伊豫漫遊書庫(Blog)

2011/06/12(日)20:35

湯築城で出土した墨書土器の土州様について

河野氏と湯築城(8)

  [歴史]長宗我部元親が土佐守になったのは(2011-05-22「imajouの独り言」から転載)  海遊庵主さんから電話あり、長宗我部元親が土佐守を拝領したのは天正16年(1588年)で、秀吉から貰ったとのこと。  笹ヶ峠合戦(天正2年、1574年)の前に元親が送った書状に長宗我部土佐守元親とあるが、土佐守を貰うのはずっと後のことなので、この書状は偽物ということになる。書状が偽物とすると、笹ヶ峠合戦に関する一次史料は皆無となり、同合戦が疑問視されるのも無理からぬところだ。元親が土佐守を貰った時期が長年気になっていたが、これですっきりした。庵主さん、サンキュー。 [歴史]墨書土器の「土州様」に関する考察(2011-06-09「imajouの独り言」から転載)  湯築城跡で「土州様」と墨書された土器が出土しているが、この土器が出土したことは、ここで「土州様」を交えた宴席が設けられたことを意味する。問題は「土州様」とは誰か。次にその宴席が設けられたのはいつか。この二点を先ず明らかにしなければならぬ。  湯築城拡張時(1835年)以後、この近傍で土佐守を拝領した人物、もしくは土佐守を名乗っていた人物は誰か。これが意外に判らない。  この近傍で土佐守と言うと先ず頭に浮かぶのは長宗我部元親であるが、元親が土佐守を貰ったのは天正16年(1588年)秀吉からで、湯築城開城後である。もう一人の土佐守は今治7万石小川祐忠であるが、今治に居た時期は1598年から関が原合戦のあった1600年までの足掛け三年間である。  もしこの二人のうちどちらかが伊豫を訪れ、湯築城での宴席に出たとしても、時期は湯築城開城後となるので、それを迎えたのは河野氏ではあり得ない。勘では加藤嘉明だが如何?

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