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今が生死

2014.01.16
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カテゴリ:宗教
オウムの平田被告の裁判が始まった。頭がよくて、努力家で理想に燃えた若者たちが次々と殺人などの大事件を起こしたオウム真理教事件、何人も殺しているのだから死刑は当然としても、なぜそのようなことが起こってしまったのか、防ぐ手立てはなかったのかと思案する。麻原彰晃という絶対的な指導者がいてその人の命令なら何でも受け入れ実行しなければならなかった仕組みを解明し、再発防止のために社会全体が取り組んで行く必要があると思う。

一部の国を除いてほとんどの先進諸国では信教の自由が謳われている。誰人もいかなる宗教も信じる権利があり、それを止めさせたり、迫害したりしてはならないと規定されている。どんな宗教を信じてもよいと規定されているので、現在我が国には約20万の宗教があると言われている。

オウム真理教では、その宗教に入った人は殆ど罪人になり、不幸になった。他の宗教にもそれに入ったがために不幸になり、地獄の苦しみを味わっている人達もいる。それは自己責任で、その宗教に入った本人が悪いという人もいるが、宗教の勧誘は殆どが自分自身が幸せになり人助けにもなるというもので、入った本人が悪いと言っても、最初のうちはその宗教の本質が見ぬけないことがあるのであながち入った人達だけを責めるのは酷だと思う。

宗教の中心者(教祖)達は名誉欲、支配欲、金銭欲に支配されていることが多い。しかし表向きは自分を磨き、人助けで、世の中を幸せにすると謳っているので、多くの若者は惹きつけられていく。そして洗脳されて支配者の言うなりの人間になってしまうことが多い。そしてとんでもない結末を迎えることになるかもしれない。しかし現状の「どんな宗教を信じてもいいのですよ、それを妨げる人は監獄行きですよ」という憲法の下ではどうすることもできない。国が、この宗教は信じてよく、この宗教は信じてはいけませんよということはできない。

20万宗教の中には本当に幸せにしてくれるものもあるかもしれないが、不幸にしたり堕落させたりするものの方が多いと思う。その鑑別はどうしたら良いのか?選ぶ個人の感受性であり、先見性であり、知性であり、分析力だと思う。何を選ぶかによって自分の将来は決まってくると言っても過言ではない。ある意味では高校や大学を選ぶよりはるかに重要なことだと思う。

教育は不偏不党と言われている。ある宗教を押し付けたり否定したりすることはできない。しかし宗教によって人生が左右され、幸不幸が決まるので、選ぶときには慎重に思考を重ねて選ぶ必要がある。また入ってみておかしいと感じたら、自由に脱退する心構えも必要で、おかしいと感じながらだらだらついて行くのは時間の無駄だし、不幸だと思う。






Last updated  2014.01.16 23:20:40
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