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今が生死

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2009.06.27
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カテゴリ:健康
昨日職場で夕方頃、ある人が「今日は疲れた」と大声で自分に言ったのか他人に言ったのか分からないが声に出していた。その人だけでなく「疲れた」と誰にともなく言っている人を時々見かける。最近の私はかなり忙しいが疲れたという感じを持ったことはないが、その言葉を聞いたら何となく職場全体が疲れたような雰囲気になった。

仕事中は疲れたとかへとへととか言うものではないと思ってきたし、そんな言葉も全く思いつかなかったが、それをよく口にしている人もいる。子供は疲れを知らないというが、今家にいる2歳の子供はまさに疲れなどは全く知らないみたいだ。

疲れとは昔は乳酸が組織に蓄積された状態と考えられていたが、今は酸化ストレスにより、筋肉細胞や神経細胞がダメージを受けた状態と考えられている。その生理学的疲れと、疲れたという感じや思い、つまり疲労感とは別物だと思う。

恐らく私の体内には酸化ストレスが一杯溜っていることと思う。でも私の辞書には「疲れた」はないので、疲労感は湧いてこない。誰かにどこかで聞かれているような環境では「疲れた」と言った記憶はない。

医学書を読むとこのような人が危ないらしい。疲労感はその人に休めという信号を送り、適度に休養させるための情報で、その感覚が壊れてしまったら、疲労困憊し潰れてしまうというのだ。

それも一理あるが、「疲れた」「疲れた」と何時も言っている人も困る。周りをも疲れさせてしまう。

自分がそうしているからと言って他人に「疲れたと言うな」と言うつもりはない。しかしその言葉によって全体の士気が下がることを認識してもらいたい。皆と一緒に仕事しているなら、相棒をもいい気分で仕事できるように配慮してもらいたいものである。





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Last updated  2021.07.23 09:47:56
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