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2013/05/04(土)12:24

1919年5月4日 五・四運動始まる

物色動向を考える(209)

1919年5月4日、第一次世界大戦後の山東半島権益問題で、北京大学の学生が天安門広場に集結し反日と親日派要人の罷免などを要求してデモ行進を行いました。 第一次世界大戦後のパリ講和条約において日本側の主張が国際法的に承認されると、北京大学の学生ら数千人が天安門広場からヴェルサイユ条約反対や要人の罷免などを要求してデモ行進を行いました。 デモ隊はさらに曹汝霖宅を襲撃して放火したり、たまたま居合わせた駐日公使章宗祥を暴行して重傷を負わせるなど暴徒化しました。 中国共産党は、ナショナリズムが真に大衆化した転機としてとらえて中国現代史の起点をここに置く見方をしており、ストライキやボイコットといった大衆運動手法を積極的に使用した五・四運動を高く評価してきました。 これは、1921年に中国共産党が五・四運動の影響から誕生したことも大きく関係しています。 こうした中国共産党の歴史をとらえる考え方は「革命史観」と呼ばれ、日本の一時期の歴史学にも影響を与えました。 革命史観は、19世紀にマルクスによって説かれた歴史学の考え方「唯物史観」の一つの側面であり、ヘーゲルの精神史観と対峙する考え方でもあります。 共産主義思想の三本柱は「弁証法的唯物論」「資本論」「唯物史観」ですが、1989年のベルリンの壁崩壊からソヴィエト連邦解体に至った歴史の動きから、これらの考え方が間違っていたとみなす見方が歴史学者らから提示されています。

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