カテゴリ:日常生活から
「日の名残り」1993年イギリス映画 ジェームズ・アイヴォリー監督 アンソニー・ホプキンス・エマ・トンプソン
「日の名残り」は1989年に日系英国人のカズオ・イシグロ氏がブッカー賞を受賞した同名小説の映画化作品です。 第2次大戦前に対独融和政策論者だった貴族に仕えた執事の当時の回想と1956年現在の姿を交互に描いていきます。 ネットの感想では主人公の仕事一筋の堅物さと、とても淡い恋愛について触れるものが多いようです。 ダーリントン・ホールに第2次世界大戦前から執事として働き今はその持ち主である米国人富豪ファラディ氏に仕える男性は、深刻な人手不足に悩んでいました。 ファラディ氏から小旅行を勧められた彼は、戦前にメイド頭として一緒に働いた女性を尋ねる事にします。 執事はけっして表情には出しませんが、旅の途中で見聞した事は愉快な事ばかりでは無かったようです。 ダーリントン卿は積極的な対独融和政策論者であり、邸宅を外交交渉の場として提供し続けました。 当時米国上院議員のファラディ氏は、1936年に開催された国際交流会議に出席して「外交にアマチュアの出る幕はない。プロに任せるべきだ」と警句を述べました。 この時ファラディ氏はダーリントン・ホールの見事さとそれを運営する執事の手腕に感銘を受けたようです。 しかし卿はナチスドイツの政策にも傾倒して、その名声を汚していきます。 女中の少女達をユダヤ人という理由で解雇するよう命じてメイド頭を憤慨させます。 養子は卿をあざけって執事に邸宅に出入りするナチス党関係者の動向を教えろと迫ります。 第2次世界大戦が始まってダーリントン卿には国賊のレッテルが貼られました。 「あの頃は大変でしたね」と話す若い医師に、執事は「邸宅を訪ねる人もなくなり卿の心はすっかり壊れてしまわれた。」と語ります。 戦後の彼の仕事は、精神病の患者の介護も加わっていたのかもしれません。 彼は全く自分の政治的な意見を述べませんが、戦前から卿の考えと行動が間違っている事を理解していたのかもしれません。 その頃メイド頭が気持ちを示しますが、彼にとっては間が悪かったのかもしれません。 ラストに邸内にハトが入り込むシーンは、執事の行動が名人芸の域にまで達した事を示しているように私は考えています。 サービス業のあり方について色々と考えるきっかけを貰ったようにも考えました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.07.01 10:26:08
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