知覚者・解釈者のバランス2009.2.11 の記事から「知覚」と「解釈」、そして両者のバランスは、向こうの世界を探索する上で非常に重要になってきます。 ここでいう知覚とは、非物質界の知覚のことですが、これは、このブログで何度かお話していますように、体験しているフリをして何か変化があるのを待つ作業のことです。 それに対して、解釈とは、知覚したものが何を意味しているのかを頭で考える作業のことです。 知覚しただけだと見えた映像が何を意味しているのかわかりませんし、逆に、見えた映像をひたすら解釈し始めようとすると、そのとたん見えたものが消えていってしまいます。 ですから、知覚と解釈とのバランスを取ることが重要になってきます。 具体的にどのようにバランスを取るかですが、見えた映像をじっくり見るのではなく、「ちらっと見る」ようにするとうまくいくと思います。 知覚したものの意味を認識し、そして記憶するためには、どうしても最小限の解釈が必要となってきます。 しかし、それは本当の意味で最小限でよいのだと思います。 知覚して、一瞬解釈し、再び知覚の方に意識を向け直す・・・この繰り返しの作業が、へミシンクでの様々な体験を深める上で非常に重要になってきます。 このように、知覚と解釈とのバランスをとっていくと、ある時映像が断片的に見え、それを一瞬解釈し、またある時映像が断片的に見え、またそれを解釈するといった作業の繰り返しになります。 映像だけでなく人によっては音、匂い等の知覚が断片的にくることもあると思います。 私の場合には、映像のほかに文字情報もテロップを見るような感じできます。 映画を見るような形では向こうの世界を体験することはほとんどありません。 ここのところを誤解されていると、本当はすでに体験しているにもかかわらず、まだ自分では体験できていないと思うことにもなりかねませんので、ご注意頂きたいと思います。 今申し上げた点は、非常に重要な点だと私自身考えています。 第1回目から私のブログで書いてきた内容はすべてこのような見え方によって体験したものです。 <「知覚者」と「解釈者」のバランスのとり方の例(2009.2.11 の記事から)> 目的地に着いた時、工場が見えてきました。 何の工場でしょうか。 何人かの人も見えます。 工場で働いている人みたいです。 その時、「原子力」の文字が見えました。 後からこの情報は不正確であったことが判明するのですが、 この時点で私はブルースモーエンさんのいう「解釈」をし始め、 ここがチェルノブイリだと考えました。 ・・・・・・私は近くにヘルパーがいないか調べました。 すると、女性ヘルパーが近くにいました。 白っぽい服を着ていて、笑顔の人です。 ヘルパーから、「ロシアよ。」と言われるとともに、「ウラジオストク」の文字が見えました。 この時点で私は先の情報を修正し、ここがロシアのウラジオストクであると判断しました。 何人かの人が倒れている映像が見えてきました(「知覚」しました)。 そこで私は、彼らが事故で負傷または亡くなったのだと「解釈」しました。 原因をサーチしてみると、直観的には、彼らは、核廃棄物の漏えいが原因で死亡した気がしました (ここでいうサーチとは、被物質的な感覚を使って事故原因を調査することです。私の場合、おそらくガイドが私の意図をくみ取って私に情報を伝えてくれています。)。 私は、多数のヘルパーの応援を呼ぶことにしました。 今回はなぜかこのようなやり方をとりたいと思ったのです(結果的にはこれが適切な判断でした)。 私は、倒れている一人一人に近づき、PULを投げかけ彼らの意識を回復させるとともに、彼らにヘルパーを紹介しました。 ヘルパーは笑顔で彼らを引受け、彼らを連れて上空へと舞い上がっていきました。 行先はおそらくF27だと思いました。 今回は、マルチロケーションを使ってF27のレセプションセンターの様子までは確認しませんでした。 そのようにして、次々と負傷者とヘルパーとの橋渡しをしていきました。 これで、私の現場でのお役目は終わりました。 |