今が生死

2020/06/23(火)17:27

父親のあるべき姿ーオバマ前大統領の父とその息子の話

生き方(433)

当ブログで以前オバマ前大統領の父親のことを書いたが最初にそのおさらいをしておきたい。オバマ氏の父親はアフリカのケニヤの生まれで奨学金をもらってアメリカのハワイ大学に23歳の時に留学する。その前にケニアで結婚していてオバマ氏の兄と姉がいた。しかしハワイ大学で18歳のオバマ氏の母親になる人と親しくなり結婚してオバマ氏が生まれて2年後にハーバード大学で勉強するといってニューヨークに移りそこで3度目の結婚をして二人の子供をもうけてケニアに帰ってきてケニアで最初の奥さんとの間に新たに2人の子供をもうけた。その後別の女性と同棲して男の子が生まれてしばらくして交通事故で亡くなった。 奥さんとか子供を殆ど顧みなかった父親だが子供はそれぞれ苦労しながら立派に成長した。オバマ青年はハワイ大学卒業後黒人の教育や黒人に仕事を与えるためのセツルメント活動していた。シカゴでその活動をしていた時ケニヤの姉が訪ねてきて父親の話をしてくれた。その時兄がケニアを離れアメリカで暮らしていることを教えてくれて連絡先も書いてくれたので会うことになり二人で食事をした。姉とは初対面だったが兄とも初対面であった。オバマ氏は少年の頃一度その父親に会ったことがあるが兄はその父親にそっくりでびっくりした。兄は自分勝手で子供に厳しいいことをいうだけの父親を憎んでいた。成績優秀で奨学金をもらってハワイ大学に入り、さらにハーバード大学にも入れたのだから頭は相当よかったと思われるが父らしいことは何もしてくれず、ニューヨークからケニアに帰ってきてからは暫く一緒に暮らしたが大統領との対立で仕事を奪われて貧乏になってからは酒ばかり飲んでおり、アメリカから連れてきた奥さんや子供にあたりちらしずっと嫌な思いをしてきた。頭は良かったのだろうが実際の生活は最低でその格差を思い悩んだ。そしてアメリカから連れてきた奥さんは自分が産んだ子供二人を連れて家を出た。父親とアフリカ生まれの二人の兄妹で一緒に暮らしたが怒鳴られるだけで何の喜びもなく二人は家を出た。一人になってから知り合った女性との間に男の子が生まれて直ぐ交通事故で亡くなった。 お葬式にはかなりの人が来てくれたが半分以上はタダでご馳走を食べたりお酒が飲めると集まってきた人達だった。中には「あいつは最悪人だった。これで仇が撃てた」と言いながら酒を飲んでいる人もいた。葬式の席で遺産相続の話がでて赤ちゃんを産んだ最後の奥さんが全部貰いたいと主張したとのことだった。兄(長男)はアメリカで結婚して暮らしていたが今離婚話が進んでいた。「お酒を飲み過ぎる、約束や時間にルーズ、父親に似ている」が主な理由だが、「父親に似ている」が最も答えた。一番尊敬できない人に似ているとは絶望で死にたくなっているとのことだった。 ハワイ大学を首席で卒業し、ハーバード大学にも留学できた文句ない秀才だが実生活では妻や子を不幸にし飲んだくれて最後は交通事故で死んで誰も心から悼んでくれた人はいない。いくら頭がよくても実生活で家族や周りの人々の幸せを願っての行いがなければ最後はこのような終末を迎えるのかなと思った。バラク・オバマ氏は父親と一緒に暮らしたことがないので嫌な思い出はない。頭のよいDNAを受け継いで立派な業績をあげ、大統領就任式で「自分を生んでくれた父親に心から感謝する」と述べており、あの世でその父親は誇りに思ったかもしれないが今度生まれてくる時には頭は悪くてもいいので人に対する思いやりの人として生まれてきてもらいたいと思った。

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