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テーマ:海外旅行(7021)
カテゴリ:旅
モンサンミッシェルの「西のテラス」で下界を見下ろした後、再び修道院内に入ります。
西のテラスの見学が終わった後は、修道院付属教会「聖マルタン教会」に入ります。 繰り返される増築や改築で中の構造はざまざまな様式で、本堂の北側部分はロマネスク様式、内陣と後陣はゴシック様式となっています。 教会の次は、13世紀にゴシック様式で増築されたスペース、3階部分に「回廊」と「食堂」、2階部分に「騎士の間」と「迎賓の間」、そして1階部分に「貯蔵室」があります。 緑の芝生が綺麗なラ・メルヴェイユ(驚嘆)の「回廊」あり、中庭では修道士たちが薬草を作っていて神の空間と呼ばれていたようです。 「食堂」には、59の小窓があり、光が差し込んでいます。修道士たちはここで1日に2回、話すこと無しに食事をし、指名された修道士が聖書を朗読していたようです。 「食堂」を後にして2階部分へ向かうと、途中に大天使ミカエルからお告げを受けるオベール司教のレリーフが飾られています。 「歓迎の間」は、王や貴族のために造られた部屋で、ルイ9世やフランソワ1世など、多くフランス国王がこの部屋を訪れたようです。 礼拝堂を後にして次は大車輪がある部屋です。18世紀に監獄として使われていた修道院は、閉鎖されるまで12000人が収容された歴史があり、囚人の食料や荷物などを下から運び上げる為の道具として使われたのがこの大車輪で、中に6人の囚人が入って歩いて回し、下から荷物を引き上げていたといいます。 「聖エティエンヌ礼拝堂」は19世紀まで修道士の墓地として使われていた礼拝堂で、礼拝堂の中央にはピエタ像が飾られ、亡くなった修道士は手厚く弔われたそうです。片隅に壁画が飾られています。 建物の主要部はゴシック様式ですが、内部はさまざまな中世の建築方式が混ざり合って構成されていて、歴史を感じさせてくれます。 ショップの前まで来ると、入り口に設置されているここの象徴、白い石膏像の大天使ミカエル像が迎えてくれます。 修道院内の見学を終え、外に出ると、天候が変り、雨があがり、なんと晴れ間も見えてきました。大天使ミカエルの力でしょうか・・・。 前日と日中では全然違う姿です。 ここで記念撮影です、最高の条件になりました。 青空をバックにしたモンサンミッシェル、売れるかも知れません。 今、写真を販売している中で、売れ筋一番人気は2013年5月1日に訪れた「マチュピチュ」の画像です。 ここで撮影した画像も、同様に売れると有り難いのですが・・・。(笑) 残念だったのは、この日大潮ではなかった為、モン・サン・ミッシェルが完全な島になる様子、海の中にそびえ立つ姿や、水面に映る逆さモンサンミシェルを見られなかったことです。 広島・厳島神社を訪れた時のように、一日の内に、鳥居の干潟と水没を体験できると良かったのですが・・・。(笑) モン・サン・ミッシェルでは太陽や月の引力によりヨーロッパでも一番と言われる干満差が10メートルを超す潮の満ち引きの様子を観測出来るといわれていますが、満ち引きの規模は日によっても大きく異なり、満潮でも島の対岸側には干潟が残っていることもよくあるといいます。 よくイメージする大潮は年に数回で、孤島になるといいます。目安としては、満潮時の潮位が13.85mを越えると島と陸を繋ぐ橋が水没し始め、完全に海に囲まれた姿になるようです。 因みに、今月の大潮の日時は、1月22日7時49分、1月23日8時36分、1月24日9時22分とのことです。 そう、今日、1月24日の朝、孤島になったのが見られたことでしょう。 そして、昼食の為、モン・サン・ミッシェルが見える宿泊先のホテルへ移動です。 ------------------------ <月の潮汐力(潮の満ち干と潮流)> 月が及ぼす力として最も直接的なものが潮汐力で「潮の干満(潮の満ち干)」を引き起こす。 潮汐力は、主に月の引力と遠心力によって引き起こされる為、月が南中にきている場所とその反対側にもっとも大きく働く。勿論、潮汐力は太陽の影響も受けるが、距離が遠いため月の半分程度しかない。地球の自転は6時間ごとに90度回転する為、干潮と満潮はほぼ6時間ごとに繰り返し、満月や新月の時、太陽と月の潮汐力が重なり、普段よりも干満の差が大きくなり大潮となる。上弦や下弦(半月)の時は太陽と月の潮汐力が相殺され干満差の少ない小潮となる。 しかし、実際の潮の満ち干は海水と海底の摩擦や海水の慣性、地形的な要素も加わり南中から数時間程度遅れる。従って大雑把だがが、月の出時刻前後1~2時間頃が満潮になり、南中時刻の前後が干潮と考えることもできる。干満差は地形によって大きな影響を受け、日本最大の干満差を持つ有明海で約4.5mにもなる。特に春分・秋分ころ、干満差はさらに大きくなる。 ------------------------ ----------------------------Wiki この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であった。 708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。 モンサンミッシェルとは、「聖ミカエルの山」という意味で、修道院の頂点(尖った屋根の先)には、黄金のミカエルの像が立っている。966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。 時代の波に翻弄され、幾度かその役割を変えることとなったモンサンミッシェル。14世紀に勃発したイギリスとフランスとの百年戦争の際には城塞となり、18世紀のフランス革命後にはなんと監獄としても使われた。その後、フランスの文豪たちが美しさを賞讃したことをきっかけに修道院としての役割を取り戻し、現在もカトリックの聖地として圧倒的な存在感を放っている。 ---------------------------- 【今日のLifeHack:人から言われてやった練習は努力とは言わない。 出典:MAJORキャラ:茂野 吾郎著者:満田拓也】 <「聖マルタン教会」、本堂の北側部分はロマネスク様式、内陣と後陣はゴシック様式> <3階部分に緑の芝生が綺麗なラ・メルヴェイユ(驚嘆)の「回廊」> <修道士たちの「食堂」で、59の小窓から光が差し込みます> <大天使ミカエルからお告げを受けるオベール司教のレリーフ> <迎賓の間> <修道僧の納骨堂、食料や荷物などを下から運び上げる為の道具の大車輪> <「聖エティエンヌ礼拝堂」は19世紀まで修道士の墓地として使われていた礼拝堂> <土産コーナーの大天使ミカエル> <ロケ?> <妻がモンサンミッシェルを人差し指で持ち上げて> <尖塔の頂上で黄色に光る大天使ミカエル> <モンサンミッシェルにお別れ> <見たかった!大潮で水面に映る逆さモンサンミシェル・「今年の百均カレンダー」> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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