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今が生死

2014.01.15
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カテゴリ:生き方
私がイスラム教の経典であるコーランを読んで理解した範囲ではイスラム法には絶対従いなさいと説いているが、禁欲しなさいとは説いていないように記憶している。

一方キリスト教や仏教ではその教えの柱は禁欲である。人間には生きようとする欲望があり、子孫を繁栄する使命があり、そのための欲望もある。それを控えさないという教えは生きようとする本来の生物としての自然の流れをせき止めるもので内部矛盾を生じてノイローゼを引き起こすこともある。

禁欲の対象になる欲望には食欲、性欲、睡眠欲、安楽欲、快楽欲、名誉欲、所有欲、金銭欲、出世欲、優越欲、愛情欲などがある。これらは本来生きるために必要なものだが、キリスト教や仏教では戒めている。生きるために必要なものでもその欲望はすべての人が持っており、個人が際限なくその欲望を貪った場合、欲望を持つもの同士が衝突したり、バランスが保てなくなったりするためと思われる。

上記でノイローゼになると書いたのは教え通りに厳密にそれを守ろうとすると、生命の流れをせき止めることになり、生きるのが苦しくなってくる現象である。

ならば禁欲の教えに対して如何様に対処したらよいのであろうか?禁欲というのはネガティブの教えである。これをしてはいけない。このようなことを考えたり想像したりしてはいけない。自分が儲けようと思ってはいけないなど、何々してはいけないと自分を縛ることで、自分を苦しめることになる。むしろ積極的に行動したり、積極的に思ったり、想像したりする中で自然に適度の禁欲がなされている状況が理想ではないかと考える。

私が造語した「ラブラブ思考」では自分をとことん愛し、同じように他人もとことん愛し、行動したり思いめぐらすことである。他人とはどのような人か?身の回りの人は勿論世界中すべての人である。犯罪人も、自分に危害を加えようとした人もである。すべての他人を自分と同じように愛するのである。これも欲望の一種で人を愛したいという欲望だが、これは欲望同士で衝突しない。しかも食欲から始まる様々な欲望を丸出しにしたらラブラブ思考を実行できないので、自ずから適度の禁欲ができるのである。

禁欲は何何をしてはいけないと考えるのではなく、ラブラブ思考を実践することによって得られると考えている。






Last updated  2014.01.15 10:45:48
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