切ろうとする老人医療なんてなんだろうと思った。

 他の手紙を紹介する。父親をアルツハイマー病で病院に入れたら、入院した途端、褥瘡ができてしまった迷惑そうに対応をする病院を出た。老人施設を経て特養に移った。すると褥瘡が治った。皮膚だけが良くなったのではなく、あたたかみのある献身的な介護にふれ、父親の行動もおだやかになった。

 脳卒中になって、一人で食事が食べられなくなった母を老人病院に入院させていたが、家族に食事を食べさせに来てほしいと病院から電話があったので、昼食をたべさせに行った。

 イワシの煮魚とオクラとなすの煮物、デザートはりんご。この料理を食べるのにスプーン一本しかない。鰯の煮付けは、丸ごと一匹。骨もついている。 ナイフもフォーくっもついていないので、スプーンでほぐすのはたいへん、りんごは手でつかんで食べるしかない。

 そのことを看護師に伝えると、「責任者がいないので投書箱に意見を入れてほしい」と言う。忙しいのに文句をいう患者にウンザリしている感じ。患者や家族の要望を上手に受け入れ、改善していく方法がこの病院にはないのである。なんだか、ホスピタリティを失っているような感じがしてならなかった。


先生の励ましは

魔法の言葉だった


 あったかくなる手紙もたくさんいただいた。40歳の女性から、12歳の時に1型の糖尿病と診断された。治らないと言われて、やけっぱちになっていた。13歳の時に肺炎になった。一生糖尿病が治らないなら死んだ方がいいと思って、自分で悪化させるようにしていた。先生は必死に治療してくれていた。先生が「なおしてやるからな、大丈夫」と13歳の私に何度も何度も言ってくれた。

「この先生がいなかったら、今の私はいない。いまも私は病気と闘いながら、病院で管理栄養士をしている」という

 とてもいい話だ。

 「大丈夫」と言ってくれたけど、糖尿病は治っていない。なのに、この方は嘘をつかれたと怒るのではなく感謝している。医療とは病気を治すことではあるが、治すという医療行為のなかに支えるという行為が入っているべきなのだ。時には治せることもあるが、時には治せないこともある。完治できればいい。でも完治するまでの不安な心を支えてもらえればうれしいはずだ。治らなかった時でもいい支えがあると感謝できるのだ。この手紙の方は、糖尿病は治らなかったけれど感謝している。しかも管理栄養士になっている。病気がこの方の人生を変えたのだ。

 九州の方からいただいた手紙。脳内出血をを起こして片マヒになった。リハビリを受けていた。41歳。20歳代の作業療法士が、私の個人史をよく聞いてくれた。「病気をする前のHさんより、今のHさんのほうがすてきなHさんになっています」

 もちろん、作業療法士は発症前の私を知るはずもない。後日、本人に具体的になんのことなんですか、と聞くと、全力で努力している今のあなたはすてきですと言いたかったとのこと。私はとにかくうれしかった。私の人間としての尊厳を守ってくれたと思った。

 それkら1年ほどたち、作用療法士は鎌田の「超ホスピタリティ」(PHP研究所)という本をプレゼントしてくれたという。この本を読んでいる作業療法士なら、この位のことは言えると思った。この本は、「おもてなしのこころが、あなたの人生を変える」という副題がついている。すべてに職業にホスピタリティが大事なのではないかと思って書いた。医療や介護はもちろんのこと、ホテルや自動車のセールスマンも銀行マンも役人も学校の先生も、ホスピタリティがあれば自分の仕事が円滑に行われるようになると思ったのである。仕事だけではない。夫婦だって、親子だって職場の空気だってホスピタリティが大事だと思って書いた。

 いま、医療の現場は、余裕をなくし、おもてなしの心、相手を大事にする心を失いだしているのではないかと思った。

 こんな手紙もいただいた。突然、肺塞栓症というたいへん重い病気になってしまった。その時75歳だった。「まだまだ死にたくない。先生、助けて下さいと叫びました。先生は私の顔を、覗き込むようにして、治してあげますよ、と言った。この言葉を私は何度も自分のなかで、繰り返した。そして、私は治った。私にとっての魔法の言葉だと思った」。言葉で治すって、やっぱりあるのだ。

 「私の夫は喉頭がんで、肝臓まで転移していた。手術はもうできなかった。抗がん剤による治療が始まった。治療を開始して、状態が悪化した。次の抗がん剤投与の予定の日より一日、早めて外来を訪れた。ベッドの余裕のない有名な都内の病院ではあったが、主治医は主人を診察したあと優しく言ってくれた。『弱ちゃったね、また元気なろうね。』空きベッドを探してくれた。痛かったら、痛みもきちんと止めてあげますよ、何でも言ってくださいと言ってくれた。夫は安心したのだと思う。苦しむこともなく、なんだか今日は眠くて、と最期の言葉を遺してそのまま永眠した」

 奥さんはたった一言のあったかな言葉に感謝しているのである。大切な夫を失ったが、このときに冷たい言葉を言われたら、妻は永久に心の傷を持ったのではないだろうか。症状は厳しかった。いつどんなことになっても不思議じゃないところへきていた。でも、治療を開始して間もなく、あれよあれよと亡くなったのである。文句の一つも言いたくなるはずなのに、この方は感謝の言葉を述べている。言葉は病気を治すだけでなく、主治医や病院をクレームから守ってくれることもある。もっと言葉を大切にすべきだ。




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