一石屋酒店な日々。

2016/03/05(土)18:52

維新ノ一滴

焼酎(168)

土曜日の夕方。 お酒飲みながらでも読んでみてください。 大変珍しい仕込み方の焼酎です。 維新ノ一滴 いろんな事をやっちゃう技術肌の酒蔵さん、国分酒造さんの安田杜氏。 いも麹芋で米麹を使わない芋焼酎のパイオニアに。 大正の一滴で老麹造りを。 蔓無源氏、薩摩隼人で数少ない在来品種の芋を原料に。 そして水酛仕込みに挑戦。 ちょー仕込み量が少ないので四合瓶で300本限定です。 ちょっと長くなるかも知れません。 また、僕の認識が間違っているかも知れません。 自分の整理の為に書き起こしておきます。 間違え勘違い等、お気づきの点ありましたら指摘してください。 めんどくさい方は読まないで結構です。 飲んでください。 ネーミングの通り明治維新の頃の造りを、文献(ラベルに記載されています)をもとに再現したのがこの芋焼酎「維新ノ一滴」です。 酛の立て方と使用する麹菌が肝で、+蒸留器。 麹菌についてはWeb上で色々かかれていますので、簡単に。 もともと鹿児島でも黄麹菌を使っていました。 その後、沖縄からやってきた黒麹菌を使う様になります。白麹菌は黒麹菌のアルビノ。 黒麹菌はクエン酸をたくさん生みますので、日本酒で言うところの乳酸と同じようなバリアー効果があります。 ちょうど明治後期に黒麹菌は九州に入りました。 河内源一郎氏によります。 その頃、日本酒では速醸酛が生まれます。 江田鎌治郎氏によります。 脱線。 ここで強く感じる事。 ほぼ同時期にこれらの事象が起こった事で、日本酒と焼酎のバリアーの考え方が全く違ったものになった事に、偶然の面白さを感じます。 もし、どちらかの事象が早くおきていたならば、日本における酒造りは大きく変わっていた事でしょう。 日本酒ではそれまで生酛造りでの酒造り。 乳酸バリアー(分かりやすい様に勝手に名付けました)をその辺にいる乳酸菌に生んでもらうやり方が生酛造り。(速醸酛は乳酸を足すやり方。) 速醸酛が可能になった事で、日本酒は安全に確実に黄麹菌を用いた酒造りが出来る様になりました。 一方の焼酎は、それまでに黄麹菌から黒麹(河内黒麹菌)が使われる様になった結果、大量のクエン酸が生まれ、乳酸と同じようなバリアー効果を発揮します。 この結果、焼酎業界では速醸酛のような考え方は必要なくなり、黒麹菌による安全確実な焼酎造りが可能になりました。 では、それまでは? 脱線。 日本酒での乳酸も焼酎でのクエン酸も、面白い事にどちらも出来上がったお酒にはほとんど含まれません。 戻ります。 それまでの明治期の焼酎造りに使われる黄麹菌ではクエン酸はほとんど生まれません。 なので違うバリアーが必要。 そのバリアーはやはり乳酸でした。 では乳酸はどうやって生むのか。 それが水酛造り。 ざっくり書くと、蒸したお米を水の中に入れて、放っときます。 そうするとどっかから乳酸菌が入ってきて乳酸生んでくれる。 これでバリアー完成。 菩提酛に近い造りです。というか菩提酛。 数日間放っておくなんて、今の発酵学からしたらコワくて出来ない。 維新ノ一滴はこの造り方をお芋で行ないました。 蔵にとっては、この造り方、腐造の危険が付きまとうので、その危険性を細小にする為めっちゃ小さい仕込み、具体的にはバケツぐらいの大きさで仕込みました。 なので総量四合瓶で300本。 なので蒸留器も特別。 200リットルと極小さなツブロ式。普通は4000キロ程のポットスチル的な蒸留器、もしくはカブト式とも違います。 ツブロ式は旧薩摩藩以外では見る事が出来ない蒸留機で、液体の集まり方が他の蒸留器と違います。 というか良く分からない蒸留器で、笹山さんに色々聞いちゃいました。 国分酒造さんでは、ほとんど安田杜氏の趣味で作っちゃったこのツブロ式蒸留器。 試験的に色々やっていたそうですが、かれこれ10年ぐらい放っとかれていたそうです。 で維新ノ一滴を造る時に大活躍。 決して安価な焼酎ではありません。 しかし、安田杜氏のチャレンジ精神、又は西郷どん達、維新の立役者達も飲んだであろう焼酎へ馳せる想いに比べれば安いものです。 使用した芋は蔓無源氏と隼人芋、そしてコガネセンガン。 100年前の芋と現代の芋。100年前の造り手の技術と現代の蔵人の技術。 どうぞ維新ノ一滴、見かけたら飲んでみてください。 司馬遼太郎さんがご存命ならば、この辺の文化も格好良く書いて頂けたかもしれないなー。 ちなみに僕は醸造科卒業でもなんでもありません。 間違えの指摘はお手柔らかに。

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