カテゴリ:ベトナム政治・経済・社会観察
今年のハノイは寒い!何でも北部は20年来の寒さだそうです。ハノイでも最高気温が10度くらいになるなど、日本と比べれば大したことは無いのでしょうが、こちらの長い夏に慣れた体は本当に凍えるような寒さです。LangSon省にはMauSonという山があるそうですが、底では雪が降り、氷が張っているということで、ハノイから多くの雪見観光客が訪れているそうです。 こんな冬は路上のカフェにはさすがに足が遠のきます。夏でも行っているとはいえ、この週末にもハイランドカフェに行ってしまいました。コーヒーは美味しいのですが、この日は少し残念な話題も。暖かそうにしている息子が持って遊んでいるのは、カフェからの値上げの案内。これまで飲んでいたカフェラテが32,000ドン(=約250円、これでもハノイでは超高級)から35,000ドンに上がってしまいました。約10%の値上がり、毎年10%の勢いで物価が上がるハノイではしょうがないでしょうか。 さて、今日はベトナム共産党の誕生日なのです。街でもそれを祝うイベントを行う準備がなされていました。しかも物の本を紐解くと、ベトナム共産党はハノイではなく、香港で生まれたそうです。1930年ホーチミンさんは、当時幾つかに分かれていた共産主義を標榜するグループを統一する形で、ベトナム共産党を結成しました(その会議が行われたのが香港)。特にその当時あった「インドシナ」共産党のような、フランス植民地のインドシナ全体の革命を目指したグループを、あえて「ベトナム」という当時はそれ程使われていなかった概念で纏め上げたことで、共産党をより民族主義を意識ながら作り上げていこうとした、ホーチミンの考え方が表れているのではないかとも言われています(「ホーチミン」古田元夫著より)。 それもあって、今日の新聞も共産党に関する「良い話」が目立ちました。その中で印象に残ったのは、「北西部に残った」人たちの話。1954年のディエンビエンフーの戦いに参加したHaTinh省の兵士とその奥さんが、「北西部解放に参加した同志たちよ、北西部再建設に参加しよう」とのボーグェンザップ将軍の激励に応えて、1957年に現在のディエンビエン省のMuongLay郡に移住し、今でもそこに住んでいるそうです。実はこの郡は現在建設されているソンラ水力発電所ができるにつれて、街全体が水の下に沈むことが決まっています。それについて、一時は首相や国会に手紙を書いて窮状を訴えようとしたが、「国と党のことを思い、手紙を送るのはやめた」として、今はそれにも協力しようとしているそうです。普通のおじさん、おばさんのようですが、皆そういう歴史を歩んできているんですねえ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月03日 23時30分20秒
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