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今が生死

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2018.11.27
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テーマ:感謝と祈り(25)
カテゴリ:教育
廊下やトイレでゴミが落ちていると大概の人は拾うと思うが私も拾う。たまに見過ごして通り過ぎると心が苦しくなる。
母は農家に嫁に来る前は女工として製糸工場に勤めていた。その工場での体験なのか自分や友人が入社試験を受けた時の体験なのか状況はよく分からなかったが、或る試験場でわざと廊下にゴミを落としておいてそこを通って試験場に入ることになっているがそのごみを踏みつけて通るかよけて通るか拾うかで点数が異なり、拾った人が合格になったのだよと子供の時から何度も何度も聞かされた。筆記試験や口頭試問もあったかもしれないがそれより人が見ていないところで(実際には試験官がどこかに隠れていてこっそり見ていた)どのような行動をするかで人は評価されるのだよということを教えてくれたのだと思うが、ごみを見るといつも母を思い出す。小学校を卒業するとすぐお子守りや製糸工場等で働き学歴はなかったが本を読むのが好きでジャンバルジャン(ああ無情)の話を良くしてくれた。
大きくなってからのことで印象に残っているのは、国立甲府病院に5年務めた後博士号をもらうために北里大学病院に研修医のような形で就職した時のことである。胃カメラ研修の時一緒に研修している仲間は北里大学を卒業したばかりの若い研修医である。私は他の病院の勤務を経てからの研修なので35歳を過ぎており、年齢的ギャップを感じて精神的に辛いことがあった。そのことをたまたま相模原まで来てくれていた両親の前で話したら母が「そんなことはすっかまっちょし」と言ってくれた。勉強するのに年齢差なんか関係ない。ということに気づき、以後は年齢のことは気にしないで研修することが出来た。母には様々な恩義を受けたが自分はといえば全く報いていない。晩年入院していた時などお世話できればよかったがそれも殆どできなかった。そのことを思うと悲しくなるが、その教えに忠実に生きることがせめてもの恩返しと思って廊下や道に落ちてるゴミは拾っていこうと思う。





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Last updated  2018.11.27 22:37:13
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