カテゴリ:ベトナムから各国
ハノイはいよいよ明日が大晦日。テト間近です。でも、全くテトに関係ない話題、久々にはまった中国ドラマ:「大公社」の紹介です。先の週末に少し観出したら止まらず、テト休みにとっておくつもりだったのですが、もう半分見終わってしまいました(全22集)。
写真からもお分かりの通り、いわゆる文化大革命の時代の中国農村が舞台のお話です(自分が見ている今の段階では、まだ文化大革命にまでなっていませんが)。ある普通の中国の農村で繰り広げられる、恋愛、政治のドロドロストーリー。このドラマのノンフィクション性を計るのはここハノイからでは難しいですが、非常にリアルに当時の様子が、時にユーモアも交えながら、再現されていると思います。 様々なエピソードがとても印象的。例えば、このドラマは特にこの村の宣伝隊(劇や歌などの公演を行う村のチーム、主に娯楽と政治的宣伝をかねる)に選ばれた若い男女や、それを仕切る人民公社の生産隊長などの間の愛憎が主なのですが、その中で村の宣伝隊がある革命演劇を演じるシーン。ある女の子が劇に使うお椀を準備していたのが、実際に舞台の小道具として使う前になくしてしまいます(実際には悪意ある人に隠されてしまったのですが)。それをもって、後から生産隊長がその女の子に対して(良からぬ裏アジェンダを持ちつつ)「お椀を大事にしないということは、革命演劇を大事にしないこと、革命演劇を大事にしないということは、お前の思想に問題があるということだ!」といって、批判し・・・というシーンがあります。如何に小さなことが、個人的な人間関係や愛憎感情によって曲げられた形で政治化されていたかというシーンです。その女の子も「お椀をなくしてしまったから、きっと破壊分子として批判される」と夜も寝れずに泣くのです。 また、あるおじいさんはかつて何か失敗をしたらしく、また出身がいわゆる貧農でなかったから「出身不好(出が良くない)」ということで、非常に虐げられていたのですが、そのおじいさんの名前が革命の英雄の名前に似ているということで、県の幹部が「それはけしからんので、今日からあなたの名前を改名する」と勝手に宣言するというシーンがあります。如何にその頃の身分社会がはっきりしていたかというエピソードです。 いずれにしろ、政治が「日常化」し、日常が「政治化」することの怖さを感じさせられます。日常のなかでは人間関係のいさかいや、いじめのようなものがあるわけですが、そういうものが当時の中国ではたやすく政治化されたうえ、「正当化」され、多くの人がそれに借り出されるという状況があったのだなあと、久々に中国農村のマイクロポリティクスの世界に、ドラマを通じてながら勉強させられています。政治に参加することは悪いことではないですが、政治が日常に参加/介入する世界は恐ろしいものです。まだ、これでも文化大革命の時代状況にドラマは突入していないところ、これからは更にどうなっていくのだろう?さて、これからもう少しまた観ようかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月06日 00時27分18秒
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