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テーマ:名画とツーショット!(49)
カテゴリ:芸術(映画・美術・音楽)
今朝の日経「美の十選」に、ゴッホの「ひまわり」が掲載されました。
今年の正月にこの作品を目の当たりにしスリーショットが実現しました。 損保ジャパンの「ひまわり」は、時々鑑賞していますが、いつも当時の最高値で落札されたことを思い出します。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1987年03月 30日ロンドンのクリスティーズの競売で、安田火災海上(現・損害保険ジャパン)が、絵画取引での最高値2250万ポンド(当時の為替レートで約53億円)(最終的な購入金額は手数料込みで約58億円)で落札した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ゴッホ 新イメージ(1) 「ひまわり」 芸術思想史家 木下長宏 美の十選 2020/6/18付日本経済新聞 朝刊[有料会員限定] 「狂気」のイメージが根強い画家ゴッホ。意外にもその生き方は「一本の草の芽」をひた向きに追いかけたものだったという。 ゴーギャンがアルルへ来て共同生活をしようという話が現実味を帯びてきた頃。ゴッホは、弟のテオにこんな手紙を送った。 「日本の芸術を研究していると、これぞ哲学者という人間に出会う。彼は何をして時を過しているのか。一本の草の芽の研究をしているのだ。この草の芽が、彼にすべての植物、すべての季節、人間の偉大な姿を描き出させる。そうして生涯を送るのだが、人生はあまりに短い。これこそ、本当の宗教というものではないか。こんなに単純で、自分自身が花であるかのように、自然の中に生きることこそ」 この手紙の一節は、そのまま彼の絵画宣言となる。それからというもの、ゴッホは「草の絵」を色々と試みることになるのだ。「ひまわり」連作もその一つだ。黄色い背景に輝くようなひまわりの大輪が花瓶に溢(あふ)れ、一見、生命力を謳歌する印象を受ける。よく観(み)ると、15本中6本は花弁(はなびら)を落とし、他の9本はうなだれている。小さな芽が大きな花を咲かせ、やがて枯れていく。草の生命(いのち)の物語がここに描き込まれ、そんな姿に、ゴッホは「日本の哲学者」の一生を重ねた。(1888年、油彩、ロンドン・ナショナルギャラリー蔵) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■ゴッホの《ひまわり》が初来日! ロンドン・ナショナル・ギャラリー展が明日スタート 6/17(水) 14:08配信 <歴史的な展覧会がついに開催!> 新型コロナウイルス感染症の感染予防、拡散防止のため開幕が延期されていた「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」が、6月18日(木)から、東京・上野にある国立西洋美術館で開かれることになった。 見どころはなんといっても、フェルメールの《ヴァージナルの前に座る若い女性》、レンブラントの《34歳の自画像》、そしてゴッホの《ひまわり》など、同館所蔵の世界的傑作が待望の初来日を果たすことだろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■<ひまわり>(フランス語: Les Tournesols、オランダ語: Zonnebloemen、英語: Sunflowers)とは、1888年8月から1890年1月にかけてフィンセント・ファン・ゴッホによって描かれた、花瓶に活けられた向日葵をモチーフとする複数の絵画の名称である。ファン・ゴッホにとっての向日葵は明るい南フランス(南仏)の太陽、ひいてはユートピアの象徴であったと言われている。 南仏のアルル滞在時に盛んに描いた向日葵を、精神が破綻して精神病院での療養が始まってからは描いていないこともその根拠とされる。ファン・ゴッホ自身が気に入った「12本のひまわり」(ミュンヘン作品)をもとに制作した4番目の作品とされる。 ロンドンの「ひまわり」と同じモチーフの作品は、日本の「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」(4月からはSOMPO美術館)とアムステルダムの「ファン・ゴッホ美術館」に1点ずつ、計3点。 日本は歴史上、7点描いたと言われるゴッホの「ひまわり」のうち2点を所有したことがある。現在の東京の「ひまわり」と、1920年に兵庫・芦屋に在住の実業家が購入して日本に来たものの、45年の空襲で焼失した「ひまわり」だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <ゴッホ《ひまわり》7枚> ◆1枚目:個人蔵の《ひまわり》 1888年8月 個人蔵(アメリカ) 花瓶の中に入ったひまわりの本数は3本。後に描かれた6枚に比べると、写実的に描かれている。 ◆2枚目:神戸大空襲で焼失した《ひまわり》1888年8月(1945年8月6日) 白樺美術館を設立するために大阪の実業家の山本顧弥太(こやた)が1920年に購入。 その後美術館設立の話が無くなり、兵庫県芦屋市の山本顧弥太の自宅に飾られていたが、神戸大空襲で焼失。 ゴッホファンの間では「幻の芦屋のひまわり」と呼ばれている。 ひまわりの本数は1作目から2本増えて5本に。他の6枚と比べて全体的に色のトーンが暗く、落ち着いた印象。 ◆3枚目:ミュンヘンの《ひまわり》1888年8月、ノイエ・ピナコテーク蔵。 薄い青色(エメラルドグリーン)の背景が特徴的。花の本数も12本とここで一気に増えている。 弟のテオへ手紙でその出来栄えに満足した内容を送っている事からも、ゴッホ自身相当気に入っていた一枚。 ◆4枚目:ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》 ここから『ひまわり』の背景が変化。1枚目か3枚目まではひまわりの黄色の補色である”青色”を背景にしていたが、この4枚目から画面全体が黄色一色になっていく。薄塗りと厚塗りが使い分けられ、コントラストがよく表現されている。 また輪郭線にブルーが使われているのも、他のひまわりでは見られない特徴。花瓶の真ん中(サインの横)には光のハイライトを描いている。作品の中に影は無いが、ここで光を表現している。 ◆5枚目:新宿の《ひまわり》 1888年12月-1889年1月SOMPO美術館蔵。 1987年に損保ジャパンが購入するまでは、ロンドンに住む人が所有していた。かつてナショナル・ギャラリーでは、この2枚の『ひまわり』が並んで展示された事もある。つまり東京でこの2枚が33年振りに再開している事になるのです。 5枚目の『新宿のひまわり』と7枚目の『ひまわり』(ファン・ゴッホ美術館蔵)は、4枚目のロンドン版のセルフコピーになる。 ひまわりの並びや花の数など構図が一致。 ◆6枚目:フィラデルフィアの《ひまわり》1889年1月アメリカ・ペンシルベニア州、フィラデルフィア美術館蔵。 3枚目のミュンヘン版のセルフコピー。 ◆7枚目:アムステルダムの《ひまわり》 1889年1月ゴッホの故郷、オランダ・アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館蔵。 この作品は損傷をがひどく、これ以上状態を悪化をさせないために館外への貸し出しは一切しないという措置が取られている。この《ひまわり》を描いた当時、ゴッホは原因不明の発作や幻覚に苦しめられていて、描いた翌月には精神病院に入院。 <ゴッホが『ひまわり』をセルフコピーした理由> ゴッホが何枚も『ひまわり』を描いた理由。それは、4枚目のロンドン版をゴーギャンが気に入り欲しがった為。 ゴッホはゴーギャンを”黄色い家”に迎え入れる際に、彼の部屋を飾るために《ひまわり》を含む何枚かの絵を描いた。 ゴーギャンはその絵の中で《ひまわり》をたいへん気に入り、「これこそ花だ」と称賛の言葉を残したと言われている。 しかし個性の強い芸術家同士の共同生活は次第に険悪の雰囲気となり、約60日で破局を迎えた。 ゴーギャンがアルルを去った(1888年12月)後も二人の手紙のやり取りは続いており、ゴッホはゴーギャンに渡すための『ひまわり』を描いたが、結局ゴーギャンの元に『ひまわり』は渡わなかった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【今日のLifeHack:私はあの人が大好き。愛した記憶だけで一生幸せよ、浅田次郎】 <今年の正月に「ひまわり」とスリーショットが実現> <4枚目:ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》以外の6枚> <今年の正月にフェルメール作品とスリーショットが実現> <今年の正月にレンブラント自画像とツーショット実現>> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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