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今が生死

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2018.12.22
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テーマ:西郷隆盛(4)
カテゴリ:テレビ番組
テレビドラマ「せごどん」が本日の再放送分をもって終了した。西郷吉之助(隆盛)の波乱に満ちた一生が見事に描かれていた。間違いなく明治維新を成し遂げた英傑の一人だと思う。最後は竹馬の友だった大久保一蔵(利通)との世界観の違いから対立して敵味方になって戦い,討ち死にすることになるが、大久保は日本国の将来、日本国の発展を願い一刻も早く欧米列強に追いつきたいという気持ちを持っていた。民を押さえつけてでも国を発展させることを優先して考えていた。西郷は国の発展も大事だが民の方がもっと大事だと考えており、この点で完全なすれ違いがあった。西郷は不満士族のために鹿児島に私学校を作って農作業教育などをしており、政府に立ち向かおうという考えはなかった。しかし大久保を中心とする明治政府は西郷の人望を恐れ、西郷グループを賊軍として成敗することになり、戦争(西南戦争)になってしまった。もとより政府軍にかなう訳がなく哀れな末路をたどったが、西郷は最初から自分の命のことは考えていなかったが士族たちの命は救いたいと考えていたはずである。西郷の心の中にはこの戦で日本の武士制度など古いものが完全に滅ぼされて新しい時代がくる。そのためには自分達が完膚なきまで滅ぼされなければならない。自分達は犠牲にならなければいけないのだ。の気持ちがあったと思う。それなら戦争の終盤で西郷だけ自決する道もあったと思うが多くの人達を道ずれにしてしまった。武士道では生きてさえいればよいのではなく潔い生や潔い死が求められたのであまり現在の感覚で考えない方がいいのかもしれないが、西郷の性格からして自分はともかく自分についてきた他の人達には何とか生きてもらいたいという気持ちが強かったと思う。西郷の座右の銘は「敬天愛人」で天を敬い天の道を真っすぐ進み、人々(民)を愛し、民のために尽くして生きるだったと思う。西郷は亡くなったが、鹿児島県人や日本人の心の中に今もその気持ちは生き続けているように思う。空には今も西郷星が輝いている。





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Last updated  2018.12.23 15:37:56
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